2007年10月17日水曜日

川崎市の「共生」施策の破綻、見えたりー「公権力の行使」の偽り

皆さんへ

今日、東京新聞・川崎支局から取材の連絡が入り、早速、会いました。
川崎支局に来て2年になる記者ですが、どのように取材内容を記事にして
報道してくれるのか、期待したいと思います。

さて、今回はぶっそうなタイトルをつけました。人事課から「運用規程」の
ヒアリングをして、その報告をブログにあげましたが、もう少しやさしく、
整理して問題点を報告します。

1.川崎市がなんといっても全国的に名を馳せたのは、「門戸の開放」です。
この実現のために、市当局、組合、市民運動体は政府見解である「当然の
法理」に抵触しないように協議して、市当局が中長期の職員の合理化対策
の位置付けの下、「運用規程」を作成して外国人の「門戸開放」を実現しました。

2.「公権力の行使」と「公の意思形成」のために、政府見解は、公務員は
日本人でなければならないと言ってきたので、川崎市は職務判断基準を
設け、「公権力の行使」に対して川崎市の独自の見解を出しました。
⇔これが「川崎方式」です(問題点が明らかになったので、どの自治体も
追随していません。どこか「運用規程」を作ったところがありますか?)。

『命令・処分等を通じて、対象となる市民の意思にかかわらず権利・
自由を制限する職務』(公権力の行使)、を外国籍公務員に制限し、
同時にその分野に関連する課長以上の昇進を禁じました。

3.これまで市民に立入り検査・命令・強制執行などの「公権力の行使」に
関る職務は法律に基づいてなされるものだから、その執行者の国籍は
関係がないという主張まではしてきたのですが、昨日のヒアリングで以下
のことがわかりました。

現場の「公権力の行使」の執行者は、自分の判断ではなく、必ず、
上司の決裁を得るということです。課長以上、部長、局長、市長の決裁
(承諾)を得て「公権力の行使」を執行するのが、組織運営上のルールです。
このことは、現場の執行者は自分の判断でなく、上司の許可をもって
「公権力の行使」にあたる仕事をするのであって、現場の職員の属性、即ち、
国籍は一切、問題にならないということを意味します。現場の職員は上司の
命令に従うのみです。命令に従う者の国籍がどうして問題にされるので
しょうか。まさに、川崎市の「共生」施策の破綻、見えたり!ではないですか。

4.確認すべきは、「公権力の行使」にあたってどのような案件は課長で
決裁できるのか、部長、までいくのか、或いは、局長が決裁することに
なっているのか、あるいは、市長が決裁するのかという、川崎市の組織
運営上の決まりごとです。これは必ず、文章化されているはずです。
そうでないと巨大な組織である行政は成り立ちません。この文書の提出を
次回の直接交渉で求めようと考えています。

5.「公の意思形成」に関しては、これまで論議されていませんでした。
「公権力の行使」に関しては川崎独自の解釈を提示したのですが、これは
「市政の重要な課題等についての意思決定に係る判断は、ラインの局部
課長職が実務的に行っている」、だから外国籍公務員は、「公の意思の
形成に参画」することになるラインの管理職にはなれない、と説明
されていました。しかし今回、「運用規定」の見直しでわかったことは、
ラインの課長は「公の意思形成」に係るような重要なことは、全て上司の
決裁をとっているということでした。即ち、ここでも、担当課長の国籍が
問われることはなく、責任は上司(部長、局長あるいは市長)がとるという、
組織運営上の仕組みがあるということです。

さあ、これでますます次回の直接交渉が楽しみになりました。

崔 勝久

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