2011年3月10日木曜日

「麗しのイタリア旅行9日間」で思うー①ポンペイの遺跡と前原の辞任

「麗しのイタリア旅行9日間」で思うー①ポンペイの遺跡と前原の辞任

結婚40周年記念で「麗しのイタリア旅行9日間」を堪能してきました。駆け足でしたが、ローマ、フィレンツェ、ベローナ、ベネツェア、ミラノを回りました。帰りの飛行機の中で、外国人からの献金を受け前原外相辞任という大見出しを見て、私は、ポンペイの遺跡のことを急に思い出しました。

帰宅してみたら、M社から「前原外相への献金問題について」のコメント依頼が来ていました。「京都の在日韓国人が前原外相に献金した問題が報じられています。産経新聞はここぞとばかり永住外国人の地方参政権問題をたたき、韓国政府高官も影響を憂慮しているとの報道が出ています。しかし、子どものころからのつきあいで、しかも年間5万円、4年間で20万円という善意の献金なのに、政争の具にするべき問題なのかとの疑問がぬぐえません。M新聞16日付けでオピニオン特集を組みたいと思います。もしよろしければコメントをいただければ幸いです。」

それで急いで私は以下のコメントをM社に送りました。
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一昨日、イタリアからの帰りの飛行機の中で知りました。前原外相が外国人からの献金をもらったことで辞職とあり、私は京都出身の彼は、きっと地元の「在日」からもらったんだろうなと思いました。

年間5万円、4年間で20万円ばかりの献金をしたのは、おそらく企業をする人ではないでしょう。政治献金で政治家を利用しようとしたならばもっと多額の金を、それも他人(日本人)を介して出しているはずです。噂では地元の前原を子供のころから知っているハルモニとのことですが、前原外相も、そして何よりも篤い想いで前原外相にお金をだしたハルモニも、悔しいのと申し訳ないという思いで泣くに泣けない気持ちなのでしょう。その心情は察して余りあります。

しかし公職選挙法に外国人からお金を受け取ることを禁じている以上、その違法性を突かれるとこれは弁明しようがなく、前原外相も「将来の可能性」を期して、傷の浅いうちに辞職を決断したのでしょうか。

日本に住む外国人の政治参加をどの範囲まで認めるのか、それはその国の民主度を測るバロメータだと思います。既に条例によって外国人の住民投票を認めている地方自治体は、川崎をはじめいくつもあります。先の名古屋の選挙で、名古屋市議会でペンディングになっている外国人の住民投票について民団が積極的な運動を行わなかったことは残念なことでした。これは国会とか関わりなく、地方議会で決定すればいいのですから。

京都のハルモニの悔しさをどのように受けとめればいいのでしょうか。冷静になって考えてみると外国人の政治参加は、献金や、国会で決議されないことには何もできないというものではありません。これからの日本は地方自治の役割が大きくなります。その為には、「住民主権に基づく住民自治」が確立されていくことが何よりも重要な課題です。日本の民主主義が形骸化されずに立ちいくのかどうかの基本です。私たち「在日」は外国人住民としてまさに、そのあるべき住民自治確立を意識ある多くの日本人住民とともにめざすべきでしょう。勿論、そのときには国会決議とはまったく関わりなく、選挙権・被選挙権をもち、自分の住む地域社会に政治参加する道を切り開いていかなければなりません。

人はどこの国籍をもとうが、自分の住む地域社会で人としての権利を主張し、その地域社会をさらによくするために政治参加する義務と権利があるのです。
                             (以上)
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ローマ郊外のポンペイは、火山噴火のため、8メートルもの火山灰に覆われていたものを掘り起こした古代都市国家です。野外の劇場、広大な広場、裁判所、公衆風呂、パン屋、酒屋、売春宿などがそのままありました。私が思ったのは、このような「質の高い」生活は何によって支えられていたのか、どうしてこのような生活が可能だったのかということでした。現地案内人に詳しく聞いたところ、それは交易によるということでした。

しかしその市民の質の高い生活は奴隷制度によって支えられていたのだと思います。海外から連れてきた外国人と、ポンペイの貧しい人が奴隷になっていたとのことです。勿論、売春宿の娼婦も奴隷でした。2階建の売春宿の壁にはいろんな体位を強いられる女性が描かれ、狭い部屋には石のベッドがそのままありました。浴場には運動をする場、温水の部屋やマッサージ室があり、自由人は無料だったのことでした。あの大きな裁判所があったということは、法律によって日々のもめ事が解決されていたのでしょう。奴隷は浴場や野外劇場へは入場できません。野獣と闘ったり、死ぬまで格闘を強いられるときだけ、彼らは劇場での主役(見世物)でした。その劇場に女性も見物が許されたのですが、最上階だけであったそうです。

古代ギリシャ、ローマの民主主義の時代からフランスの人権宣言にいたるまで、女と外国人、奴隷は「人権」は認められておらず、日本において女性の選挙権が認められたのは、敗戦後です。そして今やグローバル時代、世界各地から人が訪れ、居住するようになりましたが、国民国家の枠はそのままです。

外国人の人権は歴史上、未だにポンペイと同じく、認められていないのです。同じ地域社会で住む外国人もまたそこに住む者として政治参加をし、その社会に貢献していく、そんな歴史上実現されたことのない社会をつくる過程にいる、私はポンペイでそんな自分の課題を強く再認識して帰国の途につき、飛行機のなかで前原辞任の記事を見ました。

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