2009年2月14日土曜日

西川長夫教授著作「<新>植民地主義論」 / 朴鐘碩

西川長夫教授著作「<新>植民地主義論」 / 朴鐘碩
「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」掲示板より
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index.html


「国民国家」「多文化共生」の歴史的な意味を問う立命館大学大学院・西川長夫教授が横浜国立大学で講義します。また日本の先端「共生」都市と言われる川崎を訪れ、地域で社会運動に関わる人たちと意見交換し、交流の場が設定される予定です。

私は、日立就職差別闘争、地域活動を経験し、大資本・多国籍企業の一つである日立製作所で働きながら生き方を模索しています。企業社会の矛盾・問題点を考え、西川教授の著作「<新>植民地主義論」グローバル化時代の植民地主義を問う」を読みました。川崎市(だけでなく自治体・連合組合・運動体など)が何故、「共生」を推進するのか、その(組織的)背景が見えたような気がします。また、この本は、世界の歴史的考察に基づいて、<新>植民地主義の抑圧の下に置かれている人間の視点から社会(人権)運動のあり方を問い、今後の活動に多くの示唆を与えてくれると思います。

私がこれまで地域や職場で過度に「民族差別」について悩んだこと、理解できなかったことを見事なまでに吹き飛ばしてくれたような気がします。以下の内容は、「<新>植民地主義論」から重要と思われる部分的抜粋です。勝手な引用ですので、西川教授が「あとがき」で書いているように、「実生活の中で<新>植民地主義の圧力をひしひしと感じているより広範な読者」である皆さんに購読を薦めます。

・「植民地主義には近代のあらゆるイデオロギーがかかわっている」
・「女性は「最後の植民地」という言い方を借りるなら、国民は広大な「最初の植民地」であった」
・「異文化交流のパラドクスは、国民国家の矛盾的な性格を映しています。近代の国家はほとんどすべて、国民主権と国家主権を前提とする国民国家です」
・「異文化理解や異文化コミュニケーションは決して平和裡に行われているのではなく、さまざまな摩擦や対立葛藤あるいは闘争のなかで行われていると思います」
・「多文化主義は支配的な移民の側の論理であって、先住民の側の論理ではありません。多文化主義言説は一般に、未来を語ることによって過去の重要なある側面を隠蔽する傾向があります。政策としての多文化主義が提唱される真の理由は、彼らがそこに記されているような民族間の平等や正義や人道主義的な理想に突如目覚めたからではなく、旧来の国家システムがうまく機能しなくなったからでしょう」
・「公共性問題によって真に問われているのは、国民国家の存立自体であることを知らねばならない」
・「多文化主義の対象であり、多文化主義にとって最も気がかりな存在である先住民族は、多文化主義について最も批判的なまなざしをもっている。じっさい自分たちの土地を侵略し、生命を奪い生活を破壊してきた移民たちが、その罪を問われようとしているいまになって多文化主義と共生をとなえ、自己の存在を正当化しているのだ」
・「右も左も、自由主義も共同体主義者も、自分たちが歩みはじめた論理を最後まで追求しようとせず、あたかも越えようとしない一線を設定しており、引き返し点があるかのようである。その理由は理解できなくもない。そこから先は未知の深淵が広がっており、それを越えなければ己の足元どころか己の存在が危うくなってくるからだろう」
・「私はこの「勇気」という言葉に注目したい。それは危険な一線を越える勇気である。公共性論にもし可能性があるとすれば、それは目前に開かれている世界を直視する「勇気」にかかわってくるだろう」
・「国家は法や制度や国家の理念を修正して(例えば福祉国家からネオ・リベラリズム)グローバル化に順応する一方で、ゆらぎ始めた国民統合の強化を図り、国民文化や国民精神を称揚し、ナショナリズムやナショナル・アイデンティティを強調する。移民を受け入れながらも移民を排除する、あるいはマイノリティの権利を認めながらもマイノリティを抑圧する」
・「一瞬の共同体を成立させる社会運動は定住者よりは移民(あるいは移動民)をモデルにしていると考えてよいだろう」
・「戦後とは植民地である」
・「国民国家は植民地主義の再生産装置である(したがって大学や教育一般も植民地主義の再生産装置である)」
・「だが脱植民地化は私たち個々人の生活と生き方の問題である」

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