2020年11月14日土曜日

友人からの拙著についての感想文

友人のTさんから拙著についての率直な感想文を送っていただきました。ここにご紹介します。

『個からの出発 ある在日の歩み』(崔勝久著)を読み終えたので、簡単に、感想を述べたいと思います。

崔さんと関わっていて、こちらが思いもしないような視点を提示されることが何度もありました。その理由や歴史が、この本に書いてあります。在日として差別されてきた苦しみを基盤にして、いい加減なことには誤魔化されはしないぞという慧眼が、日常の中でも光るが故に、人によってはそれを過激であると感じる場合もあるのだろうと察します。

「多文化共生」ということを聞いて、いいことではないか、と思う私に対して、『そうではない!』と言う崔さん。こちらとしては何がオカシイのだろうかと思うわけです。それに対して崔さんは、「当然の法理」に問題があると言います。在日外国人に選挙権が与えられなかったり、公務員になっても昇進の道が閉ざされているのは、この国に「当然の法理」(外国人の差別と排除)が働いているわけで、そのことを問題にせず隠したままの「多文化共生」とは、単に、外国人を「管理」「統合」するためだけのものであると、喝破されます。

また、原発問題でも、「再稼働反対」だけではダメだと言います。原子力損害賠償法(原賠法)によって、そもそも、原発製造メーカーの「免責」が決められていること自体に問題がある、とうことまで踏み込まないと、国際的連帯して、反核運動は広がっていかないだろうと。この法は、そもそも、原発製造し販売していたアメリカで作られた法のようで、製造メーカーを守り、どんどん原発輸出できるようにしたもののようです。

崔さんが若い頃、「日立就職差別闘争」においても、「桜本保育園」のことにおいても、崔さんの慧眼故に、運動からはじきとばされたことの背景や経緯もよく理解出来ました。 この本は、私たちが、日常的に疑問も感じずにいることに対して、一歩も二歩も踏み込んで、真実を探求してきた崔さんの歩みが詳しく書かれていますし、大変、勉強になります。 (私は、個人的にも、日本政府は敗戦直後に、在日の人たちへの手厚い処遇を行うべきだったと思う者であり、戦後何十年過ぎても在日の人たちへの差別が無くならない日本とは何だろうと疑問を持っている者です。そのような大枠の歴史認識を崔さんと共有しながら、今後も、学ばせてもらいながら対話していきたいと願います。韓国でも同時出版されているようですが、韓国でも多くの方々に読まれますように!)

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