2011年4月29日金曜日

投稿:「脱原発 川崎市民」に向けてのメッセージ

伊藤さんから、5月7日(土)16時からの「脱原発 川崎市民」の集まりに向けてメッセージです。4月24日のデモの後2回に分けて送られてきたものです。いろんな立場や主張があるでしょうが、「脱原発」の一点で一致するのであれば、どんな組織や個人とも協働していきたいと願います。その意味で、登戸のNPO法人・ぐらすかわさきで集まり、これからどうしていくのかということを話し合いませんか(http://www.grassk.org/)。

崔 勝久

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芝公園の24日の『脱・原発集会』は、(30名ほどの)川崎市民のゆるい集まりが目に見えて、一定の意義があったと思います。

5月7日(土)4時、(登戸)”ぐらすかわさき” での(第一回目の「脱原発 川崎市民」)の集り。僕自身は、残念ながら出席できませんが、是非成功させたいと願っています。欠席の穴埋めに、課題と意見の箇条書きですが少し書きます。

(A)原発「推進」の巻き返し。 政権・東電原発勢力がマスコミも抱き込み、崖っぷちに立った危機感を背景に、なりふり構わぬ必死の挽回大キャンペーン。被災民の反感を抑え込み、原発推進は決して頓挫させずに、不退転でやり抜くに違いない。 それはどうやってやるのか?
 
(A)’。超巨額の資産を持つ東電(推定130兆円?)は、雀の涙を「補償」と称して、数百億円くらいでお茶を濁し、また農民・漁民を 懐柔する。産業構造を含めて考えないと、何も変わらないまま、やっぱり「行政と東電にお任せ」で、お仕舞いになって行く。

大きい権力が、経済(雇用)も世論も「金で支配」出来る今の「地域社会」の構造。 その実態を変える道を、この際 どう作って行けるのか・・・?
 
有機農業も漁業も、壊滅的な状態から蘇生して行く道について、運動して来た団体から提案が可能なのか? その答えを、協働で引き出したい。
  
(B)これまでに刷り込まれた、安全だと言う耳障りの良い言説は強い力を持っています。 ・・・こんなに悲惨な事態に至って、なおも!
「ぐらすかわさき」の記事にあった例も。似非教育者の御用団体「TOSS」。周到な”洗脳”教育は恐るべし、です。
 
対抗策なしに、ただ反・原発では戦えない。反対世論をどう普及させるか、「・・・それ(脱・原発)が生きる道、当然の考え方ではないのか?」と言った水準の意見の自然化、または普遍化(市民化)の道を考えたい。「エコ」を看板に掲げる市民団体などは、どう動くのだろうか?

(B)’御用マスコミに批判的な集会(雑誌「Bプラン」、昨年だったか?)で、市民に立脚する報道システムを構築する提案があったと思います。それが実現する事を願い、協力したいと思います。
  
(C)脱・原発の根拠。なんで原発を辞めるべきか、はっきりしているのか?
原子力(核)と言うものは、人間の科学技術では決して制御出来ない。放射能、放射線の「見えない」脅威は、現状の「最終処理」の危うい実態に明らかなように、決して処理出来ず、原理的に克服出来ないです。 
   
良心ある「核・物理学者」にも協力を求め、市民としてこの点の理論的な理解を進めなければ、「日本には資源が無い」とか、「安全レベルを上げる」と言った嘘、ごまかしにまた負ける。(日本共産党も、この非科学のたぐいか)。

(D)政権中枢部は、意図して「科学技術」への過信を原発推進に悪用して来た。
「シロウト」の国民に教育し、安全を刷り込み、もし疑問を持っても”難しくて反論出来ない”心境にさせて、押さえ込んで来た。 これが今までは、大成功だった。しかし、事故が語る「実態」を覆い隠す事は、いまや不可能。

(E)すると、少なくとも「慎重」派が、暫らくは主流になる、と予測。
日本共産党の、情けない「安全」確保論。その妥協的な歯がゆさ・・・。少し我慢することにしますが、 現実的にも、代替エネルギーを進めるべき。市民がヘゲモニーを持って、代替エネの主体として組織をつくり、生産する具体策を決め、ぜひ実行したい(太陽発電)。

(E)’。原子炉が市内にある、原発災害「現場」となる川崎で、共同で知恵を集め、対応を討議する場を立ち上げたい。多くの団体・個人の活動に、確かな頼れる「きずな」となる場へと、進めて行けたらと思います。

・市民大学”原発講座” 或いは、「市民環境(エネルギー)大学」などを組む。谷田部君の「社会教育」に、課題としていれてもらう、など。
 
・自然エネルギー発電を、起業する。その企画委員会結成を、反(脱)原発運動団体にも、広く呼びかける。 

・社会事業組合、社会的起業の構想を検討する。
  
・これらすべて、市民が地域で主体=行動者として、「我が身の問題」をやって行く中で、地域住民主権を具体化する。

・当面、「市内原子炉」調査。また「浜岡原発即時停止(または一旦停止)」の行動に賛同し呼びかける。これで集まる顔ぶれを見れば、現実にどんな協働が可能か、(考えていく)今後のきっかけになる。

以上、まだ思いつきの段階ですが、5月7日欠席の埋め合わせに提起します。
26日投稿した”5月7日欠席の穴埋め”「脱・原発」素案に、追加を書きます。

(F)原子力発電が、なぜ明らかな「危険」論を制して、強行出来てきたか?
原発は、核兵器と同じ原料を使う「産業」だから、「無駄」が少なく!効率的で儲かるビジネスです。核と原発、双子の殺人装置は、戦後冷戦の条件下で、推進可能だったと言えます。
人間を生かすのでなく、生存を脅かす最悪の「ビジネス」として、核戦争システムと相俟って産業界、政治権力ぐるみ、密接な提携を基盤に、稼動して来た。

立地への反対論は、多額の金を代償にした「地域経済の向上」施策に圧倒される。マスコミも、巨額宣伝費のスポンサー東電などにへつらって推進のお先棒を担いで来た。
  
あまりに強力に進められて来たこの現実の前に、平和も反核も、反原発も、為すすべない負け犬状態に甘んじて来たと言ったら、言い過ぎでしょうか。自分への反省と言っても言葉は足りませんが、今は危険が破裂して深刻化する現実をどうするのか、私達の答えを出し、実現して行かなくてはと思います。
  
最近読んだ本(小冊子)、既にご存知かも知れませんが。『原発を並べて自衛戦争は出来ない』。小倉志郎著2007年。このひとは、元・東芝社員。福島第一原発の、原子炉系機器の
エンジニア。  最近、ネットにも登場しています。

ここには、原子力発電と戦争の脅威が、リアルに書かれている。 ネット上では、「ちきゅう座」⇒「スタディールーム」と検索して閲覧できます。水道橋の「たんぽぽ舎」で増刷され冊子として見かけましたが、すぐ配布完了。ぜひ講師に呼んで、具体的な話を聞きたい。

核兵器と原発。戦争と環境(汚染)。これらは関連を意識して批判すべき、との視点から、その実践的な切り口を、期待できたらと思って。

(F)’27日朝日新聞「文芸時評」に、斉藤美奈子さんが「勇気を試される表現者」を書いています。原発震災を念頭に、いくつかの小説を引いて、ある日見知らぬ者の得体の知れない脅しや唆しがあっても、自分の主義や意見を曲げずに言えるのかと。
  
それは原発のみでなく多くの政治問題の、また利害が交差する「社会問題」の、最後の帰趨を決する鍵の事だと受け留めました。
  
常に「強い者」、「金を持っている者」の声が響き、「小さい者」、「弱いもの」の声は届かない。 へたに意地を張れば、自分に不利益や危険が及ぶ。それなら無理をして意見を発表せず、抵抗せず、ささやかな今の利害を守り、大きいものには敵わないと諦め、長いものに巻かれて忍耐しよう。

大衆の生活の知恵に止まらず、知識人や思想家・表現者さえ右へ倣えの、とっくに体験済みの処世訓です。 ついでに、「負け」が保証された処世訓です。降りかかる火の粉を避けようとして、結局ワリを喰うのは、いつでも弱い者、「沈黙した者」また「従った者」です。

今まで繰り返して歴史を左右し、今も選挙や議会(の空洞化)や地域社会の日常を根強く支配している「現実追認、ちからとカネへの服従」の法則。 
  
 ・・・何と表現したら良いかワカリマセンが、この抜き難い受動律を、何とかして超え力を呼び出したい。 

いま「勇気を試され」ているのは、表現者どころか、「当事者」としてのワタシ、私達に他ならないですから。    

「新しい川崎をつくる市民の会」の伊藤

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