私たちの愛する鄭香均さんは6月30日、急性がんによって入院して1ヶ月も経たないうちに病院で急逝。彼女の人柄を知る人たちが呼びかけてしのぶ会を計画しました。
日時:7月26日(金)午後6-9時
場所:JR水道橋の在日本韓国YMCA
連絡担当:崔勝久(090-4067-9352)
次いで早稲田大学を出た金敬得は1976年に司法試験最終合格したものの、日本国籍を取得しなければ司法研修所に入れないことを知らされ、国籍条項を撤廃させるべく運動し6回に亙って最高裁判所任用課に意見書を提出した結果、1977年3月に要求が認められ、外国人として初の司法修習生となりました。外国籍初の弁護士誕生。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%95%AC%E5%BE%97
このような在日当事者と日本人の協力によって在日の就職の道も徐々に開かれ、その歴史の流れの中で初の東京都職員になった鄭香均は10年の勤務を経て、上司の勧めがあり管理職試験を受けようとしました。募集要項には国籍条項などはなかったのです。しかし東京都は「当然の法理」を理由に受験を拒否し、彼女は東京都知事を相手に「当然の法理」の不当性を明らかにすべく史上初の裁判をはじめ、地裁では負けたものの高裁では勝利したのですが最高裁の逆転判決で敗訴となりました。
その間、東京都の保健婦として三宅島にも赴任し、持ち前の明るさと、患者に寄り添う姿勢から職場の同僚や患者から絶大なる信頼を得るようになっていました。
その後、彼女はもともと好きであった歌の練習をはじめ、地域で合唱団に入りながら自分でオペラ曲を独唱するようになっていました。偲ぶ会にはいろんな時期に彼女に出会い、大きな影響を受けた人たちが集まり、各自、ご自分の鄭香均との忘れられないエピソードが語られました。
今後どうするのか、まだ本格的な話し合いははじまっていませんが、鄭香均が初めて提起した、全国のすべての地方自治体において国籍を理由にした職務の選択、管理職への昇進が制限されているその根本原因になっている、「当然の法理」についての究明を深めていきたいと考えています。
参考資料:
https://oklos-che.blogspot.com/2016/08/blog-post_22.html
東京水道橋 韓国YMCAの会場にて
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