2011年4月30日土曜日

原発の技術が根底的に問われるわけ―『徹底検証 21世紀の全技術』を読んで

海外を含めて私のブログの読者の方にお願いがございます。

3月11日以降、ほぼ毎週ブログを更新するようになり、私の情報発信に対して、韓国や脱原発の運動をされている方から、拙論を多くの人に紹介されているということを聞くようになりました。原発に関しても素人が書いたもので単なる感想、或いは講演の要約なのですが、それでもA4で2枚くらいの長さがちょうどいいようです。
お願いというのは、福島原発事故については戦後日本の在り方を根底的に見直さなければならないという私の強い使命感があり、思いを同じくする人のネットワークを作り、韓国にまで広げたいと考え、私のブログの内容を読者の方に周辺の方に知らせていただきたいということです。大変僭越なお願いですが、御理解いただき、御協力いただければ幸いです。

崔 勝久

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原発の技術が根底的に問われるわけ―『徹底検証 21世紀の全技術』を読んで

現代技術史研究会編『徹底検証 21世紀の全技術』(藤原書店)を読んで、今更ながら、現代社会を豊かに、便利にしてきたはずの科学、技術がどれほどの問題を抱えているのか、思い知らされました。

炭酸ガスが地球の温暖化の原因とされ、原発はいずれなくなる石炭、石油に代わる救世主のようにもてはやされてきました。その石油と石炭はエネルギー源としてだけではなく、プラスチックの材料として、また鉄を作るのにコークスとして無くてはならないものでもあるのです。利益追求のために進められた、自然と人間の生活を破壊してきた「開発」は大都市をつくりあげ必然的に「廃棄物と事故」の問題を起こしました。

この本では、「廃棄物問題はリサイクルでは解決しない」と明言します。製品を大事にながく使うRepair(修理)や、Reuse(再利用)は大量生産を前提にする資本主義社会の構造・価値観とぶっつからざるをえないのです。廃棄物の発生源となる元の技術システムとそれを支える思想を問うことなくリサイクルを強調する川崎市の政策の基本的な問題はここにあります。回収率70%を超えるペットボトルも実際のリサイクル(再利用)率は20%程度に過ぎず、かつリサイクルのための費用は自治体と事業者が負担するシステムになっています。

この本の結論は、「近代経済社会の成長は化石燃料の潤沢な提供を前提とした技術によって支えられてきた。しかし、そのような近代経済社会を育んだ技術的基盤は失われつつあり、持続可能な経済システムは成長志向を放棄したものにならざるをえない」と結んでいます。
このことは私たちの思考・生活様式、経済・社会のあり方を根本的に問い直すことを意味します。炭酸ガスを主敵にする環境問題だけを取り上げて済む問題ではないのです。複合汚染は拡がり、川崎の北部のある小学校では小児喘息の罹患率は17%にも達しています。

資本主義社会にあってはグローバル化の時代、豊かになるとは大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とし、それが近代化であるかのように思わされてきました。石油でいうと埋蔵量のほぼ半分は先進国によって既に使い果たされ、これから経済発展をしようとするBRICsらの新興国と取り合いになります。地球温暖化で炭酸ガスが「犯人」扱いされ、先進国はこぞって炭酸ガス規制を約束してきましたが、それはまた原子炉の平和利用、即ち、原発を後押しする結果になってきました。しかし原発は「取り返しのつかない惨事」になる危険性を原理的に内包していたのです。

原発とは、ウランの核分裂反応の制御で熱を発生させ蒸気タービンを回して発電するものなのですが、複雑・巨大化した原子炉のシステムそれ自体が事故を起こす原因にもなっており、原子炉の中でもっとも重要な、原子炉の核反応を制御する制御棒の部分で衝撃的な事故が起こっています。ウランそのものの埋蔵量にも限界があり(可採年数は80年)、かつ沸騰水型原子炉(BWR)であれ、加圧水型原子炉(PWR)であれ、また原子炉運転の過程ででてくる核武装に使われるプラトニウムを利用するMOX燃料や、燃料を燃やせば燃やすほど燃料が増える「夢の原子炉」と呼ばれた高速増殖炉(FBR)と核融合炉であれ、高速中性子の制御がむつかしく、また中性子が鉄の核容納器そのものの劣化を招くのです。

なによりも原発の根底的な矛盾は、使用済み核燃料の処理が技術的に解決されておらず、ガラスに混ぜて地下に数万年埋めるしかないという事実です。核燃料のガラス固定化された物質を入れる容器が長時間地下に置かれても腐食されないという実験的な裏付けはなく、安定的に放射能が漏れ出ないという技術的保障はないというのです。使用済み核燃のこの処理は処理ではなく、未来社会に犠牲を強いる放置でしかありません。

廃棄物を処理できないという矛盾に加えて、個別的で手間がかかり判断力を要する作業は人間がせざるをえず、癌などにかかるリスクを負わせる被曝労働ははたして社会的に正当な労働と言えるのか、と問います。

原子力発電の問題点を整理しておきます。①いかなる形態の原子炉も多量の放射線物質を環境に放出する巨大事故の危険性をもつ、②保守点検にあたる労働者が被曝のリスクを負う、③生産されるプラトニウムは核兵器の原料物質になる、④使用済み燃料は超長期間管理が必要な最悪の放射線物質である、⑤廃炉処理技術も確立されていない、ということです。いくら政治家や御用学者が原発の安全性を強弁しようとも、もはや原子炉の改善、安全な原子炉、徹底した危機管理能力などというのは戯言だということが明らかにされます。

世界の原子炉生産のベスト3は全て日本の会社が関係しています。日本政府は輸出増大の計画を継続すると断言しています。最も危険な立地であると言われている浜岡原発の7月再開を中部電鉄は宣言しました。福島事故にも拘わらず、韓国はその隙間をねらって原発プラントの輸出を国策として力を入れようとしています。日本も韓国も地元で反対がある危険なものを輸出してどうするのでしょうか?

被曝国である日本は戦後の復興とそのエネルギー政策を原発にすると決定しました。そして福島の原発事故に遭ったのです。『敗北を抱きしめて』のJダワ―は「歴史の悲劇的な巡り合わせ」(朝日)と言いますが、私は、福島事故は原発開発を国策として民衆との対話を拒否し、民主的な地方自治より形式的な政党政治に陥った、そしてひたすら技術を盲信し工業化に邁進してきた戦後日本の「歴史の必然」と思います。

韓国はその日本を追いかけるものとして輪をかけて危険な方向に進もうとしています。私たち日本に住む者の責任とは何でしょうか。まさに、民族・国籍を超え、<協働>によって社会を変革していくことではないでしょうか。脱原発を求めながら、戦後日本の、そして原発に走らざるをえなかった韓国の、経済・社会のあり方を根底的に問い直さなければならないように、私には思えます。

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