2007年9月21日金曜日

私はどうして「共生」批判をするのかー朴鐘碩(その1)

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」は、差別を制度化した「外国籍職員の任用に関する運用規程」の廃棄と阿部市長の「外国人は準会員」発言の撤回と謝罪を求めて10年(18回)に亘り川崎市と交渉してきました

第10回(2001年5月31日)の交渉に参加した地域のオモニ(母親)から、「自分の子どもが182職務に就こうとして拒否されたら、親の立場になって考えたたことがあるのか」という切実な質問に、人事課長は、「差別されても諦めろ!と説得する。外国人職員が182職務に就きたいと相談を受けても、諦めるように言います。予め一人ずつ呼び出し説明しています。」と繰り返し、参加者全員から「差別発言だ。撤回しろ。入所して間もない弱い立場である若年外国籍職員を一人ずつ呼び出すこと、言いたことも言えない関係の面接は職員への恫喝だ。」など、怒りの声が出ました。会場は緊張感に溢れ、交渉から糾弾にならざるを得ない事態になりました。
厳しい追及を受けた、「人権、共生」をスローガンにしている官僚職員である人事課長はじめ参画室職員の声もしだいに小さくなり聞き取れなくなりました。市職員は、沈黙するだけでした。

川崎市(人事課長)は、「自分の子供が就職差別されたら、差別に抵抗せず諦めなさい。」と説得するそうです。
(私は日立本社糾弾闘争を思い出しました。川崎市は、当時の民族差別を否定した日立製作所の幹部と同じ考え方・体質である、と感じました。日立裁判勝利判決から33年になっても状況は変わっていないということかも知れません。)民間企業の就職差別解消を監督・指導し、人権を推進する行政官僚の、このような考え方、姿勢をどのように考えますか?さらに市は、外国籍職員に制限する職務を182から192に拡大しました。

共生することは悪ではありません。弱者が強者に寄りかかる(寄生する)のではなく、差別する者も、される者も人間として自立する生き方と思想、弱者にとって開かれた組織・社会を目指すのであれば歓迎・支持します。
共生の一般的定義は、互いにあるがままの姿、文化・価値観の違いを認め、人間として共に仲良くすることであると理解しています。しかし、このテ-ゼは,差別される弱者から言えば全く逆です。
あるがままの姿を認めない、人間らしく生きたいという文化的価値観・批判を認めない、共に歩もうとしても誠実・真摯な話し合いもできないのが現実です。

【共生の悪用を批判】
何故、「共生」を批判するか?「共生」の裏に人間を選別し抑圧する「人権」思想があるからです。
行政、企業、組合、運動体などの組織の幹部は、本来あるべき共生を悪用・流用し、巧みに人間を管理・支配しています。共生を悪用するととんでもない副作用(問題点と矛盾)が起こります。抑圧から生まれる人間らしくあるがままに生きたい個の欲求、不条理への抵抗は、当事者の当然の主権です。

【「共生」の名の下で何が行われているか?】
18回の全交渉議事録にその実例と問題点を掲載しています。
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/index.htm

「共生」の実態を記録した「連絡会議」作成資料、日立闘争関連資料を以下に挙げておきます。
1.『李仁夏青丘社理事長への公開書簡』
 「共生の街」川崎の問題点を探る-さらなる対話と共闘を求めて-

2.『民族差別』
1970年に始まった日立就職差別裁判、日立製作所本社糾弾闘争、朴鐘碩上申書など完全勝利までの全記録。

3.『日立就職差別裁判』(VTR25分)
日立闘争のスライドをVTR収録。

4.『日立就職差別裁判30周年記念』資料集
1970年に始まった日立就職差別裁判から30年を記念して作成した資料。新たな戦前の様相を帯びたこのような時代に日立闘争の意味を問う貴重な資料である。

5.『日立就職差別裁判30周年記念集会報告集』
2000年6月10日、川崎で開かれた集会内容を纏めた。川崎における人権運動の発端になった日立就職差別闘争に関わった人たちの発言集録。

6.『1・26国籍条項完全撤廃を求めて川崎集会報告集』
政令指定都市、都道府県レベルで初めて川崎市は外国人の公務員への門戸を開いた。しかし、それは行政中枢部の182職務、許認可権ある管理職には就かせない制限付国籍条項撤廃であった。パネルデイスカッションで川崎市の国籍条項撤廃の問題点を明らかにした資料。一般管理職試験受験拒否された都職員の保健婦である鄭香均(チョンヒャンギュン)氏が都知事を訴えた問題と深く繋がっている。主催した実行委員会は「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」を結成した。

7.『国籍条項完全撤廃資料集』
川崎市の国籍条項撤廃宣言(’96年5月13日)は、差別の固定化であるとして、朴鐘碩(パクチョンソク)が高橋清川崎市長、高秀秀信横浜市長、岡崎洋神奈川県知事などに提出した公開質問状、抗議文、各自治体首長からの回答と新聞記事を全て掲載。

8.『NO.2国籍条項完全撤廃資料集』
国籍条項完全撤廃を求めて始まった対市交渉は、市当局が市民に渡した「川崎市外国人市民政策ガイドライン(構成案)」を市民に返却を要求し、国際交流センタ-は「川崎連絡会議」の団体登録拒否問題を引き起こした。交渉の詳細議事録とガイドライン関連資料を掲載。

9.『人権・共生の街」川崎って本当? 』
 川崎市は、国の論理に従い「当然の法理」「公権力」を理由に外国人に職務制限した。「川崎連絡会議」は国籍条項完全撤廃を求めて市当局と交渉している。これまでの交渉記録及び資料を集大成した。

10.『川崎の小さな勝利-国籍条項完全撤廃を求めて-』韓国KBS日本語版50分
韓国KBSは、「人権・共生の街」川崎市を肯定的に撮影しようとしたが、「川崎連絡会議」を取材、対市交渉に参加して問題点を知り、急遽シナリオを変更する事態となった。韓国で深夜放映されたが、視聴率は25%を超えた。

11.『社団法人神奈川人権センタ-を糾弾する資料集朴鐘碩』
朴鐘碩が神奈川人権センタ-高橋孝吉事務局長の差別発言を糾弾した資料集である。人権センタ-に提出した公開質問状、抗議文、当時の日高六郎理事長、渡部英俊副理事長の手紙も掲載。

12.『第1回定例会資料集』(970910)
 「川崎連絡会議」結成後、初めて例会を開いた。川崎市が作った「外国籍職員の任用に関する運用規程」の一部と外国人に制限した182職務を全て掲載。

13.『国籍条項完全撤廃を求めて-鄭香均さんへの高裁判決を考える-』
中井清美氏を招いた講演記録。「当然の法理とは?」「公務員は日本人でなければならない」という「暗黙の前提」は、いつ頃からどのような背景から生まれてきたのか。「当然の法理」は、天皇制と深く繋がっている。人間が普段生活している中にも浸透していることを解りやすく説明した。逆転勝利判決を勝ち取った鄭さんの話も収録。

14.『第4回定例会資料集』(980704)(古関彰一氏)
15.『日本国憲法制定過程から、いまを見る-外国人の人権はいかに排除されていったのか-』(990630古関彰一氏講演録)
 侵略の歴史の反省もなく、犠牲となった在日外国人の人権は、憲法成立過程において排除された。日本政府は、何を狙ってこのような政策を継続しているのか。「当然の法理」と人権の考え方について、古関彰一氏の講演記録である。
16.『外国人への差別を許すな・川崎連絡会議ニュ-スNO.1~20』
「川崎連絡会議」は、対市交渉報告、読者からの投稿などを掲載したニュ-スを発行している。

17.『国籍条項問題とは何か崔勝久(チェスング) 』
 「川崎連絡会議」の国籍条項完全撤廃を求める運動は、地元運動体に波紋を呼んだ。そもそも川崎市はいつから「人権・共生」をスロ-ガンにしたのか。日立闘争以降の地域運動はどのような歴史を経て、行政の資金援助で人権運動が成立するようになったのか。運動する側に問題はなかったのか。国籍条項完全撤廃は、民族差別と闘う市民運動体のあり方、運動する側の一人ひとりの人間としての生き方が問われている。日立闘争から国籍条項完全撤廃に至るまでの歴史過程、意義を纏めた小論。

18.『外国籍職員の任用に関する運用規程-外国籍職員のいきいき人事をめざして-川崎市』
 外国人に182職務制限、決裁権ある管理職に就かせないことを明記した、民族差別を制度化した112頁のマニュアル。川崎市発行。

資料を読めば、最先端を行く川崎市の「共生」は、強者・権力者のイデオロギーであり、弱者を選別し分断する思想であることが理解できると思います。
また、社会が右傾化し、戦前の日帝時代-植民地なき<新>植民地時代-と言われています。何故、国家・行政・企業が「共生」「多分化主義」を謳歌し、組合・運動体が便乗するのか?常に検証する必要があります。
問題点・矛盾・批判を隠蔽する「一方的な共生賛美」ではなく、「連絡会議」の資料を参考に川崎で何が起こっているか?その事実を基に「共生」の意味を多角的に研究し、歴史を歪曲せず、正しく理解し、適切に判断されることを望みます。
向き合って謙虚な姿勢で互いに人間解放に繋がる、前向きな批判、議論をしませんか?
厳しい批判、議論があればこそ新しい道が開かれると思います。多くの方から投稿を期待します。

組織は、民主主義を建前にして「中立・公正な手続きの幻想のもとに、集団の意思決定が行う抑圧をも正当化」する。しかし、「少数者あるいは個の運動は、これとは対極の、直接民主主義と市民的不服従を揚げ」(西川長夫)、新しい歴史を創出します。
朴鐘碩

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