2011年2月2日水曜日

日立の労働組合の実態ー朴鐘碩

「企業内植民地主義」 NO.1 朴鐘碩

The worst sin towards our fellow creatures is not to hate them, but to be indifferent to them: That’s the essence of inhumanity. George Bernard Shaw
(ほかの人間に対する最悪の罪は、彼らを憎悪することではなく、彼らに無関心でいることだ。それこそが、残酷さの本質だ)

「職場討議資料 2011年総合労働条件改善闘争の取組みを主要議題とする電機連合第97回中央委員会議案に関する日立労組見解」を掲載した有料(購読料は組合費の中に含む、1部6円)の機関紙(HITACHI UNION NOW)が、組合員に配布された。「日立労組中央委員会はていきされている議案について慎重に検討した結果、次の見解を以って臨みたいと思います。各支部・分会・単組においては、本見解について十分な職場討議を行うよう要請します」

これまで企業内日立労組の実態について書いてきた。改めて機関紙から問題点をいくつか列挙すると、
1.(私が抗議するから)機関紙は、組合員が不在時に説明もなく配布されるようになった。
2.組合は、「職場討議資料」である機関紙に記載されている議案内容を一切説明しない。
3.組合員に「職場討議」を求めておきながら、議案は「結論」として位置づけ、3万人を超える組合員に配布している。
4.「十分な職場討議を行うよう要請します」と書かれているが、支部、分会、単組は職場集会を開かない。職場討議は一切なし。
5.議案内容の説明もないのに、組合員は何を討議すればいいか、何もわからない。
6.議案内容が記載されず不明なのに、見解は「特に問題ないと考えます」と結論付けている。
7.全ての議案は、組合員の討議を待たず「原案支持」と記載されている。
など、機関紙が配布される度に多くの疑問が沸いてくる。しかし、組合に質問する組合員はいない。定年が近い組合員である私の質問、意見、要望は、依然として無視されている。

機関紙は、一部の組合幹部が勝手に決めたことを伝達する組合員への「通知書」である。「議案は全て満場一致で可決したから、組合員は黙って従いなさい。組合員は余計なことは考えないで、業務に集中して組合費だけ納めればいい」と暗に伝えている。

定年近くなれば、ものが言えない組合員は、我慢して「円満退職」するまで時間に流されていくようだ。「不条理なこと、おかしなことがあっても、波風立てないでおとなしく定年まで我慢すればいい」だけかも知れない。定年近くまで組合員の位置で働く(管理職になれない)エンジニアは稀である。ある年齢に達すると、多くは関連会社への出向、天下りあるいは管理職に昇格する。

日立労組は、組合員の声を無視して全て上から決定していることがわかる。組合員は、機関紙を読まず机上に放置、あるいはそのまま廃棄処分にする。機関紙、議案の内容と関係なく一日の業務に追い込まれ、職場の雰囲気に呑み込まれていく。

組合活動は、組合員の置かれている現実、直面している問題と乖離している。生産活動に従事せず、組合費で生活し、現場と「別世界」にいる組合幹部の日常行動は不明である。現中央執行委員長は、私が勤務する職場の委員長だったが、「昇進」した。支部委員長選挙で私と競い議論した相手である。

今年4月の統一地方選に向けて、横浜市議会議員選挙立候補予定者の選出決定は、候補者自ら「昨年11月30日開催のソフト支部第7回評議員会にて横浜市会議員候補(戸塚区)予定者として御承認を戴きました」と支部労組発行、新年号のチラシに書いている。組合員の中には、「職場で何も知らされていない。なにも話し合っていない。誰が決めたのか。個人で立候補すればいいのに何故組合が組合費を使って応援する必要があるのか」と内心反発し、怒りを感じるものの組合に抗議することはない。

評議員会は、労使双方で職場から予め組合員を指名して、対立候補が出ないように仕組まれた「選挙」で決まる評議員の集まりである。評議員は、組合員の意見を聞かず職場組合員の「代弁者」となっている。その「代弁者」は、評議員会で何も発言しない。上から提起された議案に「賛成」の意思表示をするだけである。組合の独裁的なやり方を批判し、議案に反対することはない。このように議案は全て「満場一致」で可決できる仕組みになっている。これが企業社会の労使一体を前提とする、全体主義という「民主主義」である。

毎年、私は評議員に立候補しているが、残念ながら当選したことはない。当選できない、させないように組合も会社も事前に準備しているようだ。当選しないことはわかっているが、それでも立候補することに意味があると自分を慰めている。

評議員に立候補させられ(し)た組合員に、「自らの意志で立候補したのか、何故、立候補するのか、組合に不満があるのか、どのような組合を作ろうしているか」などの所信を尋ねると彼らは困惑する。沈黙が彼らの返事である。普段、組合に関心もない、ものが言えない後輩の組合員が選挙になると突如立候補させられる。彼らに質問し所信を聞く私が浅はかだった。

企業の正規労働者は、組合員の声を無視し、全て勝手に決定する企業内組合に強制加入させられ、組合費を給与天引きされる。「組合費は税金」と言う組合員もいた。組合を脱退する自由はない。脱退すれば最悪解雇に繋がることもある。組合員は生活できなくなる。文句・苦情を公に訴えれば組合・会社から睨まれ、昇進の妨げになるかも知れない。それより毎日、抑圧的な企業社会の職場環境で取り繕った笑顔を失わないで共に仕事する同僚、上司の冷たい視線に耐えられるだろうか。企業社会で生き延びるためには黙って我慢するしかないのだろうか。しかし、沈黙は「企業内植民地」体制を強化する。

昨年末、西川長夫教授は、植民地主義研究会で「この問題は奥が深い。考えれば考えるほど行き詰まって泥沼に入る。出口が見つかるのか」と語られていました。教授の「国民国家論の射程 あるいは<国民>という怪物について」(柏書房1998年)に(企業内)労働組合をはじめ人権運動体の「反体制運動はなぜ体制化するか-世界システム論的観点から」と、私が知りたかった内容が書かれています。

「反システム運動は、資本主義経済の政治的構造と世界ブルジョア階級の自信を根底から動揺させてきた。しかし、まさにその成功、部分的成功のなかで、これらの運動は資本主義世界経済とその上部構造、すなわち国家間システムを強化してきた」
「反体制運動はなぜ体制化するか。自由民権運動がなぜ国権に、ナショナリズムにとらわれてしまうのか、その必然性といいますか、これはもっと広くわれわれの戦後50年に、われわれが知っている世界の、あるいは日本の歴史過程をずっと見ていっての一つの悲しい結論でもありますが、反体制運動はやがて体制化する、そういう教訓をわれわれは学んでしまった」
「反体制の運動であるから国民国家批判になるかといえばそうではないわけで、むしろ反体制の運動であるからこそ民衆を巻き込んで国民国家を助ける。ナショナリズムを強化するような機能・効果を持ってしまった」と書かれています。

企業内労働者は、生産活動の歯車の一つである。生産から得られる莫大な利益は企業、国民国家を支え強化する。戦後65年、企業経営者、労働運動の戦争責任を不問にしたことは、企業社会から民主主義、言論の自由を追放し、反体制運動を体制化したことにも繋がった。(教育)労働者は沈黙し、ものが言えなくなった。反体制運動が、いつのまにか多くの住民・市民を巻き込み、体制を強化するあるいは補強する運動にもなっている。植民地主義を強化する「労使協働」「共生」のスロ-ガンは、そのシンボルである。

「労使協働」「共生」の矛盾と問題点は何か、を知るには、属する組織が真に開かれた質を持っているか自らの生き方を賭けて確認することかも知れない。

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