2011年3月11日金曜日

「麗しのイタリア旅行9日間」で思うー②機内での読書感想、「松田優作」論

成田―ローマ、ミラノー成田いずれも12時間のフライトでした。イタリアでの移動は全てバスで、その間はただひらすら眠るのみ。飛行機に乗るときは、映画と本を読むことに徹します。

今回は、李建志『松田優作と七人の作家たち 『探偵物語』のミステリ』、ロマン・ローラン『ミケランジェロの生涯』、斎藤誠『競争の作法―いかに働き、投資するか』、中野剛志編『成長なき時代の「国家」を構想するー経済政策のオルタナティブ・ヴィジョン』をもっていきました。

李建志については私のブログで紹介しました(「新たな地平を切り開こうとする比較文学の学者、李建志に期待する 」http://t.co/Cuhaiw0)。『朝鮮近代文学とナショナリズムー抵抗のナショナリズム』批判』ではとても新鮮な印象を受けました。しかしそのナショナリズム批判は、2作目では「複数のアイデンティティ」を推奨するかたちになっており、アイデンティティとはそもそも何なのかという切り込みがなく、私には多少、不満でした。そこで今回は、どのように松田優作を取り上げるのか興味がありました。

李建志はTVドラマ「探偵物語」の脚本家7人を取り上げ、その人柄、考え方、時代背景に至るまで見事な分析をします。「探偵物語」はどのような視点から書かれたのかということがよくわかります。そして最後の章で松田優作をとりあげるのです。松田優作が「国籍」を明らかにしなかった時代背景、本人の思い、そして「ナニ人でもない松田優作への飛翔」、「探偵物語」が朝鮮人問題を「隠蔽」した意味などを的確に記します。

李は、「『けんじ』という日本の名前を自称しているのは、自分が韓国人でも、朝鮮人民でも、日本人でもないという意識を表明する意図があるから」という立場です。ナショナリズム批判者として李は書かれたものと映像だけを資料として取り上げて分析するのですが、私には7人の脚本家と松田優作の絡み合いが不十分であると感じました。崔洋一も助監督として関わっていたようだし、客観的な資料だけでなく、脚本家たちとのインタビューをしていればさらに違った松田優作を描くことができたのではないかと思いますがどうでしょうか。

あとがきで李は、「半ば革命家としての」「遺書」、「私のささやかな「闘い」の書」と記しているのですが、まだ早すぎませんか? 「「マイノリティ運動の問題として私が考えていることは、マジョリティのなかの「反体制的」な考え方のひとがマイノリティを『本尊』として祭りあげることで成立する運動、その政治性のことである」と一作目で喝破した人としては。李建志のさらなる「飛翔」を期待します。

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