2010年12月24日金曜日

「植民地主義」研究会に参加してーその2   朴鐘碩

「植民地主義」研究会に参加してーその2 朴鐘碩

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」HP掲示版より
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.htm

思い出深い、研究会でした。

西川長夫教授は、青年、学生たちが不況社会でどのような生き方をするのか、展望は持てるのか、重要な課題であると思われたようです。「この問題は奥が深い。考えれば考えるほど行き詰まって泥沼に入る。出口が見つかるのか。参加した学生、若い人たちの声、感想を聞かせて欲しい。」と語られていました。

加藤千香子教授は、「続日立闘争」と「植民地主義」との関係に注目されたようです。

翌日、西川長夫教授は、19歳で始めた裁判に触れ、「よく学生たちに声をかけたね。学生たちもよく応えた。」と笑顔で話され、「今の時代だったら裁判できたかどうか?わかりません。」と当時を思いながら私は応えました。

西川先生ご夫妻、パ-トナ-の大学時代の友人2人、それに私たち6人で昼食を共にしました。友人とパ-トナ-は、このような機会が得られたことを喜んでいました。研究会に参加した友人は、「昨日、学生たちは身を乗り出すように真剣に聞いていましたね。今の世の中、学生の就職は深刻な問題です。パクさんの話と本(「日本における多文化共生とは何か」)を読んで「多文化共生」の意味が理解できました。とても分かりやすかった。パクさん変わりましたね。」と感想を語ってくれました。

西川祐子さんは、「長夫さんの理論は、現場で鍛えられる必要があると思います」と述べられていました。2日間でお別れするのは辛い京都での研究会でした。
私は、研究会で学んだことを支えとして、新たな気持ちで翌日から現場に向かいました。

現場は、日立労組が組合員の声も聞かず、すでに「2011年春闘の基本方針」を決めていました。相変わらず組合員に説明せず、組合員が不在時、机上にチラシ置いていました。それでも組合員は沈黙しています。企業内植民地主義は、待ったなしで容赦なく、ものが言えない労働者に重くのしかかっています。

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