2020年9月21日月曜日

光州事件の記憶と地域社会への関りについて

光州事件、みなさん、記憶されていらっしゃるでしょうか。このドキュメンタリーには私が個人的によく知る人たちが出てきます。彼らがリアルタイムにどのような活動をしているのか、光州事件に関わる活動であるとは知っていましたが、実際の活動の内容は知る由もなく、雑誌「世界」を通じて知るのみでした。彼らのうち多くの方は亡くなりました。この映像を観て多くのことを思い出します。ご冥福を祈ります。 名も残すことなく (第一部) 「私たちが光州だった」 [光州MBC 5.18光州事件 40周年特集ドキュメンタリー] (Jpn.) http://nnaa.main.jp/2020/09/21/koshujikenvtr/

 

 光州事件の時、私たちは川崎南部の桜本の在日大韓基督教会川崎教会を拠点にして地域活動をしていました。もちろん、在日の組織はこぞって光州事件を取り上げていたときです。私たちの仲間の中からも光州事件を取り上げようという声があがっていました。しかし「韓国系」の民団、「北朝鮮系」の総連がそれぞれ敵対しないまでも在日社会のなかで大きな影響力をもっている時代でした。私は地域活動を始めるに際して仲間と一緒にどのように地域に入り込めるかを議論し、ふれあい館に来る高学年の小学生や中高校生を相手に学校の勉強を教えながら夏のキャンプなどをしていたときです。その子供たちの両親にも家庭訪問をして家に上げさせてもらい、いろんな話を聞いて地域の実態調査をしようと議論をしていました。

 

 そのような家庭訪問のときに韓国の光州事件のことを話題にしたり、韓国の学生を支援する運動を私たちが進めることに私は反対をしました。地域において外国人には適応されていなかった奨学金や児童手当の問題を通して行政の国籍差別撤廃の運動をはじめているのに、地域活動に韓国の政治の話を持ち込むべきではないと判断したからです。

 

今になって思うと、光州事件について青年たちともっと話し合い、光州事件の実態、その歴史的背景を学ぶべきではなかったと思います。地域活動と韓国の政治状況への関りを二者択一的に捉えるのではなく、在日の立場からそれらをどのように考え、受けとめていけばいいのか話し合うべきでなかったかと思います。

 

しかしそれでは故李仁夏牧師という韓国の民主化闘争にも関り韓国の運動に関わる人たちからも絶大な信頼を得ていた彼が、日本の教会やその他の組織とは一定の連絡を取り合っていたにもかかわらず、それでは地域社会においてはどうかとなると、やはり具体的な働きかけはされていなかったようです。実際問題として、地域社会において韓国の政治状況に関わり民主化闘争の支援をするということが韓国側にとって、そしてなによりもこちら側の主体的な仲間づくりを形成していくのにどのような意味があるのかということは大変むつかしい問題でした。

 

私は10月に発売される自叙伝『個からの出発、ある在日の歩みー地域社会の当事者として』(風媒社)においても在日の主体性として地域社会の当事者として地域問題に取り組もうという提案をしていますが、私たちが韓国の政治状況にどう関わるのかということには触れていません。むしろ韓国側の青年たちが在日の問題に関わるようになったことを紹介することで終わっています。

 

私は拙著の中で触れていますが、地域社会の運動から遠のき在日大韓基督教会やその関連組織であるNPO法人ふれあい館とも全く没交渉になっています。むしろ日韓反核平和連帯の事務局長、NPO法人NNAA(No Nukes Asia Actios)の理事長として原発を反対していく運動に関わるようになりました。この動きが地域運動とどのような関りをもつのか、そして何よりも、ヘイト差別撤廃を求める地域活動と接点をもてるのか、これは今後の課題です。特に私は「当然の法理」という地方自治体を拘束する政府見解の、国籍によって差別を制度化、固定化する構造を批判してきました。おそらく韓国においても韓国内の外国人は私たちと同じ問題を抱えているはずです。 国民国家の基本原理が国内の外国人差別問題の根幹であるということがだんだんと見えはじめてきました。反核平和連帯という運動が大きくは国家の核兵器戦略、原子力発電への問題点を喚起しながら、今後は地域社会の在り方にどうかかわっていくのかという課題に取り組まざるをえなかくなることでしょう。

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