2010年3月13日土曜日

橋下大阪府知事の圧力に朝鮮学校は?

鳩山首相に比べると、橋下は直截的で、はっきりしています。彼は、朝鮮学校に対して北朝鮮に直接つながる組織である総連にはっきりと決別を求めました。朝鮮学校を訪問し、「民族に誇りをもって一生懸命やっているのはわかった」としながら、学校側に「自由を求めるのか、公金を求めるのか。どちらかを選んでほしい」とつきつけたわけです。

勿論、「自由」を選べば、これまでの外国人学校振興補助金(東京の5倍の額)を打ちきる、おかねがほしいのであれば、国が無償化の対象にしなくても(その実現までの間)支援をするというのです。露骨ですね。その前提は、北朝鮮は、拉致事件を起こしミサイルを向ける敵国で「制裁」を加えるべきであり、そのような敵国の組織である総連と関係する学校は、教育内容に関わらず、支援すべきでないということです。

総連とは、寄付金を受けない(=北朝鮮からの支援金を受けない)、総連行事に学校幹部は参加しない、学校内で北朝鮮指導者の肖像画を掲げない、政治的な中立性を保つと要求しています。学校側は法人が運営していて理事会にも評議会にも総連の関係者は一人もいないと苦しい説明をします。しかしそれでは橋下には通じません。結局、学校側は父母会、総連と相談し決断するしかないでしょう。私は橋下の要求を拒むことはできないように思います。

「在日」の歴史を知る者は、解放後、総連がどのようにして民族学校を作り、闘い、守ってきたのか、そしてそれは分断された祖国の動向と不可分であることはよく知っています。私が40年前に記した、民族意識にも1世がもつ素朴な民族意識、国民国家に属する者としての国民意識、被差別者としての民族意識があるということが思い出されます。民族学校は国家と切り離されることなく、民族意識は国民意識と一体化されてきました。朝鮮学校は民族教育とは何なのかの根本を問われるようになるでしょう。この点については改めて自分の考えをまとめます。

東京都の石原や、鳩山は橋下の動向を見守り、即それに便乗(利用)するでしょう。朝日によると鳩山は最初から朝鮮学校を無償化の対象からはずし、今回の第三者の検証機関の設置は無策の口実であるとも伝えています(検証の基準も定かでないのに)。官僚はどちらでもよく、政治家が決めてくれれば仕組みや理屈はどうにでもできるとうそぶいている(予算枠は既にとってある)そうです。

民族学校の教師や子供を学校に送る父母の想いには頭が下がります。あの薄給で、あの高い授業料で、どうしてあんなに熱心に教育に関心をもち続けることができるのか。私は「素朴な民族意識」が生き続けているのだと思います。しかし「地域再生」に向かうには、それでは不十分です。人間としてのあり方、あるべき地域社会に向けてのコミットメントは、国民意識・素朴な民族意識からは出てきません。自分の生きる社会の変革の当事者になる生き方は民族意識とは別、と私は考えます。また叩かれますね、きっと。

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