2011年2月4日金曜日

「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。

長谷川亮一『『皇国史観』という問題―十五年戦争における文部省の修史事業と思想統制政策』(白澤社、2008)を読みました。私はこの本は、「皇国史観」と「15年戦争における文部省の修史事業と思想統制政策」にターゲットを絞っているものの、日本の「国体」とは何であったのか、そしてそれは現在においても、「その時々の状況に合わせて都合のよいように変質している」だけなのではないのかという問題意識に基づいて書かれたものと受けとめました。

小熊英二は膨大な資料を駆使して日本の「単一民族論」が時代状況に応じて出てきた便宜的なものでしかないことを証明しました。長谷川は学部、修士、博士論文で一貫して「皇国史観」をとりあげこの著作に至ったと述べています。私はこれまでの自分の理解がいかに断片的なものであったのか、例えば、「八紘一宇」とは何かについて、それがどのような時代背景の下で、どのような考えによって流布されたのか、そしてその概念そのものも日本書紀の字面を利用して「作り上げ」られたものであるのかということがよくわかるようになりました。

「皇国史観」、これを私は「植民地主義史観」と捉えていましたが、戦後民主主義の時代になり、「皇国史観」は徹底して批判されて来ました。そして完全に過去のものと思われています。しかし実は、「皇国史観」とは何であったのか、これまで十分に検証されていなかったというのです。長谷川は、「国体」とは、天皇制を柱として「対内的には異民族支配・異民族統合を正当化すると共に、対外侵略を正当化する理念」であり、そして「皇国史観」は、「一九三0年代以後の対外侵略と国民統合・国民動員の正当化の必要に応じて、(日本書紀などの)一連の書物を恣意的に取捨選択しながら作り上げられた歴史観」と簡潔に整理します。

文部省に動員されて歴史書作成に協力していった歴史学者はある意味、戦争への「協力」を求められたと見ることができるのでしょうが、その「戦争協力」の度合いに濃度差があったとしても「戦争責任」は曖昧にされてはならない、同じ歴史研究者として長谷川はその点を自分の問題として受けとめようとします。しかし長谷川は先人を弾劾するのでなく、自分も同じ道に陥ったかもしれないという可能性を見つめながら、先人の言論を丁寧に読み込み批判します。

日本の各団体、運動体も戦前戦中、自身の運動課題の実現のため(という口実で)、こぞって戦争に自ら進んで協力していったにもかかわらず、その責任は追及されず問題点は曖昧なままになっています。部落と女性の解放運動、労働運動もしかり、日本のキリスト教会も同じです。戦争責任告白をしたもののそれは聖職者間での議論に留まり、実際に朝鮮、中国その他のアジア諸国に行き殺戮、侵略行為をし日本の領土拡大をよしとしてきた一般信徒の間でその告白文をめぐる論議がなされませんでした。そして今ではその戦責告白は有名無実化されています。

「皇国史観」と「国体」に対してその当時の文化人、知識人はどのように考えていたのか。辺見庸が鋭いのは、嬉々として軍の慰問に行く文化人の問題点を鋭く見据えながら、自分であればどうであったのかと捉え返し、過去の人を安易に糾弾していない点です。それは、先人を危機的な状況にある現在に生きる自分にかぶらせて捉え、その中で不十分であっても自身の歴史に対する責任を全うしたいと本気で考えているからでしょう。

中野敏男によれば、戦後いち早く日本人の「主体性論」を記した、あの大塚久雄と丸山眞男が自ら戦争協力をするという姿勢を見せなくても、当時の時代状況を無意識にせよ肯定的に反映させた論文を書いていたと言うのです(『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任』)。中野の指摘の通り、彼らの戦後の主体性論が、アジアの植民地支配被害当事者を視野に入れず植民地主義の問題を正面から取り上げない水準で展開したことと無縁ではありえないでしょう。

責任問題を含め、社会と自分自身を厳しく検証せずに過去のことを曖昧にしている最大の問題点は、現在の歴史状況、動向に関して過去と同じような曖昧な態度をとっていることです。長谷川が最後に記した、「国体論がその時々の状況に合わせて都合のよいように変質している」という箇所に私は凍りつきました。

そうだったのか、戦後の日本社会というのは植民地を失くし、日本国統合の「象徴」となった天皇制を柱とする体制をそのまま残し、今の状況に都合よく変質した「国体」だったのか。そう考えると憲法一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国統合の象徴であって、この地位は、主権の存在する日本国民の総意に基く」はなんともやりきれないものに見えます。はやりこの国は、外国人を「二級市民」として受け入れながら、日本人によって成り立つということを全ての前提にしているのです。

横浜の自由社版教科書のことが気になります。横浜全市の中学でこの教科書を使わそうという動きがあるのはどうしてなのでしょうか。これは特殊横浜の問題ではありません。教科書の記述が子供に与える影響が云々されますが、私は長谷川の著作を読み、教科書の記述内容の問題に留まらず、教科書を代えようと画策する人たちが何を企んでいるのかを明らかにすることが重要だと思いました。

それは現在の「国体」の質に関係し、現在および将来の国民国家日本の新たな植民地主義戦略にとって必要なイデオロギーを歴史教科書において正当化し、国内統合を求めようとするものではないでしょうか。その一つが「多文化共生」です。外国人が急増し(外国人労働力を必要とし)、海外市場の拡大を求め、海外企業に資本参加して利益を求める大企業の動向、その方向に国家戦略を定めるには、過去の植民地支配は全否定ではなく、やり方に問題があったが、根本的には正しかったという国民的なコンセンサスが必要なのでしょう。しかしそのような手前勝手な認識を中国、韓国その他のアジア諸国が認めるでしょうか。

長谷川の著作の「おわりにー戦後への展望」には主張を裏付ける資料があるわけではありません。これを欠陥とみるのか、問題意識の発露とみて今後を期待しようとするのか、評価がわかれるでしょう。私は後者に与します。

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