2008年9月26日金曜日

樋口直人さんから読後感が送られてきました

みなさんへ

徳島大学の樋口直人さんから、読後感が送られてきました。
御本人の承諾を得て、掲載させていただきます。
樋口さんは大学院時代は川崎市の外国人政策の調査にも関わり、
その後は南米のマイノリティの問題を現地調査をして、社会構造の
中でマイノリティの問題を研究されている方です。
国内では「移住連」の問題にも取り組まれています。
詳しくは樋口さんのHPをごらんください。(http://www.ias.tokushima-u.ac.jp/social/higuti/higuti.html

樋口さんのご意見に対する御意見を求めます。

崔 勝久

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各位アルゼンチンから戻ってまいりました。

10週間留守にしてから木曜日に徳島に戻り、御本を拝見しました。
お送りくださったことまず御礼申し上げます。
また、御礼が遅くなりましたことお詫び申し上げます。

シンポジウムの記録に近い体裁をとっているので、ですます調で
書かれているのが個人的には気になります(読みにくい)が、
全体を通読しました。個別の点についてはいろいろ突っ込みを
入れたくなるところがありましたが(上野さんのジェンダー以外の
議論の紹介はこんなんでいいんか、とか)、面白く拝読しました。

2点これまで表立っては言われてこなかったが非常に重要な指摘が、
川崎の現実に即してされていると思います。これは次のステージを
考えるに際して不可欠の論点であり、私はこれが本書の一番重要な
貢献だと思いました。

1)川崎でなされていることがパターナリズムとして捉えられうる。
私自身は、94年の川崎市調査からかかわり、代表者会議について
調査もして論文も書いているので、関わりながら書きながらずっと
思っていたことです。革新自治体と住民運動の研究を当時並行して
いたので、これは革新自治体が持つ構造的な問題だと思いつつも、
批判は利敵行為になるという意識が強く書けませんでした。
代表者会議の最初の時点で3つの組織推薦がなされて・・・と思った
記憶がよみがえります。
ただ、そこには運動と当局との交渉の歴史があり、70-80年代の
経験をもっと踏まえたうえで現状を捉えないと、出口は見えにくいようにも
思います。
点としての出来事については本書でも書いてあり、それは勉強になるの
ですが、では線としてどう捉えるのか。そしてその線をどこに伸ばして
いこうとするのか。運動としても研究としても、この点を掘り下げていく
必要があるようにみえました。

2)多文化共生(あるいは人権)業界ともいえるものができあがり、
そのなかでエスタブリッシュメントが形成され、それが結果として
行政や企業のアリバイを、他方では既得権益や内部での抑圧を
生み出していくことになる。これは、どのような意図で書こうが、
保守派のバッシングと何ら変わらない結果になるので1)よりさらに
批判できない点です。
この点については、青丘社の父母会の「混乱」をダイナミズムの
発露と捉え、それを重視するような方向が必要だと思います。

新自由主義については、川崎の現実との関連ではあまり議論として
成功していないようにみえました。地方政治の水準では、新自由主義は
川崎や横浜や東京のような右派が台頭する形よりも、三重や岩手や鳥取
のような政治の行政化として地方では出現しているという見方が妥当だと
私自身は考えています。

右派政権は新自由主義の本丸ではなく、それを適用するのに失敗した
ゆえにナショナリズムに訴えるという意味で、出来損ないの新自由主義
という意味です。そうでなければ、余計な発言をして統治効率を下げる
必要はありません。

新自由主義がナショナリズムを伴うという立論は、上野さんが論理的には
矛盾といわれていましたが、実際のところナショナリズム抜きの新自由主義
も存在します。「多文化共生」とのかかわりでは、本来政治的な課題を
行政上の執行の問題に矮小化してしまうことにも、もっと目を向けていく
必要があるように思います。

この点は、川崎の状況についてではなく今後の自治体一般で生じうる
課題としての話ですが、私が社会構造にこだわる理由はここにあります。
塩原さんの議論も、新自由主義の概念的理解と社会構造の把握が弱いが
ゆえに、私は上野さんが評価するほどには評価していません。

研究書ではない本を研究書として読むのはどうかという気もしますが、
私自身は全体に上のような感想を持ちました。これを機会に、川崎でも
オープンな議論が起こるといいなあと思います。

樋口直人
徳島大学総合科学部

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