2011年3月9日水曜日

「続日立闘争」から学んだこと (2) ー朴鐘碩

植民地支配から100年、日立就職差別裁判闘争から40年を迎へて 
「続日立闘争」から学んだこと (2)ー朴鐘碩


果たして日立闘争は、植民地主義に繋がる同化裁判だったのか。貧困家庭で育ち日本名を名乗り、同化した朝鮮人青年を作り出した歴史、日本の戦争責任を問い、私自身の生き方も厳しく問われた。裁判から40年近く経過して民団新聞は、日立就職差別裁判と韓国籍のまま弁護士の道を開いた、2005年12月亡くなった金敬得(キム・キョンドク)氏に触れて、「果敢な挑戦者になろう 新成人の皆さんへ」「常識を覆した先輩たち 同胞たちが今日あるのは「動かざるごと山の如し」と思われた「日本の常識」を覆し厚い壁を突き崩した、多くの若者たちの果敢な挑戦があり、それが連鎖を生んだからだと言えましょう」(2007年1月17日)と社説で掲載した。

1974年6月の勝利判決から3ヶ月後の9月に私は職場に入った。入社当時、私は企業社会独特の雰囲気に押されて、業務に追われ、「民族」差別を同僚たちと話すことさえできない、仕事に没頭するだけの弱い人間になっていた。ある意味で、私は会社・組合に「包摂」されていたというか埋没していた。

「裁判までして日立に入った私は本当に仕事だけしていればいいのか?何かおかしい?」と感じるようになり、思い切って自分の立場を同僚たちに訴えた。その瞬間、目の前は真っ暗になった。間もなく胃潰瘍で1ヶ月入院することになった。入社して5年後の27歳の時だった。

何故、自分は入院する状況に追い込まれたのか?大企業で働く日本人労働者は、何故暑い時は暑いと空調を入れるように会社・組合に要求せず、額から汗を流し我慢して黙って働いているのか?おかしことはおかしいとはっきり言わないのだろうか?

経営者が倫理観を失って犯罪をしても、何故労働者は経営陣を批判しないのか?労働者の権利を守る組合は、労働者の立場になって労働条件の改善を経営者に要求しているか?と多くの疑問を感じ、民族差別と労働者の問題について考えざるを得ない状況になった。

企業・行政に就職すると、当事者の意思と無関係に頼みもしないのに組合に強制加入させられ、毎月、組合費の給与天引き、チェック・オフされる。組合活動に無関心、沈黙していた私は、組合は組合員の権利を守る砦として開かれた組織であるべきだと考え、職場集会で大きな声で発言するようになった。その後、組合は、突如組合員に説明もなく職場集会を中止した。私は支部委員長にも立候補した。組合、会社を無視して組合役員選挙に自分勝手に立候補することは、職場の「異端者」と見られる。

これまで6回挑戦して選挙に敗れ続けた。しかし、労働者の人権を標榜する企業内組合(連合)のいい加減さ、問題点、矛盾、労使協調の実態など見えたことがたくさんある。意外にも当初は予想を超える30%近い得票だった。組合、会社にとって相当な打撃だったようだ。選挙といっても、企業内組合役員選挙は予め役員を決定し、人事異動同様、会社と組合で当選確実な根回しがなされている。組合活動、労働者の人権に関心のない、沈黙している組合員が突如「自主的に立候補」させられて当選するようになっている。これは労使幹部が思い通りに、経営者にとって有利な労働条件を決定するのに役立つ。

組合幹部が提案した議案・方針は、既に会社側と話し合ったのか、結論となっている。それでも一応、民主主義を建前とした「選挙」によって選ばれた役員が集まって、形骸化した代議員制度の下で10億円以上の予算も満場一致で可決する。組合は、組合員の意見、要望を反映せず、春闘・一時金闘争など労働条件改善を求めて会社側に提出し、妥結すれば組合員に押し付ける。ちなみに彼らはこのようなやり方を「民主主義」と言っている。

表面上、組合員の声を反映すると謳い、職場の民衆である組合員の意見を一応聞くものの、予め決めた方針を採用し、最終的には組合員の意見を無視、排除するやり方である。これを包摂と排除という。

ものを言わない、組合を批判しない、抵抗しない組合員を各職場から委員として事前に決定し結論まで準備する周到な根回しは、行政主導の「市民参加」型の諮問会議・外国人市民代表者会議・タウンミ-ティングなどの委員選出と共通点がある。

批判する人間を排除する組織は、例外なく内部において必ず矛盾・問題がある。足元に存在する自らの生き方が問われる、「複雑で難しい」根本的課題を避け、利潤と効率を優先する。組織幹部は、矛盾・問題があってもそれを隠蔽し、弱い立場の人間を孤立するように追い込む。企業社会も弱者が常に虐げられる不条理な格差社会である。この現象は人権運動体含めて組織が肥大化するほど顕著に現れるようだ。

差別に抵抗して人権を求めることは、孤立に繋がる。孤立しても生き方を模索するしかない。孤立、批判を恐れていたら人権運動はできない。人間は孤立に耐えて鍛えられ人間的に成長するのではないだろうか。

選別と競争の中で日々利潤・効率向上を最優先に、絶えず生産工程に追われ、自分の生活を守る、家族を養う、企業社会で生きる労働者は、「人間らしく生きる」ために声を出せる状況ではない。ましてや「他人事」である民族差別・外国人差別を理解する余裕はない。人権研修が始まると業務から離れて「一時の解放感を味わい休息の時間」となって疲労感から居眠りする労働者もいる。現実と乖離した、眠たくなるような「人権研修」は、反発となり排外主義を強化することになる。

つまり、労働者はものが言えない、言わせない抑圧的な職場環境そのものが(民族)差別をつくっているのではないか、と私は気づいた。民族差別と労働者への抑圧は、表と裏で深く絡んでいる。国籍、民族を克服して企業、地域社会をどのように変革していくのか、私自身の課題である。

また、会社と組合の労使協調という「共生」の下で、おかしいことはおかしいとものが言えない、人間性を否定する職場環境と製品の偽装・不良あるいは人災事故は深く繋がっているのではないか。
新自由主義の下、市場原理に基づいた利潤追求、早期開発、経費・人員削減、効率向上など上からの押し付けは精神的負担となって労働者を追い込む。

矛盾や疑問を感じても沈黙して抵抗せず組織に従い、組織・幹部の指示が全てに優先するという風潮・価値観が企業はじめとするあらゆる組織の癒着・不祥事・事故を起こす原因になっているのではないか。組織、企業の不祥事、事故を防止するためには、会社経営・組織のあり方を根本から捉え直す必要がある。

健全な開かれた会社・組織するためには、属する人たちが「個」として自立し、立場を越えて不正・不義を訴え是正しなければならない。しかし、目に見えない、立ちはだかる厚い壁にぶち当たり、良心の呵責を感じ、悩み、妥協している人も少なくない。人間らしく生きるために最後まで何を失ってはいけないのか自問し、生き方に悩み、日々決断を迫られながら私は静かに働いている。

自らの足元で開かれた社会・組織を求めて具体的な闘いを、他人のためにやるのではなく自分のために孤立してでも地道に続けること、それが人間らしく生きるということであり、新しい歴史を作ることになるのではないかと自分を慰めるしかない。

たとえ失敗や後悔があったとしても、歴史の不条理に立ち向かい、日立闘争のように人権は上から与えられるものではなく勇気を奮い立たせて、自らの存在・生き方を賭けて獲得するものであるという開拓者精神で、胸を張って歩み続けることが大切である。西川長夫教授が言うように「戦後とは植民地であり、私たちは現在の植民地主義に対して闘わなければならない」と改めて強く思う。

民族差別の不当性を訴えた日立闘争というのは、結局は人間が人間として受け入れられる、開かれた組織、地域社会を求める闘いであった。これは私の「続日立闘争」から学んだ一つの成果である。

0 件のコメント:

コメントを投稿