2011年4月24日日曜日

東京の真ん中で「脱原発」デモに参加して

「チェルノブイリ原発事故から25年 くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会」を銘打ったデモで、実数として5000人の集会でした。今日は芝公園を出発して新橋まで歩き東京電力の本社に向かいました。厳重な警戒がなされ、しかもすぐそばで日の丸を持った数十人が、震災を口実に日本社会に入り込もうとする外国人を排斥しろとどなっていました。民族・国籍を超え、<協働>で社会の変革を唱える私に「クソ朝鮮人、日本から出て行け」と毒づき、私のグーグルのブログを3回にわたって「削除」させた人間たちを彷彿させてくれました。日本の状況を的確に象徴する風景です。


5000人のデモは、私は現状から判断してとても参加者が少ないと思います。福島県の教育委員会に文部科学省は、「子どもも大人と同様の年間で20ミリシーベルトまで被曝しても良いとする通知を出しました。全国の一般人の被曝の年間基準量でさえ1ミリシーベルトなのです」(今日のデモの決議文より)。数十万人の人が避難しなければならない状態に追い込まれ、未だにいつ自分の住まいに戻れるかわからず、実際、修復の工程表がでても原子炉のどの部分が破損したのか分からない状態で、復旧のめどがたつのか、定かではないのです(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/04/blog-post_24.html)。日本の住民はそれにどうして抗議の声をあげないのでしょうか。

今に至っても、全国の原発施設のある地域での調査によると、原発反対は30%を超える程度、日本政府が安全をどのように宣言するのか見守るというのが50%近いというではありませんか。どうしてなのか、私見では、マスコミを通して福島事故は山場を超えていい方向に行っていると思わされているのでしょう。福島では危機管理がうまくいかなったが、これは「想定外」の津波の所為であり、原子炉も改善されてより安全なものを使うようになると今回の事故から得た管理ノーハウで世界的にも評価されるようになり、これからも原子炉の輸出振興に精を出すべき、実は政財界はこのような方向に進めようとしていると思われます(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/04/blog-post_03.html)。

そして何よりも、今すぐ原発に代わるものはないのだから、危険は全くないとは言えないかもしれないが、原発廃止というのは極端ではないかという意見が圧倒的に多くなっているように感じます。私は福島原子炉4号の設計リーダであった田中さんが講演された内容を昨日ブログで公表しましたが、田中さんは原発は改善ではだめで、そもそもが自然にたいする挑戦であり、どのように改善しても事故は起こりうる、事故が起こるまでは安全、しかし一度事故が起こると取り返しのつかないことになるというご意見でした(「これは、原発推進者たちは事故が起こるまで原発がどれほど危険かが理解できない、事故を起こしてはじめて安全ではなかったことがわかる、ということを、最大の皮肉を込めて言ったものです」ー田中さんご自身のメールより)。

今回の原発事故は、戦後日本社会の根底を問うものです。原発の推進という戦後の日本の方針は、反環境(自然破壊)、平和の形骸化、差別の拡大の象徴であったと私は考えます。だからこそ、今、「脱原発」を唱えるということは、自然環境を守り、武力に訴えるのでなく対話を重ね、あらゆる差別を許さない社会を建設していくということなのです。

前回のデモに参加した川崎の青年はこのような感想を書いています。

「放射能の恐ろしさや原発は、よくない、なくさなければ、と素直に思う気持ちは現実の中ですこしずつ忘れていき、なんとなく反対だけどなんとなく無関心という気持ちで、今まで生きてきました。きっとその生き方が今の原発事故とつながっている、私はそう思います。子どもが危機にさらされて、自分たちの生活がおびやかされて、はじめて、やっとそのことに気がつきました。」

「もう無関心ではいられない。でも何をしたらいいのかわからない。そう思っている人は多いのではないでしょうか。その思いはきっと何かを変える小さな希望です。また、いつでもやってくる無関心に、その思いが消されないように、みんなの思いを、知恵を出し合って、少しでも前に向かって、何か行動をしていきたいと思います。まだ「まにあうのなら」!!」

5月7日(土)午後4時に、登戸のNPO法人「ぐらすかわさき」で集まり、「脱原発 かわさき市民」のこれからを話し合います。

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