2020年11月17日火曜日

北條良至子さんの拙著の感想文

名古屋の北條良至子さんから送っていただいた拙著の感想文をご紹介します。最初は匿名でご紹介をしようとしたのですが、ご本人から、それでは無責任になる、しっかりとした対話をするには実名にしてほしいというメールをいただき、実名でご紹介することにいたしました。ありがたいことです。  崔勝久

北條良至子さんの拙著の感想文

あまり結論まで引用すると、この本を最初から、端から端まで読もうと思ってくださる方が減るかも知れないので、もっとご紹介したい箇所はあるのですが、あえてこの章は辺りにしておきます。 しかしながら、この章の注(4)だけは、どうしても引用紹介させていただきます。

日本の学界では敗戦直後から、天皇制の問題、個人の市民としての自覚の問題、「国体」を掲げて戦争に邁進するに至る過程、その原因が究明されてきましたが、私は労働運動、女性解放運動、部落解放運動など自己の権利を要求してきた大衆運動がすべからく戦争協力によって、国家を通じて実現することを自ら進んで選んだ事実の自己批判がなされてこなかったということに注目します。(参考文献略)これは戦争協力をした日本キリスト教団においても同じで、戦争責任告白は一部の教職者の間でなされたものの最終的には議長名で出され、実際の戦争体験をした一般信者が在籍する各個教会で議論されることはなかったのです。(210pより)

宗教で言えば、まさに私属する真宗大谷派も、この通りの歴史を辿ったようです。先の戦争協力への反省を込めて議会名で出された『非戦決議』が、各末寺の私達のレベルでの議論と反省に至るような事がもし出来ていたならば、真宗門徒が組織をあげてそういう取り組みを全国展開で真摯に出来てきたならば、国全体の戦後の歩みにも少しは役立っていたかも知れない。数的にも少なからずの影響力をこの国で持っていただけに自分達のそういう不作為が悔やまれて仕方がありません。

「個からの出発」崔 勝久著を引き続き読む 一冊の本を一気に読み切ってしまう時もありますが、今年は奇しくも何冊もの本に共通する課題が見えてくる本が机上に山積み事状態。その中で、無理せず、少しづつ、あちこちを読み進めていく中で「一体、この本達は何を私に伝える為にとて、こうも集合して来たのだろうか?」と立ち止まりつつ考え込んでいます。

さて、「個からの出発」第二章<人権の実現についてー在日の立場から>の冒頭 「川崎の工業化(近代化)の歴史は今年(2010年)で100年、それは韓国併合と時を同じくします。1958年8月11日には、公害と差別の真っ只中で、日本社会に絶望した川崎の在日から北朝鮮への帰国の嘆願の声が上がりました。しかし、今ここに生きる在日は、「出エジプト」をして祖国に生き延びる場を求めるのではなく、「エジプト」を変革し、国籍を超えすべての「住民が生き延びる」ための「地域の変革」に全力を尽くすべきだと私は思います。(183pより) この数行を読んで私は涙が止まりませんでした。

あまりにも歪みが酷くなる一方のこの日本社会に愛想を尽かして自国から脱出する日本人も少なくない中、祖国統一は悲願でありながらも、差別と排除の記憶しかない在日同胞へのこんな呼びかけから崔勝久さんの人間愛が伝わってきます。こんな言葉を発する事が出来るのは、崔さんが地域に根ざした生活者の視点を大切にしてこられたからだと思います。もし、私が在日であれば、さまざまの怨みを超えてのこの一言は、とても出てこないと思います。 この章では、在日の側の運動、そして日本の側の活動家、学者達など、双方が見落としてきた、見えなかった?在日の生活者としての実態に言及しておられます。 <マジョリティである日本人社会の問題点ー日本人マジョリティの「病」> の章では、いわゆるマイノリティに対してのマジョリティという観点から日本人の問題であるという事を超えて、このマジョリティ日本社会が抱える病についての深い洞察が展開されています。

私も以前、最初から最後まで線を引きまくった野田正彰「戦争と罪責」からの引用などもあり、本棚から「戦争と罪責」を久しぶりに取り出し、又、これを読み返す作業も始まりそうです。 「野田氏も指摘するように<戦争の「罪責」>が共有化されなかった社会のあり方や、その事実をこどもたちに伝えきれなかった教育のあり方に問題があると言えるのでしょう。私はそのことを、日本の戦後民主主義における住民自治の仕組みという観点から捉え直してみたいと思います。」(192p文中より) そこで問われる日本の住民自治の実態こそは、日本人誰しもが自分の生活の場で疑問や問題を感じたりしている事ではないでしょうか?

住民自治といえども、4年に一度の選挙で議員「先生」を選ぶことしかないような形式的な代議制民主主義に終始しているような仕組みが、日本人社会が過去の植民地支配に無関心で、戦後責任についても、外国人の人権についても想いが及ばない事と裏腹の関係ではないか?との著者の仮説(192p)に、私も地域住民として実感として大いに賛同するものです。 地域で何か大きな事をやりたければ議員(先生)にお願いして一声かけてもらえばお金が動く、というような事が延々と今でもまかり通る地域。国と地域とが、そんな形でいやらしく癒着しているような地域の現実に大方の私達は無関心、無関係で来たように思います。

で、その事はさておき、差別の問題などを考えている私達の意識の中に、一番身近な地域の問題に向き合う視点がどれほど有ったでしょうか? 実は、私が自分がお預かりするお寺にこだわり続ける理由がまさにそこに在りました。お寺の中の人間関係に疲れて、このお寺からの脱出も考えた時、自分が何がやりたくてここにいるのか?をとことん自問した時が過去にありました。ここを出て、私はどこに行く?と考えた時、やはりどこかの浄土真宗の廃寺になったような所でも探してそこの地域の人達と親鸞について語り合いながら生きていけたらそれも良いかもと思いました。まさにわたしにとっての「出エジプト」を考えた時、何の未練も無かったのですが、私には自分の嘘が見えて来ました。

どこかのお寺でその地域の人達ともし、やれるならば、ここでこの地域の人達とやれなければ、それは親鸞を語っても都合よく逃げているだけ。 そこに気がついた時、このお寺に腹を据えて、改めて自分の地域を見回してみました。それで「自治基本条例作成委員会」への参加なども経験して、この本の中にある地方行政の問題なども実感された事です。また、お寺の周辺にもある色々な問題からも、著者がSustainable Community を「持続する地域社会」というような訳語ではなく「住民が生き延びる地域社会」との意訳は、残念ながら日本の地域社会の現実から深く実感される名意訳だと感じ入ります。因みに「地域で色んな人達が居ていいじゃないか!みんなで何とか楽しく生き延びたい!」との想いを準備の段階から心を込めて境内で企画するライブイベント「ええじゃないか市」と銘打った企画もそんな取り組みの中から生まれてきました。

冒頭の文章に戻って改めて読み直しますと、在日であるとか日本人であるとかの立場も超えて「にんげん」であるという原点から立ち昇る崔さんご夫妻の、この日本社会への愛情を感じずにはおれません。 対話が始まる為の本だと仰っていますが、それはこの本を読んだ人同士の対話ばかりではなく、読んだ人が自分の職場で、また地域住民として地域の隣人達と地域にある問題解決の為の対話を始めるならば、その時こそ、この本を読んだ真価があると感じております。 いつもながら、長文にて失礼いたします

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