2011年5月14日土曜日

仙台方面の被災地からの報告―(その1)津波でも残った住宅を見て

                                    完全に原っぱになった地域
            津波で1階部分を壊された振興住宅地域
              海岸に近い駅の折れ曲がったレール
                    悲しい依頼
       遺体の見つからない9歳の子供を偲んで、悲しい鯉のぼり
          床下に入りヘデロを掻きだす若い女性
                作業現場
最後の作業を終え(韓国からの2名を含む)混成チーム

教会が中心となった被災地でのボランティア活動に参加して、9-14日まで仙台のYWCAで寝泊まりしながら、仙台周辺の被災地の現実の一端を知ることになりました。テレビで見る被災地の光景は、写真にあるように津波で全て洗い流され何も残っていない、原っぱのようになっていましたが、私たちが奉仕活動に入ったのは、有名な宮城県の松島の先にある、東松島の新東名(しん・とうな)というところでした。


ここは風光明媚なところに新たに作られた新興住宅地で、町内会もなく、コミュニティが形成されていないところでした。そこは、ほぼ二階建の住宅が延々と続き、数百世帯はゆうにあると思われました。松林と堤防を軽々と越えた津波は住宅地を全て飲み干し、私たちが見た住宅地はまるでゴーストタウンのようでした。住民は地震に驚きながらも津波警報を聴かず(道で会った老女は、1回聴いたと証言していましたが)、携帯電話のニュースで知り、高台に逃げたそうです。しかし逃げられなかった住民は多く亡くなっています。

私たちが奉仕活動で入った佐藤さんのお宅の前の大きな家には、老女と息子が住み、地震の時には息子が職場に行っておらず、膝の悪い老女は二階に逃げられずにおぼれ死んだそうです。佐藤さんは、いざという時におばあちゃんをお願いしますと言われていれば、何とかしたかも知れないと証言しており、ここにも新興住宅での希薄な人間関係が被害を大きくしたと思われます。

佐藤さんたちの話では、たまたま教会関係の奉仕チームが近くで活動をしていると耳にして、地元の教会に床下のヘデロの掻きだしを依頼したそうです。行政は、床を全てはがしてあれば、ヘデロの掻きだし作業には応じるという建前らしいのですが、私たちの見る限り、そのような家は一軒もないようでした。まず住民は避難所生活をしており、床をはがすような作業を自分たちでできるとは思えません。大工に頼もうにも大工もいないようでした。

私たち素人チームは、若い教会リーダーの指示の下、床板を全てはがし、海水が推し寄せヘデロで埋まった床下に入り込み、そのヘデロを掻きだし、その後に石灰を撒くのです。人が入れるスペースはあまりなく、私たちのような腹の出た中年には無理で、若い女性が合羽を来てもぐり込み、ヘデロを掻きだしては袋に詰めて表にだす作業を続けるのです。

私たちが数日かけてそのヘデロ掻きをしたところで、それは地域で必要とされる作業の何千万分の一にもならないでしょう。しかし佐藤さんたちは喜んでくれ、何とか将来の生活のめどを建てようと必死で考えているようでした。ほぼ二階の天井にまで来た塩水は、30センチあまり天井には至らなかったようですが、行政の保障は二階まで浸かった家に限られているそうで、建てなおすのか(300万円の限度)、補修で済ませるのかを決断しなければならないようでした。素人の私が見てもそこを補修で住めるようになるとはとても思えません。たまたま佐藤さんはローンが全部終わったということでしたが、引っ越したばかりで震災にあった人たちもいるとのことで、その人たちは借金を抱えて、職場もなくどうして生きて行けるのでしょうか。

域経済学の授業で学んだ、世界の内在的発展を遂げた地域(region)では、その前提になるのは住民の自治の充実度であったと私は理解したのですが、養殖、漁業、観光に頼ってきた松島や、その周辺の振興住宅地では住民は職を失い、地域の中での人間関係もなく避難所生活をしながら、住民自治をどのように建て直し、自分たちの未来を決めていけるのでしょうか。

この佐藤さんの前に奉仕活動に入ったお宅では、母親と若い娘が1階を修理補修して住んでいたようですが、私たちの床下のヘデロを取り除く作業に対して礼を言うのでもなく、黙ってテレビの漫画を観て、犬と戯れているばかりでした。私は、これは精神的に治療やケア―を受けなければならない状態にあるのではないか、と後になって思います。

完全な原っぱになっているところ、津波で一階部分だけが浸水した地域、この二か所を観ながら私はテレビになかった、一見大した被害に見えない住宅もまた大きな試練に直面していると思わざるをえませんでした。幸い地域のキリスト教会の若い牧師や信徒が奉仕活動に奔走しているのを見て、長期的に彼らが地元住民と一緒になって地域の復興に力を注いでくれるのではないかという希望を抱きます。

たまたま現場からの帰り、仏教関係の奉仕団のメンバーと浴場で一緒になりました。今のところ宗教関係者は別々に被害者への奉仕活動をしているようです。彼らが信者を増やそうなどという野心を持つのでなく、ただただ住民に仕える、そして彼らの自立の動きに呼応し地域の復興に寄与できるような息の長い活動に邁進してくれることを願うばかりです。

私は悲鳴をあげる腰や膝を抱えて今朝YWCAを出たのですが、作業靴と長靴、寝袋はそのまま置いてきました。またすぐに戻って来ようと心に決めたからです。時間の都合が付けられる人は是非、ボランティア活動に参加してほしいですね。

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