2020年4月29日水曜日

私の病状についてー医師団からの診断情報提供書の公開

昨年末出された関東労災病院 泌尿器科からの診断情報提供書(紹介状)がありました。宛先は私のホームドクター宛です。
診断:前立腺癌多発骨リンパ節転移 とあります。

「20年前に奥様の乳がん治療の際に近藤誠先生の著書に出会い、近藤先生の教えに従い、積極的な治療はせずに疼痛緩和のみを希望され、2019/12/17当科を受信されました」とあります。その通りです。近藤さんにもお会いし診断を受けました。彼は出来るだけ医師から遠ざかるようにとの助言をしてくれました

「以前、貴院よりがんセンターの予約をおとりいただいたのですが、受信されなかったとのことです。」
「2019/11/20 背部痛腰痛憎悪あり、12/16前医受信されました。・・・・癌治療希望はありませんが、腰痛に対する治療のみを希望され、当科紹介(第2川崎幸クリニック 痛み外来から)となりました。」  その通りですね。

「PSA 2458.025 CT 骨盤、傍大動脈多発性リンパ節転移。多発硬化性骨転移を認めました。無治療の場合は予後は数ヶ月。根治は不可能ですが、ホルモン療法を行うことにより年単位での延命は期待できることを説明し、ホルモン療法をすすめましたが、やはり治療の希望はありませんでした。また、近藤誠先生のセカンドオピニオンを希望されました。」 私は別にショックではなかったのですが、この話を直接医師から聞き妻に説明したところ、彼女は大きなショックを受けたようでした。そりゃそうですよね。「予後は数ヶ月、オリンピックは見れないでしょう」というのですから。

そして川崎市立井田病院緩和ケア外来の紹介をうけました。井田病院では即入院ということになり、2ヶ月間ベッドから離れてはいけないという入院生活を送りました。入院時には前立腺癌に骨転移だけではなく、生来の肺機能の脆弱性と足から血栓がその肺に移りそれによる肺機能の低下が確認されました。

「背部痛腰痛増悪あり」で関東労災病院からは前立腺癌骨転移を疑われました。私は、「癌治療希望は有りませんが、腰痛に対する治療のみを希望」しました。しかし川崎市立井田病院の若い医師団は10回にわたる背中の骨に転移した部分と前立腺癌の放射線治療を行いました。一時私は危篤状態に陥り、医師団から家族にその旨、伝えられたそうです。

しかし2ヶ月の入院生活を終え私は退院し、ホルモン剤の投与を続け現在に至っています。全ての検査結果に問題なしとの最終診断が出たのは、そのホルモン剤治療が効いたのだと思います。前立腺癌のマーカーであるPASの数値がほぼ通常値に近くなったことには私自身、うれしくもありますが、驚きの方が先でした。私は「生かされた」という実感を抱いています。なんといっても毎日病床に来てくれ励まし、帰り際には必ず祈ってくれた妻のおかげです。

退院後、入院前から書きはじめていた自叙伝を書き終え今も推敲を重ねています。さいわい、私の友人、知人のご配慮で日韓の出版社を紹介され、日韓両国で自叙伝が発行されることになりました。おもいもよらないことで喜んでいます。日本版の解説は横浜国大の加藤千香子教授が、韓国版は民衆神学の世界的な実践的神学者の金容福博士が書いてくださることになりました。とにもかくにもこの1ヶ月で自叙伝を書き上げたいと思います。ご期待ください。
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私はとにもかくにも自叙伝を完成させようと思っています。さいわい、日韓両国の出版社が拙著の発行を約束してくれました。原稿も書き終えており、今はその推敲に全力をあげています。

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