2007年9月24日月曜日

私はどうして「共生」批判をするのかー朴鐘碩(その2)

基地との「共生」を強いられる沖縄と、差別を固定化した川崎市の「運用規程」

沖縄にとって基地問題は、最重要課題です。
本土においても基地は存在しますが、沖縄の比ではありません。
基地との「共生」を強制されている沖縄の人たちが日本人の犠牲になって
いることは、 歴史を見れば明らかです。

私は、98年8月15日新宿で開かれた労働者・市民の集い「岐路に立つ
日本-アジア から問われているもの-新たな戦前のはじまり-」のパネル
ディスカッションで沖縄 市役所で働いている桑江テル子さんにお会いし
ました。「沖縄が、国籍条項(公務員 になるためには日本国籍が必要)
を撤廃したことに対して、もし、時間あれば調べて みてください、どう
いう方式なのか?」と問い、桑江さんは「調べる」と応えてくれました。
その後、集会で何度もお会いし、琉球新報で「労働組合とは何か」を学
んだ桑江さん は、基地撤去・反戦・平和を声を大にして訴えていました。

私は差別を固定化した川崎の「運用規程」の問題を訴え、沖縄の国籍
条項と外国籍 職員採用の実態はどうなっているのか彼女に問いました
が、報告はありません。 知花昌一さんにも問いました。知花さんは
地元で議員として勤める自治体の外国籍 公務員採用の実態を調査し
内容を知らせてくれました。また「基地を抱える沖縄は基地問題を訴え
反戦運動するが外国人の人権問題は全く知らない、というのが実情で
ある。」と述べていました。「連絡会議」作成資料を読んで「素晴らしい
膨大な資料 ですね。戦争反対、平和を訴える沖縄はある意味で人権
感覚がない。」と言っていました。

桑江さんは、自分が勤める沖縄(市役所)は外国籍職員を採用して
いるか?  国籍条項はあるのか?川崎の「運用規程」と繋がっている
のではないか? という私の 疑問に応えてくれませんでした。この問題
に気付いていても正面から見ようとしない のでしょうか?

沖縄は、戦争責任を含めて朝鮮人、アジア、外国人の問題を視野に
入れて基地問題、 平和を訴えているのでしょうか?
反戦・平和に敏感な沖縄の自治体労組(幹部)は、国籍条項で外国人
を排斥(就職差別)し、 川崎方式で同じ組合員である外国籍職員の
職務を制限(人権侵害)していることにどの ような見解を出している
のか? と素朴な疑問を感じています。 沖縄市役所に勤めながら
組合役員を経験し、自治体労働者として反戦平和運動を 訴える
桑江さんは、足元である自治体の排外主義の問題をどのように考えて
いるのか、 私は問いたいのです。

反戦・平和・人権運動する人たちを批判したり、質問するとこれまで
和やかだった関係も 嫌な顔をされ、しだいに無視され、隙間ができる
ことは、職場で「孤立」している私は 何度も経験しています。人間性を
求める人(活動家)を批判・質問すると、真摯に受け 入れることなく
対話・議論を拒否し、無視するという考え方は、どのような「人権思想」
なのでしょうか?

人類の永遠の課題である差別と向き合って、人権を求める主体(個)
はどうあるべきか、 日常生活の現場で平和・人権を訴える当事者の
生き方や価値観が常に問われます。 現実の矛盾と向き合い人間
らしく生きたいと願う弱者、労働者は常に葛藤し、苦しみ から逃れ
たいともがき、生きています。

桑江さんは、自治体労組の役員を経験しています。沖縄の自治体
労組は連合傘下に ありますが、自治体組合は、組合員が自由に
ものが言える、開かれた組織なので しょうか? 組合組織自体に
問題はないのでしょうか?

行政・自治体が、国籍を理由に組合員の権利を侵害(職務制限・
182から192に拡大) したら、組合員の権利を擁護すべき組合は、
本来どう対応すべきなのでしょうか?
沖縄同様、連合に加盟し沈黙している自治体労組・川崎市職労
という組合とはどの ような組合なのでしょうか? 「労働組合とは
何か」を学んだ桑江さんはどのように 考えますか? 桑江さん!
私がどのような問題を提起しているか? 理解するため に関連
資料を読んでいただき、互いに人権思想を深めるために投稿して
くだされば 有難いです。

私は同じ連合に加盟している、組合員にものを言わせない日立
労組の実態
(http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_90.htm)を
見て、沖縄の (自治体)労組の反戦・平和運動だけでなく日本の
(教育労働者を含めた)人権運動に 疑問を感じています。足元で
ある職場、(連合)組合の組織の問題があるのも関わらず、 基地
問題を前面に提起しているということは、自分の立場、存在を維持・
継続したい がためにいちばんしんどい、生き方・価値観が問われる
困難な戦争責任問題を 避けているのではないか、と思います。
これは戦後、表面的な労働運動を標榜する 組合、人権運動体、
知識人に一貫して問われている課題です。沖縄も本土も関係
ありません。

自分の生き方・価値観を問わない運動は、形骸化するだけで、
それこそ川崎のように 「共生」を名目に権力に包摂されるだけです。

沖縄もアジア侵略戦争の加害者であると同時に被害者ですが、
沖縄においても戦争 責任が当然問われるべきではないか、と思い
ます。 「共生」は差別・抑圧を隠蔽するために意図的作り出された
イデオロギーです。 「共生」は「共死」に繋がりかねません。国民国家
のイデオロギーは差別・抑圧を 隠蔽するために「共生」を謳い1,2.3級
市民を作ることで人間を統合します。

「自分の生活さえままならぬ、他人のことを構って居られぬほど追い
つめられて いる」「反戦・平和を訴え、核兵器・米軍基地は世界中
からなくすべきです」という 声は沖縄だけでなく世界共通の現実と
切実なる願いです。

外面的、表面的な問題を訴えるだけでなく、人権運動する当事者
の人間の考え方、 生き方、資質を私は問いたいのです。いくら
一生懸命「人のために、自分のために」 人権運動したところで、
その善意はすべて権力に絡め取られていることは歴史が 証明して
いるし、川崎の実態をみても一目瞭然です。

民族差別・沖縄の問題を個別の問題として視るだけでは、人間が
分断されている 状況において国民国家のイデオロギーという厚い
壁を破ることはできません。 人間が人間らしく生きるためには
多種多様な抵抗・運動のやり方があります。
個別な問題として捉えるのではなく、民族差別、戦争責任、沖縄問題、
ホームレス、 労働者の人権抑圧などの問題は、「共生」思想、新植民
地主義とどこで結びつくのか、 深く議論する必要があります。

国民国家は、「政治権力が民族をシンボルとして操作している。権力
イデオローグは、 目的達成のために民衆を動員する手段として
民族の存亡を揚げて大衆にアピール する。民族が“下から”形成
される反面、“上から”巧みに操作される。あらゆる 国民国家の国民
形成は、つねに多数派民族の少数派民族に対する支配と抑圧を
伴っており、中立的な国民国家はあり得ません。国民形成に際しては
あらゆる差異が 動員されただけでなく、差異と差別が必要とされ、
必要であるがゆえに作りだされて います。日本人の形成のためには、
沖縄人や台湾人や朝鮮人やアイヌ人や 被差別民の存在が必要です。
単一の文化と平均的な国民という幻想は、差別と 差異化の構造に
よって生みだされ、それを産みだした差別と差異化の構造を 覆い隠し
ます。」(西川長夫)

朴鐘碩2007年9月24日

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