2007年10月3日水曜日

新たな地平を切り開こうとする比較文学の学者、李建志に期待する

李建志著の「朝鮮近代文学とナショナリズムー『抵抗のナショナリズム』
批判」(作品社 定価1800円)を読みました。30歳後半の若い学者の
登場を歓迎しましょう。
今回は、氏の簡単な紹介にし、詳しい論評は次の機会にします。

李建志は東京生まれの在日で、現在、広島大学教員とあります。
私は彼の本を読みながら、上野千鶴子が女性学というものを認めない
既成の学会、大学当局と闘いながら独自の地平を切り開こうとしてきた
という、彼女の日経のある雑誌での記事を思い出しました。

私は彼の著作の内容は勿論、注の部分や後書きを読み、この学者の
問題意識に共鳴し、学者としての今後の可能性に期待したいと強く
思いました。

彼がこれまでの在日の学者や評論家と違うと思うのは、まず、アイヌ語、
ベトナム語、中国語、韓国語を学び(多くの人はヨーロッパの言語を
習得します)、アイヌ、沖縄、在韓華人、「小笠原西欧系島民」と
マイノリティの存在を直視し、在日朝鮮人の抱える問題を相対化
しています。

氏の最大の特徴は、「抵抗のナショナリズム」を批判するまなざしです。
在日だからといって安易な日本ナショナリズム批判、日本社会「告発」
をすることを厳しく自らを戒め(従って、在日朝鮮人文学などという
カテゴリーを作る日本社会に便乗するかのごとき梁石日にも批判的な
論文を記します)、権力・権威を批判する先鋭的な日本学者にも決して
擦り寄ることはしません。「反権力」にも「権力」は宿る、と氏は喝破します。

民族を絶対視する韓国社会のあり方にも容赦はありません。
「民族」は脱構築されなければならない、と宣言します。
従って、自らの在日の立場に関しても、「自分に与えられた(「他称され、
イメージされた」)位置に安住することなく、それらを批判し続けている」、
と鮮明にし、「いわば逃げ水のような永遠の自己革新、自己批判を
続けた、その先にある『場所』」と追う、とあります。
(私はこのような言い方は好きなのです。)

このような歩みをする氏のことですから、既成の学問分野に従事する
諸先輩とは厳しく対立するのもまた、いたしかたないことだと思われます。
氏はそれを甘受し、「新しい学問」「新しい時代」を志向しようとします。
まあ、そこまで啖呵を切った以上、その思いを支える研究の質、学者
としての実力は、徹底的に検証に耐えるものになってみせるという
覚悟とみました。大いに期待する所以です。

鄭大均の引用が多く、彼とは同じくしないと言いながら、ではどこがどう
違うのかは明示されていません。また「差別と闘い、抵抗する実践も
大事ではあるが」としながらも若干、シニカルなようです。むしろ
「優れた『生活戦略』」を称え、「差別をやりすごし、するぬけ、きりぬけ、
差別する人や文化をからかう実践」に注目します。まあ、差別と闘うと
銘打っている運動体や、日本社会を批判する文化人の質を問おうと
しているのだとは思いますが・・・

鄭香均の東京都を相手に最高裁まで闘った運動が、総括できずに
終わったことを考えると、上野さんがいう「当事者主権」という意味や、
李建志の次のことばが妙に心にひびきます。

「マイノリティ運動の問題として私が考えていることは、マジョリティの
なかの「反体制的」な考え方のひとがマイノリティを『本尊』として祭り
あげることで成立する運動、その政治性のことである」

しかし鄭香均自らが立ち上がり「当然の法理」の本質と対峙しようとした
その歩みを根底的に否定する、鄭大均とは「同じではない」という
のか、彼と同じと言うのか、李建志に確認したい点ではありますね。

私は氏の主張からは、間違いなく、「共生」をも脱構築し、「共生」の
氾濫を批判すると思います。一度、議論したいですね。

是非、みなさんに一読をお勧めします。

崔 勝久

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