2007年10月6日土曜日

「共生」批判 企業と「人権」・運動体(2)ー朴鐘碩

共生批判 企業と「人権」・運動体(2)

行政は、民間企業に就職差別解消、雇用促進を求め、労基法、職安法に
違反すれば是正・勧告する立場です。
しかし、国籍を理由に「運用規程」で外国籍職員の職務を制限(差別を
固定化)した川崎方式は、隣接する横浜市、神奈川県はじめ全国の
自治体に波及しました。「運用規程」 (川崎市のみ存在)は、市・市職労・
運動体の三位一体・「共生」の産物です。「連絡会議」は、その「共生」の
実態を明らかにしました。

私は、行政、企業、(自治労)組合、人権運動体の「共生」(癒着)を裏付ける
集会に参加したことがあります。神奈川県主催の「就職差別啓発セミナ-」
は、 ふれあい館長、かながわ民闘連、神奈川人権センタ-も積極的に協力
して いました。
人権を求める運動体が就職差別、職務制限する自治体に抗議せず、
主催する行政の「人権集会」に参加していました。これは、行政の人権施策・
差別解消を是正要求し、糾弾するのではなく、運動体は「要求から参加へ」
をスローガンに、権力者と癒着した見せかけの集会である、思いました。
戦前、似たような朝鮮人同化政策がありました。この姿こそ運動体が
方針転換し権力の「共生」論理に便乗したことを意味する、と私は気付き
ました。

 横浜市主催の「人権啓発講演会」は、東京人権啓発企業連絡会
(人企連) に加盟する銀行人事部と民闘連の教師が講師として現場
報告していました。 さすがに利潤を追求する企業・銀行は商品(利息)PR
も忘れず報告して いました。 (民族)差別を生み出している職場、ものが
言えない労働者、労働者を抑圧 する組合、国旗・国歌、行政・企業の
戦争責任、国籍で職務制限している 主催者の差別行政などの問題は
一切提起されませんでした。

平日の昼間に開かれた会場は、一般市民の参加はなく行政指導で企業
から出張扱いで派遣された総務・人事、行政関係者だけのようでした。
「他人事である」民族差別・人権啓発に関心はなく、日常業務の疲労が
溜まった参加者の半数は気持ち良く居眠りしています。 「人権尊重」と
印刷された(人企連加盟のNTT)テレフォンカードを記念に 貰い、顔には
出しませんが内心喜び、交通費・日当も支給され、彼らの 生活は保証
されています。

講演が終わると、組織動員された参加者は眠りから覚め、一言も語らず
我先にと出口に向かい、家庭・職場・居酒屋(?)に向かって走り出す姿は
何を意味するのでしょうか?
神奈川県は、NGO神奈川人権センタ-に補助金を出しています。わくわく
プラザで人身事故を起こしたふれあい館は川崎市の全面資金援助により
運営されています。行政支援の下で自治体首長の御用機関である
外国人市民代表者会議、外国籍県民かながわ会議、人権施設建設
などの動きは「共生」を名目にした全国的な人権運動の流れになって
います。

このような背景があるせいなのか、運動体も市職労組合も申入書を提出
したものの、差別を制度化した「運用規程」、阿部市長の「外国人は
準会員」 発言に、その後全く沈黙しています。市長が職務を182から
192に制限を 拡大したことにも沈黙です。
市長であろうとも、組合員の人権を侵害する労働条件を独断で決定
できません。 つまり、労働者の権利を擁護する組合執行部は、当事者で
ある外国籍職員 および組合員の意見を聞くことなく勝手に決めた可能性
があります。
日立製作所労働組合も市職労と同じ連合に加盟していますが、組合員の
意見を無視して組合幹部が経営者と勝手に労働条件を決め、組合員に
押し付けるやり方は同じです。
労使協調の下で労働条件を決定し、「運用規程」を作り、市長の「準会員」
発言が出てくる裏には、労働者にものを言わせない抑圧と差別が必要で
あり、 個を認めないその抑圧と差別によって組織が運営される深刻な
題があります。 形式的、形骸化した「民主主義」という仮面を被った組織は、
誰もが 「公平・平等」と信じて疑わない「選挙」を常套手段として「独裁者」を
選びます。

企業・行政の人権研修の目的は、差別をなくすために差別を生み出して
いる 要因を除去し、労働者が人間らしく伸び伸びと働ける職場環境を作る
ことです。 現実と乖離した企業・行政の人権啓発と裏腹に労働現場は
利潤追求、 ハイテク技術開発のために労働者を選別・分断し競争を
煽って います。 生産量に応じて人員を調節(解雇・追放)できる、経営者に
とって 都合の いい偽装請負、また「研修・実習」名目にした、強制連行
された 朝鮮人と 同じように低賃金、過酷な現場で働いている外国人
労働者の 実態が 報告されています。

企業社会のビジネスパースンは、日々より高度な技術開発のために
疲労困憊になり、人権どころではありません。自分たち(日本人労働者)
でさえいいたいことも言えず、我慢して働いているのに、外国人の
「人権は他人事」であり、まして民族差別、「そんなの関係ありません。
そんなゆとりすらありません。」

研修は、上司から追いまくられている業務を離れて一時の開放感を味わい、
鼾をかきながら居眠りする休息時間です。職場に戻った受講者は、
研修内容はすっかり忘れ、遅れた工程を取り戻すためにこれまで
以上に躍起になります。これが日立製作所(企業・行政)の人権研修です。
何のためにやっているか?誰のためにやっているか?それを問う必要は
ありません。人権研修は「やればいい、受ければいい」のです。成果よりも
「実績」を残します。

人企連に加盟する企業と運動体・組合の関係は、「カネが動く」という噂を
聞きます。行政・企業は、「要求から参加へ」方針転換した運動体、組合を
良きパートナーとして包摂し「共生」体制を確立しました。
運動体が川崎、横浜、県の自治体主催の人権集会の「窓口」なっている姿
を 見て、運動体・組合は、いつから企業・行政と癒着して「人権窓口」となり、
現実と乖離した集会を開くようになったのか?と私は疑問を感じました。

7/15「共生」を考える集会、8/25反省会で発言しましたが、裁判勝利
判決後、 私は「職場の日本人と上手くやっていけるだろうか?これから
一人で 決断しなければならない。」と不安と期待を抱いて日立に入り
ました。 必死に技術を覚えながら、「職場は何かおかしい? 私は仕事
だけして いればいいのか?」と悩みながら月日が経ち、5年後、胃潰瘍で
1ヶ月 入院しました。

何故自分は入院する状況に追い込まれたのか?病床で聖書を読みながら、
裁判までして日立に入って私一人で何ができるのか?このままビジネス
パーソンとして埋没する以外にないのか?神経質にならず気楽に逞しく
生きる方法がないものか?悩んでいました。人間らしく生きるためには、
働く人たちがおかしいことはおかしい言える職場にすることだ、孤立しても
素直に言うしかないと決断し、民族差別と労働者の問題について考えざる
を 得ない状況になったわけです。

私が地域運動から離れ、閉塞された職場から生きる出口を求めて
悩んでいた頃、外では運動体が日立闘争を都合よく利用(悪用)して
企業・行政との「共生(寄生)」を謀っていたようです。
「人権」運動も、運動する人間も資金が必要です。自分の立場、生活を
維持するために本能的に自己防衛します。あるべき組織・生き方・価値観
を求めて批判すると、組織は「人権」を無視して、個を潰すか追放する
傾向になります。

行政・企業は、運動体の弱点に付け込み包摂します。権力者というのは
手を汚さず常に袖手傍観し、運動体の「成果」を利用し、弱者を選別・分断
し、 孤立する方向に仕向け、弱者に弱者を管理させます。そして歴史は
都合よく 改竄されていきます。利用されている当事者は、隠蔽された矛盾
を問うこと なく、抑圧を前提にした差別と闘い、人権を求めます。
強者の犠牲者として、常に弱者である民衆を生死の瀬戸際に追い込み、
差別・抑圧することは、戦前の植民地主義を前提にした「融和」に通じる
新たな「共生」思想である、と言えます。

朴鐘碩2007年10月6日

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