2011年5月2日月曜日

小熊英二は何を語ったのか―「鼎談 3・11を越えて」

5月1日、一橋大学において、小熊英二(慶応大学)、赤坂憲雄(福島県立博物館館長、民俗学)と友人の山内明美(一橋大学博士課程研究者)の鼎談「3・11を越えて」がありました。室内は満員で、2時半から6時過ぎまで質疑応答を交えた話し合いがありました。

鼎談の内容は後日主催者から発表されるでしょうから、私は偏見と独断で小熊さんの話の内容を中心に報告いたします。

赤坂さんは復興構想会議のメンバーでもあり、現実は変わらないかもしれないが、「変えたい」「変えるようにしたい」と穏やかだが熱い口調で話されました。福島原発をとりあげようとしない復興構想会議で提出した「鎮魂と再生のために」というメモでは、「福島自然エネルギー特区構想」を出されたようですが、独占的な電力会社の体質を変えさせないとことは進みません。大きな障害が立ちはだかるでしょうが、正面から突破されんことを祈ります。

山内さんは地元に戻り自分で撮った映像を見せながら壊滅した状況を目の当たりにしてどのように思ったのかということを淡々と語りました。従軍「慰安婦」の宋神道が無事であったという報告をし、田んぼのことや牛のことを話し、本当にこれでいいのか、むつかしいかもしれないが、なんとか変えたい、と語る姿が印象的でした。

二人に比べて小熊さんは小憎らしいほどに社会科学者として冷静でした。限られた時間の所為か、詳しく自分の考えを説明するというよりは、大枠を話し、その中で自分の感想めいた台詞をはさむというスタイルでした。学者のやることは後追いよ、学者が現実を切り開くことはないと気色ばる私をいなすかのようなメールをくれた上野千鶴子さんを思い出します。以下、小熊さんの発言の要旨です。

(1)冒頭の発言
・まず日本のマスメディア、雑誌は日本の危機だの転換点だと言うが、書いてある内容は従来の主張の延長線上のもので(「自分を変えないで日本を変えられるのか」)、被災地ではそのような発言はなかった。今回のことは神戸地震や、昭和天皇のときと同じで(数年後忘れ去られー崔)、日本全体の変化はない。

・自分が訪問した被災地においては高台、中腹、低地において違いが歴然としていて、「濃淡があるな」という印象であった。

・東京での「反原発」のデモに出たが、高円寺、渋谷、芝公園では参加者の年齢、社会階層、文化などによって分断されている印象で、それらのデモがひとつになるのはむつかしいという印象。

(2)原発事故に関しての発言
・原発事故に関しては、日本政府の政策は場当たり的で、全ては事故はないという前提に立っていたため、水や食品についてもいざというときの基準がまったくなかった。

・ヨウ素やセシウムの基準もWHOやアメリカと異なり(数値が高く)、これから数値がさがるであろうということを前提にしている。しかし下がらなかったらどうなるのか、基準を変えるか、福島市や郡山市民を避難させるしかないのではないか。

・政府は最初は情報もなく混乱しており同情するが、今も何も考えたくないのではないか。

(3)二部の始まりにあたって(大学の講義のようだと笑いながら)。
・「東北」という単語そのものは明治以降定着したもので、大都市への食糧・労働力・電力の供給を担っていた。

・全世界で(日本の地方においても県庁所在地などへの)一極集中が見られるようになり、日本の地方の疲弊(過疎化・高齢化)がはじまるなかで地域社会の全国的な均一化をはかるために総合開発計画が数次にわたり実施され、国土の均一発展や工業化のためのコンビナートやリゾート、地方空港がつくられたが結局、地方の産業開発は諦めぜるをえず大都市を中心にするしかなくなったところで今回の震災に遭った。

・このような状況の中で、復興による公共投資が「神風」のように思われている節があるが、一時的にはそのようなことがあっても長期的には、公共投資による復興はない。

・現地を見たが、生活基盤が失われ、製紙工場、漁業は壊滅で、「大変だろうな」と思う。高台での高層住宅の計画もあるようだが、車で農地に通うなどしても産業はどうなるのか。地域社会の産業基盤をどうつくるのか、農地をすべて太陽パネルに代えるプランが朝日新聞にあったが、大胆な構想が必要になってくる。

・経済学者は3県のGDPに占める割合は5%などと言う人もいるが、復興事業のニーズが地元にない。東北地方の受けた災害で日本全体が沈没することはない。外資に期待する向きもあるが(利益を重視する外資が復興事業に投資するかー崔)、これは中長期的に全く未定。

・原発事故による住民の避難は自由民主主義国家では初めてのことで、今後どうなるかはわからない。(原発の影響でー崔)成田が仁川に勝つ可能性は今回、ゼロになったことは確か。

(4)社会全体の流れに逆らうことはできないという話し
沖縄の軍事基地や福島・福井の原発の問題も高成長以降の日本のあり方が反映されたもので、そこに補助金が集中的に投入された。マルクスも産業革命を前提にしていたように、(今の時代の流れの中で終身雇用を求めることが時代錯誤であるように)、全体社会の流れに逆らうことはできない。知識人が社会の流れをつくるエンジンの役割を果たすことは無理だが、予想される事態を考えてプランを出す中で多少のかじ取りくらいはできるのではないか。

(5)社会の変動によって人の認識は簡単に変わるものという話し
品質を重視する日本の市民にとって、ディスカンウントストアは無理と言われていたが、90年代後半に大きく消費者の認識が変わった。アマゾンやユ―チューブがはやり出したのは2000年代になってからということを思い出してほしい。

(6)日本は大きくは変わらないという話し
・今回の東北地方の災害で日本社会においては大きくは変わらない。東京は変わらない。しかし東北地方の現場は大きく変わらざるをえないだろう。震災後、がんばれ日本とか、日本の転換点とか言われたが、あれが沖縄であったら、がんばれ沖縄やがんばれ日本コールになっただろうか?これは地震の影響で東京にも揺れがあったとか、放射線の恐怖があったからではないか。買占め位の経験では東京の人の意識は変わらない。

・日本社会は世界的に見ても大きな市場で、国内で循環できる経済圏になっており、戦後の日本は完全にドメスティックに目が向けられており、今回の地震による外国人被害の実態についての報道もなく、国内の外国人や海外が日本をどう思うのかに基本的に関心がない。日本は「そういう国」。

(7)原子力産業について
・日本の原子力産業は斜陽産業で、新規の建設がなされないといずれ衰退せざるをえなくなる。だから福島の原発事故の後、新規建設は困難になったので、このままいくと遠くなく日本の原発は衰退せざるをえなくなる。

・(私が日本の原子力産業が斜陽産業であるからと言って、日本は原発の輸出には積極的ではないのかと質問したことに対して小熊さんは)、ベトナムなどのように既に決まったところはわからないが、世界が日本から原発を買うのか疑問。(しかしビル・ゲイツは東芝と組んで数千億円投資しているがと続けると)、それは自分にはわからない。いずれにしてそれは黙っていてそうなるというより、運動などとの関係によるのではないか。

(8)質疑応答の中で
(私が日本のナショナリズムのことを問い、外国人が一緒になって日本社会のあり方について話合いに参加するといっても日本社会は拒むのではないか、事実、私に対して「クソ朝鮮人 日本から出て行け」という反応があったという発言に対して、赤坂さんは、関東大震災の朝鮮人虐殺の時と違って、神戸や東北での災害時にはそのようなことはなかった、これは日本が成熟したから、成熟したと思いたいと応えたことに対して小熊さんは)、日本が成熟したのか、ドメスティックなだけなのかよくわからない。

★私の感想

私は小熊さんが反原発のデモに参加し、非正規のミュージシャンが中心であるかのような高円寺、少しお金持ちそうで理屈と秩序を重んじるような渋谷(彼らはデモではなくパレードとしたそうだが)、60歳代が中心の芝公園とそれぞれのデモの参加者の階層、文化、意識、行動様式の違いを捉えて、これでは統一行動はむつかしいという話をされたことに驚き、ああ彼は社会科学の学者だなと思いました(悪い意味は一切、こめていません、念のため)。外大のMI教授が息子を連れ、デモの最先頭でどなっていた姿を思い出します。

小熊さんはあくまでも冷静で自分で得た確実な知識の披露と、自分で観た現実を説明するスタイルに徹し、決してアジルことなく、論争もせず、社会科学者として自分の理論をつくりあげようとしているなと強く感じました。私の独断と偏見です。間違いがあれば訂正、謝罪します。ご指摘ください。

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