2019年12月11日水曜日

みなさん、お久しぶりです。

この数週間、体調が優れず寝床で休むことが多かったのですが、痛み止めの投薬のおかげか、今日から机に向かって作業をすることにしました。
病院での癌の確定検査を受けなかったので癌であるとの確定はできないのですが、9月末に前立腺がんのマーカーPSAで通常の最高値とされている数値の100倍もの数値が検出され、医師はすぐに国立がんセンターでの検査を薦めてくれました。私は検査はすぐに放射線か抗がん剤の投薬治療を勧められると判断し、がんセンターに行かず様子を見て、体に異常があれば病院に行くことにしました。

11月になり背中に痛みを感じるようになりました。私は川崎のペインクリニックを訪れ
PSA数値の高さから前立腺がんの可能性が高いが確定検査はしていないので、痛み止めの治療を選びました。医師は私の考えを尊重して投薬で痛みを止めることになりました。投薬のおかげで現在は夜、背中の痛みで起きることもなくなりました。当分は投薬治療を続けます。

前立腺がんは胃癌や肝臓がん、肺癌と違って進行してもすぐに命にかかわることはありません。転移の可能性はありますが、癌が自己細胞であるという本質から転移そのものを阻むことはできません。仮に病原巣である前立腺を全摘出しても同じことです。前立腺癌が一定の大きさになるのにかなりの期間かかっており、その間癌細胞はずっと体内を回っています。そういうことで私は前立腺癌の性質上、背中の骨への転移は覚悟していました。

投薬のおかげで背中の痛みも取れ、私はこれまで通り、机に座っていろんな情報発信を続けたいと思います。もちろん、実際の行動の方もいろんな計画を立てています。2月と3月には韓国から金民雄教授と金東椿教授の講演会を新潟、東京、福岡で実施します。そして何よりも8月6日には、韓国の被爆者が多く住むハプチョンでのフォーラムを計画しています。

川崎市は差別禁止条例を制定しました。ヘイトスピーチに対抗するためです。在特会側が何か対抗策を考えているのかわかりませんが、一応、これでヘイトスピーチは川崎市では
禁止されました。それは一歩前進です。しかし私がこの間ずっと主張してきた、川崎市が
(全国どこも同じですが川崎市は政令都市で初めて制度化した)政府見解の「当然の法理」によって、外国人教師は昇進できず職務も制限されます。この公的な制度化された差別にたいしてまだ市民運動は目を向けていません。

ヘイトスピーチは在特会のような極右が対象ですが、「当然の法理」は役所において、教育現場において国籍を理由にした差別が公然と行われています。私はこの現実に目を向けるべきであると主張し続けてきました。またこれからもそうし続けます。読者の皆さんのご意見はいかがでしょうか。

以下、この数週間、私が背中の痛みについての病床便りを挙げます。癌細胞は自分の細胞が何らかの原因で突然変異で変化したものです。私は癌を敵としてたたき殺すのではなく
(そうすれば必然的に、通常細胞にも影響があります)、癌との共存が不可避だと考えています。癌の突然変異はいかなる医学も科学も止めることはできません。人間が生物であるかぎりこれは宿命です。

癌との共存を何故強調するのかということですが、これは通常のWay of Lifeを大切にするためです。癌を敵と捉えてできるだけ早期発見して(今はPSAのように簡単に血液から発見可能です)治療するというのが時代の流れですが、細胞の癌化は人間の本質として避けることができないのです。

今日から以前と同じように、オクロスという私のブログに挙げた論説をFBやメールを通して情報発信を続けます。よろしくお願いします。




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近藤誠をめぐるFBでの論
https://oklos-che.blogspot.com/2019/09/fb.html
私がFBで近藤誠について触れただけで、ずいぶんと批判が寄せられました。私自身が彼を擁護する気もなければその必要もありません。しかし私は自分の前立腺がんのマーカーであるPSA検査で危険水域の100倍もの高い数値がでたため、そのような数値がどうして出たのか、その高い数値は何を意味するのか自分で考え抜き、最終的に近藤誠の意見を聞こうとして面談(診断)を申し込みました。以下、私のブログでそのことに触れました

病床便り 1130
ほんとうに人の体とはどう変わるか、わからないものです。普段、忙しく活発に動いていたものですから、私が動けず、寝床にいると伝えても、親しい人ほど、信じられないようです
9月初めにホームドクターに頻尿気味だと伝えたところすぐに血液検査をして、PSA(前立腺癌のマーカー)で、通常4-5、高くて10mgとされる数値が1000を超え、医師は直ぐに国立がんセンターの予約を取ってくれました。
私は長年愛読している近藤誠医師に会い、癌の検査を受けず様子を見ることにしました。何か身体に異常があったときに診断を受け治療をしようと考えたのです。その時は何かの異常に対する具体的なイメージはまったくありませんでした。


それが11月になり、背中に痛みをかんじるようになり、寝床に臥すことが多くなりました。前立腺癌が転移したと思われます。ホームドクターが指摘していた通りです。今日は一人でゆっくりと歩けるのですが、昨日は歩くことさえできなくなりました。


ームドクターと相談してペインクリックの紹介状を書いてもらい、月曜日に行くことになりました。こらからはこれまでのように外出することも難しくなるでしょう。来年の韓国の研究者を招いての講演会や8月の韓国の被爆者が住むハプチョンでのフォーラムも、私が中心になって準備してきたこれまでのやり方を皆さんと相談しながら変えていかなければならないように思います。皆さん、よろしくご協力をお願いします。





病床便り121)
多くの人からお見舞いや激励のメッセージをいただきました。ありがとうございます。
まだ歩くのに背中への衝撃が気になり、ヨチヨチ歩きですが、一昨日の状態を思えばかなり良くなったと思います


明日、ペインクリニックの予約を取ったので、この背中の痛みは前立腺癌によるものなのか、それは癌の転移を意味するものなのか尋ねたいと思っています。
私の場合、前立腺癌のマーカーが通常の100倍あったことは事実なのですが、がんセンターの検診を受けなかったので、前立腺癌が確定したわけではありません。確定しても放置療法で臨むつもりだったので、確定すると前立腺癌の治療(放射線か抗がん剤の服用か)の現代医学のマニュアル通りになるのであれば、敢えて痛い目をして確定させることはないと考えたのです。


前立腺癌であるということは転移は既に既成事実としてあるはずなので、それは前立腺癌を切除したところで、意味がないと判断しました。問題は痛みなのです。前立腺癌は胃がんや肝臓ガンと違って生命に影響する可能性は極めて低いもので、転移した部位での痛みさえコントロールできればいいと思ってきました。ですから、私は最初から、痛みが出ればペインクリックの紹介をしてほしいとホームドクターにお願いしていました。
ームドクターは自分の考えを押し付けない医師で、いろんな可能性は話されますが、私の判断を最優先される優れた医師です。


参考までに専門書によれば、前立腺癌による5年生存率は60ーセントとありました。私は長く生きることに固執してはいませんが、心配してくれる妻のことを考えるとそんなにはやく死ねないなと思っています。いずれにしてもペインクリニックの医師と今後のことでしっかりと話し合います

123
病床便り寝返りを打てるようになりました。
今朝は医師からもらっ薬効のせいで寝返りも打て、トイレには杖もなく
行けました。薬は抗がん剤でなく癌による痛みを止めるもので、モルヒネ
ではありません。痛みさえ取れれば日常生活は普通にできます。
まずは、一旦書き終えた伝記を完成させます。
みなさん、励ましのメール、ありがとうございます

1210
私の病状につい
この数週間、ほぼ寝床にいました。一昨日川崎のペインクリック専門医師と2度目の面談をしました。その報告です。医師は私のレントゲン写真を見ながら、背骨の第4番目(一番尾骨に近いところ)の骨の間隔が狭まっていること、そのことが背中の痛みをもたらしているとのことでした
その原因はPSA(前立腺ガンのマーカー)が通常の数値をはるかに超えることからほぼガンであることは確定的です(確定的というのはそれを確定する検査をしなかったからです)医師は私の考えを尊重してくれ、放射線や抗がん剤治療ではなく、様子を見ながら痛みを投薬で対応しようということになりました
したがって背中の痛みもペインクリニックの医師はそれが前立腺ガンからの転移である可能性は高いが、その確定には前立腺がんの確定と同じことしなければならならず、崔さんの希望通り、ガンに対する治療はせず、痛みをとる治療だけを投薬で対応しようということになりました。この状態はずっと続く、すなわち、今の状態が日常になる、ということです
そのことがはっきりと理解できたので、今日から全く通常の、出来るだけこれまでの生活と同じパターンに戻すつもりです。そのつもりで今日は買い物などで歩き回りました。また最近はベッドでタブレットを操作していましたが、明日からは机に座りPCを操作します。
ということで、皆さん、これまで通り、よろしくお願いします。


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