2008年9月26日金曜日

樋口さんの読後感への感想ーその(1)

樋口さんへ

樋口さんの読後感はブログに掲載させていただきました。
ありがとうございます。「オープンな議論」が川崎でおこることを期待
して、まず私の意見をのべさせていただきます。

樋口さんは、私たちの本を読まれ、2点、「重要な貢献」として指摘
されています。

1)川崎でなされていることがパターナリズムであるという点
2)運動の中でのエスタブリッシュメントの形成

その他にも以下の2点に簡単に触れておられます。
3)私たちの新自由主義と「多文化共生」の関わりの記述は不十分である
4)政治的な課題と執行の問題

(1)まず1)と2)で共通の単語が使われています。それは「利敵行為」です。
即ち、(「共生」を進める運動にとって)よかれと思ってきたので、外国人
との「共生」を望まない「保守派のバッシングと変わらない」と思い、
「利敵行為」になることを恐れ、批判を慎んだと読みました。

勿論、その気持ちはよくわかります。私たちは「外国人への差別を許すな・
川崎連絡会議」を作り11年が過ぎましたが、私たちの「共生」批判は
「内部批判」であり、せっかく運動で作ってきたものをつぶすつもりかという
批判・中傷を浴びてきました。

しかし私は、本の中で記したように、<相互批判と情報の公開>は運動を
進める上での大前提という信念をもち、「共生」批判を続けてきたのです。
「利敵行為」を恐れて内部の、あるいは自分が支持・共鳴する運動の批判
を怠れば、結局は、その運動は権力者の庇護の下で、一定の特権を得て、
樋口さんが指摘するように、「既得権益や内部での抑圧を生み出して
いくことになる」危険性をはらみます。

それは地域民衆の代弁者になり、同時に権力の代弁者にもなって結果
として住民の声を抑えるという働きをする危険性を秘めています。運動側が
そのようにならないようにするにはどうすればいいのか。私は樋口さんの
御指摘に全面的に賛同します。それこそ、本の中での私の論文において
最も強調したかった点です。この点について樋口さん以外の方からの言及
はまだありませんが、よくぞ私の言いたかったことを見抜いてくださったと
いう思いです。

それは、「青丘社の父母会の「混乱」をダイナミズムの発露と捉え、それを
重視するような方向が必要だと」いうことです。内部的な「混乱」「批判」を
抑えたり、外部に目をそむけさせるのでなく、苦しくともその「混乱」を
正面に据えて、徹底的に内部の検証を行い、地域住民とともに組織を、
運動を作り上げ、住民と一緒に(代弁者でなく)権力者に要求していくと
いうことです。

しかし外部の問題が、民族問題であったことが、そしてそれが大きな
運動になっていったその「成功」が「不幸」でした。私が、民族主義
イデオロギーは克服していいかなければならないというのはこのことです。
樋口さんにご理解いただけるでしょうか。

崔 勝久  SK Choi

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