2011年5月20日金曜日

被災地で考えたこと―(その2)戦後の日本の繁栄とは何だったのか?

今回に東北地方にボランティアに行った私たち一行4人はもともとは13日に帰る予定でしたが、急遽一日延ばしたのは、被災地に韓国から送られてきた衣服を三か所の避難所に届けるためでした。そこでの経験も次回お知らせします。着替えもなく避難所に来た婦人たちは、韓国からの大量の新品の婦人服に列をなし、自分に合うものを選んでいきました。私は「フーテンの寅さん」の気分になり、奥さんたちとたわいない冗談を言い合いながら楽しい時間を過ごしました。勿論、大変喜ばれ大歓迎されたからです。


私たちが仙台に行ったのは、私たちの教会が所属する教団宛にボランティア活動に参加するように要請があり、それに参加したのですが、全体の現地での奉仕活動を取り仕切っているのは、一般財団法人の日本国際飢餓対策機構(JIFH)というところでした。大阪八尾市のグレース宣教会が中心で設立したNPOですが、この教会は福音自由教会という全国的なキリスト教組織(日本福音自由教会協議会)に属し、1884年に来日した宣教師によって種がまかれ、そこから育った人たちが次から次への開拓伝道を進めて現在に至っています。

八尾市にあるグレース教会は40年前の開拓伝道から始まり、現在は25もの教会になり、そこで育った人たちが教職者やNPO組織のスタッフとして働くようになり、今回のボランティア活動の若いリーダーたちはその二世世代の教職者たちによって教会学校や青年会活動で育てられた人たちということでした。福音伝道と奉仕活動はひとつのものと教えられ、ボランティア活動もまた聖書の御言葉に従う信仰の証と考え取り組まれていました。

福音派については、アメリカの大統領と近い著名な伝道師がいたり、その影響を受けたブッシュ(息子)のイラン戦争時にはホワイトハウスで閣僚が聖書研究と祈りの場を持ったという噂を耳にしていた私は、アメリカの福音派は保守的な政治家を支える票田という印象があり、地域の復興や奉仕活動と結び付けては考えていませんでした。

しかし私が行動を共にした若い福音主義派の青年たちはとてもよく訓練され、どのような辛い仕事にも文句ひとつ言わず、てきぱきと仕事をこなしていました。勿論、この奉仕活動に参加した人はクリスチャンに限られておらず、私の1年年配の方は、定年後の仕事を完全に終え、奉仕活動をしたいという希望で仙台に来たということでした。この方はなんと私が卒業した大阪難波の精華小学校の先輩だというのです!

教会関係者の方は是非、若い青年たちを現場に送ってください。また私のような中高年者もまた、現場の仕事はかなりつらいものがありましたが、拘束時間は長くなく、それなりに配慮されたスケジュールでした。私が務まったのですから、還暦を過ぎた人も十分に働くことは可能です。全共闘世代の多くが会社勤めをして高成長時代に闇雲に働いてきたのですから、定年とその後の5年間の仕事も終え、自分の歩んできた道を省み、これからの生き方を考える上でも、現場の奉仕を勧めます。

敗戦後の焼け野原からの復興、高度成長、世界第二位の大国になった日本のその中心を担った私たちの世代がつくったものは結局原発に象徴されるもので、経済成長第一主義で反環境(反地域=都会集中)、形骸化した平和、差別の拡大の社会だったのではなかったでしょうか、戦後の日本社会のメッキが全て剥がされ、私たちの歩みと私たち社会がつくったものが破壊されている様をじっくりと見たほうがいいと思います。私はバブルに踊らされ、家を維持するのに全力を尽くしてきたこれまでの半生とは全く違う生き方をしたいと願っています。

日本国際飢餓対策機構(JIFH)のスタッフは(社会派が多いと言われている日本キリスト教団との提携も進め)、文字通り、必要な現場があるのだから誰とでも一緒になって現場の奉仕活動に徹しているようでした。その冴えた政治的感覚にも驚かされました。

私は現場においてかくも悲惨な経験をしている人がいる限り、その人たちに何の見返りもなくただ仕えるという奉仕活動は大変貴重なものであると思います。その一点で誰とでも、どんな教派(キリスト教会以外とでも)協働していただきたいと願います。そこにいたあるグループはサマリア人(Samaritan)と書いた車を使っていました。聖書にある、追剥から傷つけられた旅人をケア―したのは、ユダヤ人の敵とみなされていたサマリア人で、そのように傷ついた人の隣人になりなさい、というイエスの有名なたとえ話から付けられた名前でしょう。

それはその通りです。しかし地震と同じく、原発事故で故郷を離れ避難所で住む人たちのことを考えると、今傷ついている人たちだけでなく、これからも傷つき倒れ込むようなことにならないようにそのような人が出て来ないようにするのもまた、サマリア人の働きなのではないかと痛感します。それはそのような社会を作ってきた戦後日本社会への批判に見えるでしょうが、その警鐘を鳴らすことは、現場で奉仕することとは二項対立するものではないはずです。

原子炉が融解(メルトダウン)していることは予想されたことでした。そのような被害に遭わないために原発に反対するというのはもっともなことです。しかし自分たちの傍には置いてほしくない原発を海外に売り、自分たちの国には埋めて置きたくない使用済み核燃料を蒙古で埋めようとしているのはこの日本です。この社会が被害者をつくりだしながら、同時に海外の貧しい人たちへの加害者になろうとしている、戦後の日本が作り上げてきた社会がどのようなものであるのか直視する必要があります。そしてアジアや全世界の人たちと手をつなぎ、原発をなくしていく協働の動きを作り出しましょう。

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