2009年5月11日月曜日

「在日の特権を許さない会」(「在特会」)の背景―日本の右傾化について

東京で地域活動をしているMさんからメールがはいりました。
「在特会」の存在、その活動内容を知ったのも、Mさんからでした。
「在特会」のような動きがどうして出てきたのか、それを日本の
右傾化という脈略で解説してくれています。今後もMさんの現場
での活動や、韓国との運動の連携から見えてきたものを報告して
いただければ、みなさんにお知らせします。

崔 勝久

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「在日の特権を許さない会」(「在特会」)の背景―日本の右傾化について

簡単に私の来歴とこの間の右傾化についての考えを述べてみます。

私が様々な運動に関わり始めた二十数年前は、韓国では民主化運動が全斗煥政権を倒し、日本では指紋押捺拒否への支援が一定数の市民運動や学生運動として存在し、91年の在日三世の法的地位協定を巡って日本人が在日朝鮮人と共闘をしていた時期でした。

私のいた大学では様々な反差別運動が地道ながら堅実な基盤を持っており、時代情勢もあって私も日韓連帯・指紋押捺拒否闘争をはじめ、部落解放運動、障碍者解放運動その他の多くの運動と出会いました。その当時も、もちろん世間には排外主義的な差別意識はあったわけですが、社会常識としてそれはいけないという共通理解はあったように思います(もちろんそこに至るまでの先人の長い闘いの積み上げがあったればこそです)。それ故にこそ、差別意識の現れは差別落書きや人気のないところでのチマチョゴリ切り裂きなどの隠微な形をとったとも言えます。

位相が変わったと感じたのは90年代に入ってからです。湾岸戦争の頃に既にその兆候は見られたのですが、現在につながるバブル崩壊後の貧困――格差問題が顕在化するにつれて、「国家を背景にモノを語る」人が増えたように思います。ご存じのように90年代は、冷戦構造解体後の世界的再編成の時期で、米軍再編、日本ではとりわけ第一次朝鮮核危機の際に、戦争を想定したアメリカの1500項目を超える対日支援要請があり、これが後の日米安保再定義・有事法制・改憲・日の丸君が代法制化へとつながる契機となりました。以降、10数年で日本社会はとんでもなく右へと舵を切るわけですが、ここで問題にしたいのはこれを支えた社会的意識の変容です。

結論から先に言えば、経済不安・社会不安を持つ、先の見えない不透明感に苛まれる特に若年層にとって、その捌け口となりかつ寄る辺となるものとして「国家」や「民族」といったナショナルなものが援用されたのではないでしょうか。80年代の日本社会が「一億総中流化」と言われ90%が自身を中流と認識していたのに対し、90年代以降は「中流からの没落への恐怖」に囚われていると言えるかもしれません。

私が日々接する若者(どのような層か関心のある方は「自由と生存のメーデー」ないしは「反戦と抵抗の祭り」で検索をかけてみてください)は、ロクな仕事がないという日々の困難とともに、自らが子供の時に享受していた生活水準を維持できない――平たく言えばまず間違いなく親よりも貧しくなることが自明な――将来への漠然とした不安と、社会的なポジションを認められないことへの不満(承認欲求とでも申しましょうか)を抱えています。

そのような状況では、自分の苛立たしい現実を作り出している「敵」を探しだし、かつそれを排撃することが承認欲求をも満してくれる、「国民/非国民」という分岐線が魅力的なものに映るのでしょう。街のごろつきで白い目で見られていた若者がヒットラーユーゲントに入ることで誇りを持てたのと同様に。

民族差別とは違う現れ方ですが、一昨年に一時話題を呼んだ赤城智弘の「「丸山真男」をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」なども同根かと思います。

粗く要約すると、田舎で自分に仕事がないのは先行する団塊世代が社会的富を専有していているからで、強者である団塊世代は後続世代に恩恵を施すべきである。それがないならば、希望は戦争とならざるを得ない。戦争による混乱となれば社会が流動化するからだ。第二次大戦中、学のない上等兵=持たざる者が二等兵のインテリゲンチャ丸山=持てる者をひっぱたけたように――。この場合の敵は「世代」となっています。「不当に奪われている」という被害者意識の構図も同様です。

先日、立川自衛隊官舎ビラ入れ弾圧への対抗運動を支援している若い友人(20代後半)と、ここまでに書いた内容について話した時に、彼が面白い視点を提起してくれました。いわく、「今のネット右翼と呼ばれる層の排外主義は、基本的に弱者の運動」「自国の優越性を言うよりは他所の文化も認めるから日本を侵害しないでくれという、ある意味で文化相対主義――『多文化主義』である」。だからといってその排外主義が問題ではないわけではありませんが、旧来の街宣右翼のそれとは、やはり位相を異にしているように思います。

先述したように、自分は国民(マジョリティーを意味する他のものも代入可)としての責務を果たしているのに、義務を負わない者に「不当に奪われている」という気分が蔓延している中では、相当な困難を日々感じています。

私も微力ながら続けている地域での反戦・反治安運動も、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」「犯罪被害に遭ったらどうしてくれるんだ」などの、あたかも自分は守られる市民側、敵は外にあるかのような物言いに無力感を感じることがままあります。それでも「そうではないだろう」と声を上げ続けるしかないのだろうな、と思っています。本当の敵(この場合は制度的なものだけではなく、文化など幅広い意味を持たせています)とは何かを提起し続けることで、本来敵対するものではない者同士が手を結べるような関係の変化を模索してゆきたいと考えています。

仕事の合間につき、またしても粗雑な論の展開で申し訳ありません。ただ、多忙かつ学者でも専従活動家でもない身ゆえ、まとまった文章を書くのは困難なのです。だからと言って声をあげないのも如何なものかと思い、乱文乱筆を書き散らしております。
ご容赦いただければ幸いです。


蕨での在特会の件は、後日改めて文章をお送りします。
それでは。

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