2009年8月16日日曜日

「沖縄」「ハンセン病」を社会化・歴史化する伊波さんのお話を聞いて



伊波敏男さんの「花に逢はん」を読んで

8月13日、川崎のいさご会館で「平和を願い記憶しよう8月15日」という集会がありました。1部は戦争体験をした方々の想いが詩の朗読形式で語られ、2部は、沖縄の声「小さきものの視座」というタイトルで伊波 敏男さん(作家、信州沖縄塾塾長)の講演でした。

私は恥ずかしいことに伊波さんのことはこれまで知らず、ハンセン病の感染と沖縄からの「脱出」の経験、そのときに地元に密着した医療の重要性を痛感して基金を作りフィリピンの支援をしているというお話を伺いました。100年にわたる「隔離政策」と、法成立後も残る偏見についての社会の責任を淡々と語られました。

私が驚いたのは、伊波さんのお話は厳しい内容ながら告発的な響きは全くなく、さらにそのうえで、被害者性の強調だけでなく、一般論でない、個別具体的な加害者体験が語られなければならないと強調されたことでした。伊波さんはどうしてそのようなことを話されたのか、「沖縄」と「ハンセン病」の話は「被害者」の立場に立つものであるはずなのに・・・1部の戦争体験者の詩形式の内容もまたリアルで心を打つものであったが故に、氏の加害者性の強調は意外な感じがして、それがどこから来るものなのか、私は伊波さんの自叙伝ともいうべき『花に逢はん』(人文書館)を読みました。

加害者性ということでは、私は野田正彰の名著『戦争と罪責』(岩波書店)を思い出します。中国で日本人戦士たちがどのようにして自らの加害者性を自覚するに至ったのか、また戦後の若い世代では、元日本兵とフィリピンの被害者とをビデオで結ぶ努力をしている神直子さんたちの活動が念頭にあった私は、彼女から、元日本兵から具体的な加害者体験を聞き出すことの困難さを聞いていました。日本キリスト教団の戦争責任告白が発表されたものの、地域の個教会のなかで信者の加害者体験が語られることがなかったことを思い出していました。

伊波さんの自叙伝の中からは、どうして加害者性を強調するに至ったのか、その記述はありませんでした。本は圧倒的な迫力で迫り、私は何度涙したかわかりません。まだお読みでない方に是非、一読を勧めます。氏が日本人の加害者性を意識するきっかけが何なのかその本からは見つけ出すことはできませんでしたが、「石を踏んだ足の痛さでなく、踏まれた石の痛み」をいつの間にか発想の基点にする、「習い性」が身についたとする記述に、私は思わず、立ち止まりました。

そうか、「踏まれた石の痛み」に思いを抱けば、それは当然のこととして、日本の植民地支配によって踏みにじられたアジアの人々への思いに至るのは当たり前のことではないのか、自分の痛みを個人化しないで、歴史・社会化すれば、それはアジアの人たちの「痛み」につながる、「ハンセン病」と「沖縄」は国民国家として植民地主義の結果であり、今もそうであることを伊波さんは心から感じてそれを語ることで理論化し、加害者性を強調されたのではないか、そして観念的な贖罪論や、新左翼の観念的な加害者論に陥らないように、具体的な加害者体験の告白の必要性を強調されたのではないか、私は本を読み終えてそのことを考え続けました。

信州の地で、「沖縄」「ハンセン病」「フィリピンの医療」を語る伊波さんの活動と、私たちの闘いは間違いなくつながる、私はそう確信しました。それには「在日」の被差別体験の歴史・社会化を徹底してやりぬかないといけない、国民国家論に吸収されない、現実的で地域に足をつけたものにしていかなければと改めて思いました。

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