2008年10月19日日曜日

ドイツについての理解

ドイツについての理解

三国同盟とかヒットラーユーゲントなどという、幼少時の記憶が残っているに過ぎないドイツだが、ドイツは日本よりも3ヵ月早く、敗戦し、日本の経済復興よりもかなり遅く、戦後の復興を遂げたという記憶もある。

1994年ポーランドに旅行し、アウシュビッツ収容所を見学、ナチスの残虐なホロコーストの実態を見、生証人の老夫人の証言を目の前で聞くこともあった。その後、8日間のツアーで名所巡りもしたが、市民の実態を知るという経験はない。ただ、20年位前のこと、ドイツには教育委員会という制度がないということを耳にした。その後、ドイツには教会税というのがあるということも耳にした。だが実態に関する報告書は目にしていない。

日本の学者、研究者等がドイツに留学し、専門分野の研究に励み、それなりの研究成果を挙げ、その道の権威者になるケースも多い。だが、彼らからは、社会的制度やその中で生活している庶民の姿、実情は報告されていない。

このような状況の中で、10月15日、東京新聞に「強制連行、政治解決を=ナチス被害補償の基金理事(ギュンター・ザートホフ氏)、ドイツの経験きょう講演という記事が載った。翌日、崔さんがその講演を聞き、感銘を受けたというメールが届いた。なぜかその時、私は日本とは違う巨額の補償を行っていることを紹介されて、私たちがそれをどのように受け止め、政治社会に反映することが可能なのだろうか、という疑問が残った。

昨日、半日掛けて、ドイツの教育事情についてネットサーフィンを試みた。幾つかの興味深い記事に出会ったが、中での正確な報告書は「教育事情-ドイツーヨーロッパー各国・地域情報-財団法人 海外職業訓練協会のホームページ(http://www.ovta.or.jp/info/europe/germany/04education.html)だ。その「教育事情」という報告書はドイツの現在の教育事情を正確に伝えている。そのなかで、私が注目させられたのは、義務教育の中で、週2時間の宗教教育の時間がカリキュラムされていることだ。これは、ドイツという国家の成立を考慮すれば当然のことなのだという理解が出来る。

また宗教教育に関しては東京大学大学院教育学研究科、教育学研究室、研究室紀要 第29号 2003年6月の「近代公教育原理『世俗性』と現代ドイツ・フランスの宗教教育―(1)概観― 吉澤 昇」の第二章・第二次大戦後ドイツの宗教教育という項目のなかに「ルッターの『小教理問答』は中学校の教材として今日も用いられ、小学校段階で旧約聖書の教材が多いが、宗教教育の内容は個人の人生課題に対応する方向が、この時期に示された」という部分に興味を抱かされる。

カトリック・プロテスタントというキリスト教の二大勢力が生じ、その双方の手で教育が実施されてきた国柄が現れているといえるのだろう。16州の州政府によって州の教育内容がさだめられていて、国家は州の独立性を無視して教育に干渉できない仕組みになっており、州には文相任命および父母や教員組合による州学校諮問委員会が組織され、教育法令立案には、かならず慈善に州学校諮問委員会にはかることが義務づけられている(宮田光雄・西ドイツの精神構造・Ⅲ戦後ドイツの教育と政治399頁注釈10項より)。

初等から大学まで、学費はすべて国庫負担であるのはフランスなどと同様だ。教会税に関していえば、この税を徴収しているのはドイツだけではなく、デンマーク・スエーデン・オーストリア・スイス・フィンランド・アイスランドなどでも実行されているようだ。(Wikipedia=教会税より)。

このようなヨーロッパ事情(主としてドイツの事情)を垣間みるとき、戦争による罪科とその戦後補償という行為が個々人の・そして国の深く多大な宗教観念に基づいていることが理解できるようだ。

      2008年10月19日   望月 文雄

0 件のコメント:

コメントを投稿