2008年11月22日土曜日

N教授への手紙ー国民国家の呪縛に抗して

拝啓 N教授

N教授、もう日本に戻れらたのでしょうか。韓国での学会はいかがでしたか。
先週、訪韓の前日のお忙しいときにわざわざ私のために時間をとってくださり、ありがとうござました。心より感謝いたします。私の話をじっくりとお聞きになり、川崎に来てみたいとおっしゃったので、私は驚きました。「文明・文化」論は普遍的なものでなく、フランス、ドイツの国民国家を成立させるためのイデオロギーであったと看破され、国民国家の本質を突き、現在の新自由主義とは新植民地主義であり「多文化共生」はその流れの中の施策と理論展開されるその背景に、ご自分の足で東北中国、韓国の「多文化共生」が語られる、あるいは外国人が国民国家の中で生きる現場を見て、そこで生きる人の話を聞くなかで、理論構築されるのかと改めて思いいりました。


さて、N教授が私たちの本(『日本における多文化共生とは何か』)についての感想で、私たちの主張を理解されたうえでなおかつ、それでは私たちが民族の歴史にどのように関わるのかということが気にかかるとおっしゃいました。私は応えることができませんでした。ただ足ものと闘いであった日立闘争が、韓国の民主化闘争の中で韓国との共通の闘いになり、裁判勝利に関しては韓国の新聞がこぞって朴鐘碩の「告発精神」から学びたいとあったことを例にして、私たちの足もとでの闘いが民族の歴史の中で評価されるようになったように、在日の人間としての在り方を求める行動が、民族の歴史との関わりの中で何らかの解釈・評価をされるのではないかという私の思いを話させていただきました。

しかしそ私の発言は十分なものでないということを私は自覚をしておりました。特に、立命館でのシンポジュームで民族主体性、アイデンティティが強調されればされるほど、徐勝氏や、朴裕河・上野千鶴子両氏を批判する金富子氏たちと、民族の主体性の相対化、具体的な足もとの闘いを主張する私の考えがどこでつながるのかを考えざるをえませんでした。それは言いかえれば、私の主張は、民族の歴史の中できっちりと位置つけたものでなければならないということです。

第二セッションの康成銀氏(朝鮮大学校)によると、「在日コリアン社会における「分断体制」」という発題をしそのレジュメの中で、総連の元になった在日の組織が1950年に「民戦」(在日本朝鮮統一民主戦線)を作ったということが記されています。「民戦」は独自の組織でありながらも、日本共産党から直接・間接的な指導を受け、日本の革命活動を担おうとしました。52年には北朝鮮(共和国)から路線転換方針がだされますが、その間、日本人と革命運動をした「民戦」の活動を康氏は、「一時、路線上、方針上の誤りを犯します」と記しています。その後、コミンテルンの指示があり、55年に日本共産党の「六全協」で、組織的にも日本共産党と朝鮮人の関係は切れます。そのとき以来、共産党は国籍条項を設定し現在に至ります。革命運動を日本人と一緒にしてきた朝鮮人は、共和国の在外公民として総連の活動をすることになります。すなわち、在日の活動家は、日本に関しては内政不干渉を貫い、国民国家を大前提にするようになったということです。

徐勝氏や金富子氏やその他シンポに参加した在日の元活動家の学者もまた、国民国家、Nation Stateという枠組みを前提にし、韓国の民主化と分断国家の統一を求め、在日として民族主体性を求めたそれぞれの政治的な活動を担ってきたのだと私は考えます。彼らは従って、ナショナル・アイデンティティを批判的にみる、あるいは民族主体性を相対化する主張は基本的に受け入れることができないのだと思います。

しかし私は今、祖国の分断・戦争を見ながら日本人コミュニストと日本の革命を行うしかないとトランスナショナルな行動をした当時の朝鮮人の気持に感情移入します。ひょっとすると私の主張はその範疇に入るのかもしれないとさえ感じます。勿論、革命に対する考え、価値観は根本的に変化しました。新左翼の諸君はいまでも革命をスローガンにした運動をしているようですが、私はそこに参加したいとは思いません。戦後60年、今の新自由主義の(N教授は、それを新植民地主義と看破されました)世にあって、革命ではなく、何によって資本主義をベースにした市民社会にあって人間解放は可能なのかという、現代の最大の課題にぶちあたります。小賢しく提案されるようなものではなく、多くの世界の賢人・活動家が模索していることなのでしょう。

私は上野千鶴子氏の「当事者主権」に注目します。女、朝鮮人であることのルサンチマンから現実の変革を求めるという点で、私たちは同じような感性を持つのかもしれません。在日の市民運動体や民団は「共生」を掲げ、戦後日本の既存の考え方、政治的な仕組みを前提にしてそこへの「参加」を求めます。参政権は公明党、民主党が植民地支配の総括からではなく、自党の拡大のために在日を利用していると私は感じています。韓国は、在日に国政参加の権利を付与する準備にはいりました。これもまた韓国の海外国民への影響力行使だと私は考えています。しかし在日の介護、保育、福祉、教育などの問題は日本人にすべて託すべきことなのでしょうか。どうして在日が当事者として主張し権利を獲得できないのでしょうか。私は今回関西で、これまでの制度に在日が埋没するのでなく、在日がまさに地域の住民として自己主張し権利を獲得する民主的な制度を作っていける可能性があることがわかり、呆然としました。

戦後60年の日本の代議員制度でなく、また道州制という新自由主義に基づく制度改革でなく、日本人地域住民自らが政治の主人公になっていくような直接民主制を人口10万人くらいの区を基礎にしたものにできるのではないかという考え方と、それが実際の京都の市長選で提起されたことを知りました。しかし残念ながら京都ではその主張した候補は負けましたし、区を中心にした政治制度の改革に外国人もまた参加し、選挙権・被選挙権をもち、予算を獲得した独自の判断・行動が可能になるというその理念が十分に展開されたとは言えません。その京都市長の候補者の考えによると、今問題になっている参政権のような国会決議は不要で、市長が発議して条例で決行できるのです!

民主党が政権をとっても、あるいは自民とひとつになっても、新自由主義信奉者は道州制に移行するのではないかと思われます。そうであれば市民(住民)は自分で決定し実行する小さな場を確保しなければ未来はないと思います。植民地支配の総括というものもまた、国会決議でなされるべきものですが、これは時間がかかっても市民(住民)が地域において当事者主権を行使する実践(訓練)を重ね、そこで自立する人間が形成されるなかで歴史の問題や、韓国との関係もまた新たな展開になるのではないのかと私は考えるに至りました。

ごめんなさい、N教授の一言の「宿題」が胸にささっていたものですから、ずっとそのことを考え、このようなメールの中で自分の考えをまとめました。舌足らずなメールで申し訳ございませんが、ご理解いただければ幸いです。私は、川崎での阿部三選阻止の準備をする中で、もっとしっかりとした在日の解放の理論、民族の歴史にとどまらず、人間解放を目指す世界の歴史の中における理論というものを考えていきたいと思います。

そもそもデモクラシーというものは古代ギリシャから始まったものですが、その都市国家の中では女性・外国人は発言権がなく、またフランスの人権宣言以来の国民国家においてもその状況は変わらなかったものと理解しています。そうであれば、戦後60年過ぎ、過去の植民地支配の総括が
できず、新自由主義による資本主義の末期的な症状さえ見せ始めているこの日本社会において、地域という狭い生活空間において住民が当事者として発言して自分の考えることを実行していくというもっとも重要なステップを歩みはじめるというのは、まさに快挙ではないか、その歩みに在日もまた一緒になって住民として行動を共にすべきではないのかという思いが募ります。N教授、私の思いは単なる夢物語なのでしょうか。また機会があれば、ご助言いただければと願います。

こちらも寒くなりました。京都はもっと寒いのでしょうね。ご自愛ください。ますますのご活躍を祈っております。いただきましたご著書、しっかりと読みます。
崔 勝久拝

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