2008年7月23日水曜日

7月21日出版記念会のメモ   

今日は崔さんから詳細なコメントのメールが発送されました。私も促されましたので、メモを纏めてみました。皆様の感じられたことを比較してみてください。
総合司会の小山さん、ジスパネ司会の上野教授についってのコメントは書きませんでしたが、とても素晴らしかったと私は感じております。ありがとうございました。メモは下記しました。
皆様へ
         08・07・23      望月

7月21日出版記念会のメモ   

             2008年7月23日      望月文雄


高史明 特別講演「戦後の根本課題について」

日本人・歴代日本政府が避けてきた諸植民地戦後処理に対する戦後処理によって生じている問題の提起を小田実が作品「河」によって行っており、丸山真男も1980年岩波出版の「日本思想体系」31で提起している。彼はそこで日本の国体の基本的問題として明治憲法と教育勅語の問題を提起しているが、政治界を始め日本社会がそれを逃避してき、経済大国化のみを目標としてきた。その目標も朝鮮動乱で漁夫の利を占めなければ達成できなかった。

この事実を踏まえなければ、美しい言葉である「共生」も内実の伴わない形骸にすぎない。


小沢弘明 「新自由主義の世界的位置―ヘゲモニーの観点から」

サッチャー・レーガンによって標榜され世界の政治に台頭したネオリベ(新自由主義)は小さい政府という名目で福祉・労働者保護政策の切り捨てを講じてきた。日本では中曽根内閣による国鉄民営化・小泉内閣による郵政民営化が巨大目標として実行されたが、ネオリベが行使する用語や思想に、我々が無意識に共鳴する場合があるにも関わらず、意識されていない。問題を感じ批判しながら、無意識にネオリベ随行の道を踏み歩いている。ネオリベの本質とその具体的戦略であるグローバリズムの本質・目的を理解して問題把握を試みなかればならない。


塩原良和 「連帯としての多文化共生」に向けて―試論的考察

多文化共生とは従来マイノリティの運動体の言葉であったが、いつのまにか政府・体制側によって流用さて現在に至っている。私はオーストラリアで2年間ヘッジ・ガッサンというレバノン系オーストラリアン教授の屋根裏部屋に厄介になり、彼に指導をうけ、彼の論文に示唆されてマイノリティ・マジョリティの現象を調査しました。現在はふれあい館との関係のうちに研究を行っています。福祉多文化主義が特定のグループに適用されるのではなく、広い連帯としての運用の必要が考慮されなければならない。


パネラーの個別発言

上野千鶴子 昨年7月15日集会のとき、崔さんの「共生批判」を伺ってショックをうけた。塩原さんの著書は参考になった。小沢発言で共鳴することは、ネオリベの思想・用語を無意識に納得、使用している自分の状態を反省し、個からネオルベの矛盾を正すように努めるべきでしょう。グローバリゼイションでは無くなって当然であるべき国境が、新しい国家論によって再構成されている。


崔勝久 川崎市の国籍条項撤廃の陰に秘められた「当然の法理」順守思想で造られた「運用規程」の差別は廃止すべきであり、阿倍市長が就任時に明言した「準会員」発言は糾弾され、撤回されるべきだ。日の丸親方的な忠告で濁すべきものではない。


朴鐘碩 昨年7月15日の上野さんの講演で「ネオリベ」という言葉が使われ、意味が分からず困った。こういうレベルなので、大学教授の人々と論議を交えることはできません。自分が日立に入社して今年まで5回の組合委員長に立候補した経験から得たことを話します。

社内で働く人々には自由に物が言えないという現実があります。私が立候補して理由を説明しても、言葉での反応はなされず、目配せで合図するのが精一杯という状況です。会社は「協創」という言葉を作って企業での人権用語にしていますが、企業内では労働者に物を言わせない。


質疑応答(高史明さんの発言要旨のみ)

高史明 (1)小沢・塩原両教授への意見。研究の成果が上がらなければ落とされる(教授を辞めさせられる)との危惧を表明されておられますが、落とされても良いじゃありませんか。

(2)親が子を、子が親をという殺人が多発している現代社会の中で、研究者はそれらの事態をどのように消化しているのか、先生方の話を聞いていると、日本の現状を見ていないと思える。労働は「他社への働き、戴いているものをお返しするのだという、感性の有無」が問われていると思います。

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