2010年11月14日日曜日

政府の「多文化共生」政策の思惑と地域における実態、その乖離―「同時代史学会」で想ったこと

昨日、立教大学で「同時代史学会」研究会がありました。発表者は、一橋の博士課程の和田圭弘さんと、立命館の非常勤講師の山本崇記さんの二人でした。和田さんは「1960年代の在日朝鮮人朝鮮語文学圏の金石範―比較リアリズム文学」に向けて」、山本さんは「高度成長期における在日朝鮮人と福祉運動―都市下層社会の変容から考える」という内容の研究発表でした。

金石範は在日を代表する作家であることは間違いなく、その作家の文学論を「リアリズム」と本人が主張している背景を中心にした発表だったのですが、コメンテーターの説明から、「リアリズム」論は北朝鮮の金日成体制の確立過程と在日の組織との関係、またその組織から離脱する本人の立ち位置との政治的な絡みの中で考えられ、文学論としてのみ捉えるべきではないということを知り、納得です。

私としては、まず「在日文学」というカテゴリーの設定が気にかかりました。金達寿以降の在日作家を「在日」というくくりでカテゴライズできるのか、私には疑問です。また、金石範に関しては、在日社会における彼の果たした役割をプラスの面だけでなく、マイナス面を含めてさらに徹底した研究がなされればと思いました。

山本さんの発題は、京都の非差別部落の中の朝鮮人がどのような位置にいるのかについて知ることができる、大変興味深いものでした。「多文化共生」という単語さえ、地域においてはハレーションをおこすという発表者の意見で、地域に住む「在日」が本名で権利の主張をして、被差別部落の運動の中にある民族差別や差別意識と対峙する活動が簡単でないこと、地域運動として地域の変革に関わる「在日」の主体がどのような意識をもっているのか、それと既存の民族団体との関係、在日韓国教会との関係、またその地域出身の「在日」が労働者と自己規定し運動を進める場合の地域社会との関わりなど、さらに意見交換を続け交流を深めたいと思いました。

今日のタイトルは、平成21年4月1日の総務省自治行政局国際室調査による「多文化共生の推進に係る指針・計画の策定状況」(参考資料4)と山本さんの話し、及びその地域の中でカソリックの司祭がはじめた「地域福祉センター」が発行した資料を合わせて付けたものです。

地域としては、被差別部落の中で「多文化共生」という単語さえハレーションを起こし、「在日」としての自己主張が簡単ではないという状況下で、そのセンターの記念誌では、「真の多文化共生」は「異なる多様な国籍や出自の者」だけでなく、「さらに異なる多様な心身の状態にある者」が「お互い尊厳ある人間として認めあいながら、地域社会の構成員として豊かに生活すること」と、もはや「多文化共生」という言説を超えるような位置付けがどうしてなされているのか、その背景を考えると、総務省が強調してきた「多文化共生」施策に対して、1847(都道府県47、市町村1777、特別区23)のうち、「多文化共生」を策定していない、今後もその予定がないが、77%を占めている実態が見えてきます。

すなわち、政府は「多文化共生」という旗を振るのですが、実際の地方自治体においては、予算や首長の意識から、その施策は具体化されるどころか、関心さえもたれていないということです。しかし予算がつくので、外国人の居住地域では「多文化共生」という名で「事業」を展開することが模索されているということのようです。「多文化共生」施策が、本当に地域社会の変革につながるのか、外国人施策として特化されて終わるのか、「多文化共生」という単語に惑わされないで、地域社会の実態を直視する必要があると痛感します。

また西川長夫さんの本を読みなおすなかで(『<新>植民地主義論―グローバル化時代の植民地主義を問う』)、「多文化共生」の「文化」とは何か、それは国民国家の成りたちとも関係し、国家・民族の独自性の強調で異なる者の排除を前提にしたものであった経緯を考えると、安易にこの言質を使うことは慎まなければならないのではないのか、改めて考えさせられます。みなさん、いかがでしょうか。

それと若い研究者が中心の学会であったのに、私のような「在日」の現場からものを言い、具体的な行動を考えている者に対する関心がないようで残念でした。アカデミニズムの世界で生きようとすれば、現場に関わるべきであるということでなく、生きている現実の世界への関心を持って研究を深めてほしいなと思いました。これは私が歳をとってきたということなのかしら・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿