2019年7月22日月曜日

米国はなぜ原爆を投下したのかー李承茂

  韓日反核平和連帯の李承茂(イ·スンム)  共同代表の論文をご紹介します。
 私たちは2016年10月26―27日、福岡で開催された日韓反核平和連帯の戦略会議において「福岡宣言」を採択しました。https://oklos-che.blogspot.com/2016/10/blog-post_29.html
 「福岡宣言」では、1945年の広島、長崎で投下された原爆による被害者は日本人だけでなく、日本のアジア植民地支配によって生み出された人たちが「決して報われることなく、無視されてきた」現実に言及しながら、「核兵器の正当化と維持のために作りだされた原子力発電所と核兵器の「即刻廃棄・廃絶」を求め、反核平和を運動を進めていくことを宣言しています。
 しかし今回の李論文はその原爆の被害者の実態の背後にある、アメリカの<暴力性>に論及したものです。私たちは8月5-8日にかけて韓国の被爆者が多住するハプチョンでフォーラムを開催します。戦後最悪と言われてる日韓関係にあって日韓の市民が議論をするのですが、この李論文の指摘する問題点は日本では論議されないでいます。多くの方に読んでいただきたいとご本人の承諾を得て、ここに掲載します。    崔勝久
                        

            米国はなぜ原爆を投下したのか

                   李承茂(イ·スンム)韓日反核平和連帯共同代表

はじめに
 米国が原爆をなぜ投下したのかという問いは、歴史的事実により原爆投下に至る事態の展開と意思決定の過程を追跡してみれば、これまでの多くの資料と研究を提示するだけでも十分に蓋然性のある答えができるだろう。
 しかし歴史的資料は、今後の事態の展開によって,絶えず再解釈されなければならない。今世界は、産業革命と市民革命の結果として発達した物質文明と、西欧民主主義が生態的に人類の未来を暗澹たるものとしている。形式的な民主主義は強者の弱者に対する脅威と横暴を防ぐ盾を提供できてはいない。地球全体として善、悪、偽善が混同を高め、歴史の真実に対する真摯な探究は、伝達媒体の無所不為の力によって加工の宣伝物に埋もれ,人間の社会を求める人々は挫折していく。
 生態的危機と民主主義の危機という今日的な問題の根っこに、物質的、技術的基礎があるならば、それらの中に核兵器と核エネルギーが挙げられる。これは物質的形而学的存在であるにもかかわらず、その実体を把握する位置にいる人々は、全世界にそれほど多くない。その被害を経験した人々と社会、韓国社会と日本社会がまさに今発言すべき時だと言える。

1.軍事的目的だったのか、政治的目的だったのか?
 1945年初め、当時の戦況では日本の敗戦と降伏は可視的だった。ソ連はドイツの降伏後3ヵ月の時点で日本に宣戦布告をすることになっていた。米国はヤルタ会談でソ連の対日参戦を促し、朝鮮韓半島、満州を含む遠東でのソ連の影響力を保障した。
 日本の降伏に決定的な影響力を及ぼしたのは、事実上、ソ連の満洲と朝鮮半島への進出だったという。原爆投下はソ連に対して強力な力を見せることで、アジア-太平洋地域での覇権争いにおいて勝機をつかむための試みだった。しかしソ連は、このような米国の原爆を手段とした武力示威にそれほど影響を受けなかったという。

 原爆投下はトルーマンをはじめとする米政府が、日本と韓国で強圧的な軍政を実施し、ソ連に対して攻勢的な戦略を展開背景となった自信を持たせた。米政府に心理的な自信を与えたほか、韓国と日本国民に米国の力に対する幻想を植えつけ、韓国と日本での見えない手としての地位を今日まで維持している。
 米国が原爆投下に対して謝罪と賠償をしない理由はもちろん、原爆をなぜ投下したのかとに関連する。原爆投下で戦争を早く終えて人命損失を防ぐためだったというのが、トルーマンが公に掲げた理由と解明だ。しかし歴史的に明らかになったのは、日本が原爆投下ゆえに降伏したのではなく、ソ連の宣戦布告と開戦で絶望し降伏したのという事実だ。にもかかわらず裕仁は、降伏の意思を明らかにした演説で、その直接的な動機を原爆のためと述べた。戦勝国と敗戦国の首脳であるトルーマンとヒロヒトの一貫した公開的言及を通じて、原爆は従来の直接的動機と認識されてしまったのだ。しかし原爆を投下した米国の
真の意図が終戦を繰り上るためというのは疑わしく、日本の降伏の直接的な動機は原爆だという神話も崩れかけている。

 原爆投下が精巧な戦略によりアジア-太平洋で米国の覇権を確立という意図で投下されたかどうかは分からないが、その後の事態から見ると米国の核の傘をかぶせるためのセールスであったことがわかる。
 李承晩(イ・スンマン)-朴正熙(パク・チョンヒ)、朴槿惠(パク・クネ)を支持する勢力がにとっては幸せな歴史だったかもしれないが、米軍軍政の占領政策からはじまる韓国の現代史は不幸と悲劇の連続だ。

2.原爆投下と朝鮮半島の分断
 朝鮮半島は米国にとっては日本ほど戦略的な重要性がないため、ルーズベルトはソ連の対日宣戦布告を引き出すために、朝鮮半島に対するソ連の占領を容認する立場をとっていたという。しかし、1945年のヤルタ会談後に死亡、トルーマンが大統領になったことで、このような政策が変化した。朝鮮半島に連合国の一つだけが進駐することは望ましくない&quot;というメッセージをソ連に送り、ソ連が日本の北海道で日本軍の降伏を受けることに激しく反対した。

 しかし朝鮮半島にソ連軍が進駐することについては、現実的に防げないと判断し、米国が港二つ程度は最低限確保するという立場を取った。そして米海軍が8月10日に、38度線を境界線として日本軍の武装解除をソ連と米国が分担する案を作成してスターリンに提示し、スターリンがこれを受け入れた。原爆投下自体は、朝鮮半島の分断と因果関係はないが、ふたつとも第2次世界大戦後のトルーマン政権の共産主義国家に対する封鎖政策から出たものだという共通点を持つ。もちろん原爆投下は米軍政の力を通じて、朝鮮半島の分断固定化へ大きな影響を及ぼした。

3. 原爆を含む戦争犯罪の脈絡
 広島と長崎に対する原爆投下は、戦争と直接関係のない多数の民間人を虐殺した米国の代表的な戦争犯罪だ。(ジュネーブ条約第1の情緒(1949)、ハーグ条約IV(The Laws and Customs of War on Land IX、1907、article 25):第五十一条 文民たる住民の保護
1 文民たる住民及び個々の文民は軍事行動から生ずる危険からの一般的保護を受ける。この保護を実効的なものとするため、適用される他の国際法の諸規則に追加される2か8までに定める規則は、すべての場合において、遵守する。
2 文民たる住民それ自体及び個々の文民は、攻撃の対象としてはならない。文民たる住民の間に恐怖を広めることを主たる目的とする暴力行為又は暴力による威嚇は禁止する。
3 文民は、敵対行為に直接参加していない限り、この部の規定によって与えられる保護を受ける。
4 無差別な攻撃は、禁止する。無差別な攻撃とは、次の攻撃であって、それぞれの場合において、軍事目標と文民又は民用物とを区別しないでこれらに打撃を与える性質を有するものをいう。
(a)特定の軍事目標のみを対象としない攻撃
(b)特定の軍事目標のみを対象とすることのできない戦闘の方法及び手段を用いる攻撃
(c)この議定書で定める限度を超える影響を及ぼす戦闘の方法及び手段を用いる攻撃
5 特に、次の攻撃は、無差別なものと認められる。
(a)都市、町村その他の文民又は民用物の集中している地域に位置する多数の軍事目標であって相互に明確に分離された別個のものを単一の軍事目標とみなす方法及び手段を用いる砲撃又は爆撃による攻撃
(b)予期される具体的かつ直接的な軍事的利益との比較において、巻き添えによる文民の死亡、文民の傷害、民用物の損傷又はこれらの複合した事態を過度に引き起こすことが予測される攻撃
6 復仇の手段として文民たる住民又は個々の文民を攻撃することは、禁止する。
7 文民たる住民又は個々の文民の所在又は移動は、特定の地点又は区域が軍事行動
の対象とならないようにするために特に、軍事目標を攻撃から掩護し又は軍事行動を
掩護し、有利にし若しくは妨げることを企図して利用してはならない。紛争当事者は、
軍事目標を攻撃から掩護し又は軍事行動を掩護することを企図して文民たる住民又は
個々の文民の移動を命じてはならない。
8 この条に規定する禁止の違反があったときにおいても、紛争当事者は、文民たる
住民及び個々の文民に関する法的義務(第五十七条の予防措置をとる義務を) を免除
されない

 広島と長崎原爆投下は、米国の戦争指揮部内で深刻に下された決定ではなく、彼ら
の戦争教理により準備、実行されたものだ。それは第2次世界大戦の進行過程でスター
トした。それ以前には、日本軍が1937年に上海を無差別爆撃し、ドイツとイタリアの
ファシスト勢力がスペインのゲルニカを爆撃した。この蛮行はヘミングウェイの惨状報道とピカソの絵で有名だ。それまでの戦争教理は、どの都市でも地域を無差別に爆撃することは許されなかった。 特定の軍事施設や戦略施設に対する精密爆撃だけが認められた。
 イタリアのジュリオ·ドウエート(Giulio Douhet)は、&quot;戦略爆撃&quot;という概念を
教理化した。これは爆撃の効果を極大化し、交戦相手の戦意を失わせるために民間人の居住地域と軍事施設を問わず絨毯爆撃を加えものだ。英国のTrenchardもこのような考えを唱えたが、軍指揮部において採択されなかった。
 特に米国はNorden Bombsightという電算化された計測装備を開発し、防空網につかまらない高度での精密爆撃が可能だという長所を押し出し、このような教理を無視した。しかし,英国はドイツとの交戦で、爆撃機の損失が多い昼間爆撃より夜間爆撃を好み、これは無差別爆撃となるほかない。
 特にナチスドイツの無差別爆撃が、その口実を提供することなる。ゲルニカの爆撃のほかにポーランドのワルシャワを爆撃し、オランダのロッテルダムという都市を爆撃したのだ。 抗戦中に降伏しない都市に対して、陸軍の要請で緊急手段として爆撃を敢行するものであった。ロッテルダムの場合は、ドイツ陸軍のルドルフ·シュミットが抗戦するロッテルダムの降伏を誘導するために爆撃を要請したが、降伏しようと思うという情報を入手し、その要請を撤回したが、緊急出動した爆撃機の半数以上が復帰せよとの命令を受けることができずにロッテルダムを爆撃することになる。この事件でドイツはオランダに正式に
謝罪することになる。

 待ち構えていたように英国は1942年2月14日に、ラインのルール地域に対する都市爆撃を開始し、ドイツ市民50万人以上が爆撃で死亡した。その後、爆弾よりは焼夷弾で火災を起こし都市を破壊し、心理的な恐怖を誘発するのに効果的だということで焼夷弾が使われるようになる。焼夷弾を投下して空気の流れを変え火炎暴風(firestorm)を起こす方式で、途方もない破壊力をおこす技術を開発することになる。
 この方式の有名な爆撃は、1943年7月27日ハンブルクに対するゴモラ作戦で44000人の民間人が死亡し、1945年2月13日キリスト教の灰の水曜日に、大学都市ドレスデンに対する爆撃で25000人が焼け死んだ。
 1943年、英国と米国の首脳が出会ったカサブランカ会議では、英国が戦略爆撃方式を主張したが、米国が精密爆撃技術の優位を信じてこれを受け入れなかったため、英国は夜間爆撃を担当することになり、米国は昼間の爆撃を担当するということで合意したという。

 米国の戦争指揮部内で日本に対する空襲準備をしたのは、真珠湾前からだったという。1941年11月15日の真珠湾空襲3週間前に、ジョージ・マーシャルは非公開(off the record)で記者たちに、日本の木造の家が密集した都市に対する空襲で、いくらでも日本を破壊できると話したという。
 日本に対する攻撃に主に使用されたのはM-69焼夷弾で、一つのケースの中に38の焼夷弾が入っており、これを用いて爆撃をすると、分散して発火する。日本に対する空襲で有名なLeMayが登場する前の司令官はHansellだったが、彼は昼間高高度精密爆撃&quot;の教理を主張する側であった。そして1945年1月6日に彼の上官Norsatdにより解任され、Le Mayと交代となった。

 B29戦略爆撃機の開発と生産には、マンハッタン・プロジェクトより高費用が費やされたという。1945年3月10日の東京大空襲時、出撃前にルメイは天気を担当する参謀ロジャー・フィッシャーに、東京の地表面の風がどの程度なのか質問したという。答えられなくなると、&quot;火を避けることができないほどの風が吹くかを強調し、多数を殺すことが目的だということを表した。東京空襲は火炎暴風を活用した火攻で、8万から12万人の市民が死亡した。その後日本の都市に対する類似した爆撃が6~7回に続いた。
 このような戦法が使われたのを見ると、広島に対する原爆投下はその時点の特別な決断によって行われたものではなかった。 1 これは都市を標的にした無差別戦略爆撃を一つの爆弾で効果的にしたということに該当する。
 ルメイは東京空襲で広島、長崎を合わせたよりも多くの人を燃やして殺したと発言した。 2
 オーストラリアのアダム・ブロイノフスキー(Adam Broinowski)は、1944年から1945年までに日本の都市を目標とした米国の爆撃と、1950年から1953年まで朝鮮半島特に北部での米国の爆撃につながる米国の民間人居住地域に対する無差別爆撃虐殺の流れの中で、広島と長崎の原爆をとらえることを強調した。 3
1 seventy years of public controversy about &quot;the decision to drop the bomb&quot; have been almost entirely misdirected. It has proceeded on the false supposition that there was or had to beany such decision. There was no new decision to be made in the spring of 1945 about burning a city  worth of humans. Daniel Ellsberg, The Doomsday Machine, cofessions of a nuclear planner, p. 261.
2 &quot;we scorched and boiled and baked to death more people in Tokyo on that night of March 9-10than went up in vapor at Hiroshima and Nagsaki combined.&quot;(LeMay)
3 Adam Broinowski, Chapter Five: The Significance of Hiroshima and Nagasaki for the US-North Korea Nuclear Crisis. in David Lowe, Cassandra Atherton and Alyson Miller (ed.), The Unfinished Atomic Bomb: Shadows and Reflections, Lexington Books, Lanham, pp. 101-116pp.

 北朝鮮に対する米国の爆撃にはキム・テウ氏をはじめ研究者やメディアで取り上げている。 4 日本が降伏を決心するのに原爆投下はあまり影響しなかったということは,米国の残忍非道さを示すと同時に、日本民の被害に無感覚な日本の軍事主義政府もどれほど残忍であったかを表している。米国は20世紀に民間人居住都市に対する原爆投下をはじめとして、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などで多くの虐殺を犯し、残虐行為を行った。
 韓国人は韓国と北朝鮮を問わず、原爆による犠牲から、朝鮮戦争での無差別な爆撃や良民虐殺など、米国による甚大な被害を受けた。朝鮮戦争前後の韓国政府の残酷性は、米軍政の幇助によって民衆に向けられた。
 真実を隠蔽し犠牲者の声を抑圧する体制は、いかなる場合であれ民主主義体制にはなりえない。過去に韓国政府は北朝鮮政権に対する同調者を探し出すという理由で、罪のない人々を殺害した。このような国家の犯罪行為に対する謝罪と賠償は、民主主義政府の元でのみ可能だ。民主主義体制においても、全体のために一部の階層が経済的、社会的な犠牲を強要されることはあり得る。租税、土地、環境問題などにおいて類似する事例は多く発生している。こうした政策的な犠牲に対しては一定の補償が与えられる。しかし国家の目的のために、人間の生存権のような基本権を犠牲にするのは不法であり、民主国家においては容認されない。
 米国は原爆投下と様々な戦争を通じて多くの民間人を虐殺した。米国は他国の国民を自己の目的のために犠牲にしたのだ。米国がこのような行動をとり、国民を侵略戦争に動員する動機を提供した当時の日本もやはり民主国家とは言えない。米国は他国の民を犠牲にすることはあっても、自国民に対しては基本権を保障するのか?  米国は西部開拓の過程で、先住民に対する人種抹殺(genicide)政策を展開した。最近ではウラン鉱山開発と採掘の有害な作業に原住民労働者を動員した。民主主義国家ではありえない公権力による人権蹂躙行為が、有色人種に対して行なわれるているのをマスコミを通じて見ることになる。

4. 米国の暴力性の根
 米国はもともとアメリカ先住民の土地であったのが、英国を中心とするヨーロッパ人が到着して先住民を抹殺して建設した国だ。西欧の物質文明を土台にした圧倒的な物理力と、宗教を基盤にした独善と人種差別が人種抹殺行為を引き起こした。これは20世紀に米国が朝鮮半島をはじめ、アジアで起こした戦争犯罪においても繰り返され、米国の物質文明と宗教に憧れる親米勢力にその暴力性が引き継がれた。韓国軍人と警察が韓国の民とベトナムの民に対して加えた残酷行為にもつながったのだ。
 韓国を侵略して植民地化した日本の植民主義者とファシスト政権の暴力性には、同様に西洋から導入された物質文明の圧倒的な物理力が基盤となっているが、宗教的な独善や人種差別要因は力を発揮することはなかった。例えば日本の19世紀末20世紀初めの産業化と資本蓄積期間の資本家たちの暴力性と、社会的緊張と病理現象などが対外的膨張を通じて、残忍な暴力性を誘発したものと考えられるが、これについてはより詳しい分析が必要だ。4 김태우, 1913, 폭격 미공군의 공중폭격 기록으로 읽는 한국전쟁, 창비.
임영태, ‘한국 현대사, 망각과의 투쟁 “미군에 의한 학살사건(2)-미공군의 북한지역 공중폭격과 초토화”   http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=119756

5. 原爆と核エネルギー、産業文明
 米国の原爆の最大の効果は恐怖による自発的服従の誘導だ。これは直接原爆を経験した日本、そして直接·間接に被害を受けた韓国という同盟国を、米国の手中に入れることができた効果だと言える。同じ東アジアでも核開発を急いだロシア、中国、北朝鮮などの国にはその効能が及んでいない。
 核の傘は核の抑止力の外注という印象を与えるが、実は攻撃目標の米軍施設を誘致し戦争の危険をもたらす。核の傘の費用とはつまり在韓米軍に対する防衛費分担金で、年間12億ドル(1兆3千億ウォン)に達する。その費用を米国政府は引き上げ続けている。   
 北朝鮮を含む周辺諸国との外交と親善関係を通じて、安保状況をいくらでも確保していくことができるにもかかわらず、年間12億ドルの費用をかけて核の傘を借りつづける必要性がなぜあるのか疑問をもたずにはいられない。韓国政府は米国の核の傘を借り使用しているため、核兵器禁止条約に加入するという考えがない。核兵器禁止条約第1条は、下記のとおりだ。
【第1条】禁止
 締約国は、いかなる場合にも、次のことを行わないことを約束する。
 (a)核兵器またはその他の核爆発装置を開発し、実験し、生産し、製造し、その他の方法で取得し、保有しまたは貯蔵すること。
 (b)いずれの核兵器、その他の核爆発装置またはその管理を直接または間接にいずれかの受領者に移転すること。
 (c)核兵器または他の核爆発装置の移転またはその管理を直接または間接に受領すること。
 (d)核兵器またはその他の核爆発装置を使用し、または使用の威嚇を行うこと。
 (e)この条約によって締約国に対して禁止されている活動を行うことにつき、いずれかの者に対して、いかなる様態によるかを問わず、援助し、奨励しまたは勧誘すること。
 (f)この条約によって締約国に対して禁止されている活動を行うことにつき、いずれかの者から、いかなる様態によるかを問わず、援助を要請しまたは受け取ること。
 (g)自国の領域または自国の管轄若しくは管理の下にあるいかなる場所においても、核兵器または核爆発装置を配置し、設置し、または配備することを許可すること。

 第1条の(f)項等により、核の傘を借りて使う行為も禁止される。韓国政府は米国の核の傘を返還し、この条約に加入ことについて国会に提案すらしていない。また韓国の国会議員からこれに関連するいかなる提案も提出されたところがない。これは韓国の主権に決定権があるかという問題だ。同時に韓国民が米国の核兵器を絶対的権威として受け入れていることを示唆している。
 核エネルギーは投入する精製ウランの原料に比べて、エネルギー生産量が他のエネルギー源より圧倒的に強力だ。他の間接費用と長期的な解体費用、廃棄物費用を度外視しやすい人間心理を利用した幻想と錯覚を誘発する。
 日本での1955年体制というのは、特級戦犯容疑者の岸信介元首相を中心に自民党(LDP)が作られ、同じく戦犯出身の正力松太郎の読売が後援する原子力博覧会が開かれ、日米原子力協定が締結され、日本原子力委員会が創設される過程で、米国のアジア戦略によって原子力発電所の設置が始まった時代を指す。これは日本の民主主義とは関係なく、米国の冷戦的な利害関係と軍国主義時代の残党たちの登場により始まった。

 韓国における原子力発電は1956年の韓米原子力協定の締結により始まった。このような米国の影響圏に属した国々での原子力発電の拡散は、1953年に始まった米国のアイゼンハワー政府のNew Look戦略によるものだ。
 核発展の核心的な問題点は、国が供給する低廉な電気によって急速な産業発展の支えを提供するが、それによりもたらされる身体的かつ生活上の被害とリスク費用を、疎外された地域の住民たちと租税を納める一般国民が負担することにある。核発展推進の恩恵を産業界が享受する一方、核発電施設設置地域の住民や従事者が被害を受ける構造だ。このような危険に対する情報が公開され住民に説明されることはない。地域住民の同意や交渉によって正当な補償を支払う過程で核発展が進められるのではなく、産業発展を前面に出した独裁権力によって推進されてきたのが核発展の歴史だ。
 原爆は米軍政以降、韓国を反共、反社会主義自由市場、経済イデオロギー以外の代案を考えないようにしたファシズム、軍事独裁、国家保安法、工作政治を誘発した原因だ。また核エネルギーは生態環境と地域、未来世代の犠牲のうえに高度成長を推進を可能にするエネルギーとして、原爆と核エネルギーの犠牲者を再生産し、犠牲を強要するファシズム性格の産業文明との二本柱だ。少なくとも韓国と日本で起きた核兵器、原子力発電に対する無批判の受け入れは、広島、長崎で経験した無慈悲な原爆投下を敢行する米国の絶対権力に対する意識の下で行われた。
 このように核の傘と核発展は、民主共和国の立法過程を脱して、強力な現実権力によって推進され維持されてきた。その出発点にはやはり不法な原爆投下行為が存在する。

6. 犠牲者を拒否する被害者たちの連帯
 原爆被害者や朝鮮戦争前後の爆撃と良民虐殺被害者、古里(コリ)、霊光(ヨングァン)、月城(ウォルソン)、蔚珍(ウルジン)などの原子力発電所設置地域の被害者、その他の分断による軍事政権や情報工作政治の被害者、軍隊式産業経営による労災被害者たちは、核の力を象徴する米帝国主義の被害者だ。
 挺身隊、強制徴用、"慰安婦"被害者たちのような日本帝国主義の被害者や、米帝国主義の被害者の連帯の輪の中心にに韓国の原爆被害者がいる。その象徴的な場所が陜川だ。陜川を通じて米国と日本の帝国主義に対する被害者、親米,親日独裁勢力の被害者が力を合わせ、産業文明と称された犠牲を強要する暴力体制に拒否の意思を明確にしなければならない。
 朝鮮は朝鮮戦争を通じて米国の犯罪行為を経験し、貧しい経済的条件の中でも米国から国を守るために核武装を追求してきた。朝鮮の住民全体が米帝国主義の被害者だ。 もちろんその被害が始まった根底には、日本帝国主義の侵略と植民地化の歴史がある。
 一方韓国の市民社会は、加害者と被害者の立場の間で選択を要求されてきた。産業文明と経済発展の恩恵を享受するだけでなく、原爆被害者、国家犯罪被害者たちに同情する中立、または機会主義の立場にいつまでも留まることは許されない。
 核発展の中止と朝鮮半島の非核地帯化、事業場内の民主化、一切の差別の撤廃を通じて、積極的な未来的代案を追求する中で、朝鮮半島平和プロセスを推進していくべきだ。同時に米国の過去史の責任認定と謝罪がなければ、このプロセスは米国の暴力的な枠組みの中で留まってしまう。

7. 米国の戦争犯罪に対する謝罪と賠償
 米国は戦争中の良民虐殺犯罪に対して一度も謝罪、賠償していない。つまり米国は同じ状況になれば、同じ行為をいくらでも繰り返すということを対内外的に暗示し、周辺国と民衆に見えない脅威を加え続けているのだ。これは北朝鮮という敵国との関係だけでなく、韓国と日本という同盟国との関係でも同じだ。この同盟関係は恐怖感を前提にした不平等関係と規定される。
 原爆投下に対する記憶は、その劇的な爆発力が引き起こした恐怖感を反復再生産することで、このような不平等な同盟関係であり、東アジア地域において米国の利益を貫く上で大きな役割を果たしている。このような恐怖感を誘発する記憶は、米国の非人間性を露にした犯罪に対する驚愕と、その断罪による米国の恥ずべき立場に対する記憶に変わってこそ、恐怖感に基づく暴力的秩序から脱して平和な世の中を開くことができる。

8. 結論
 広島と長崎の原爆投下に対する歴史的研究を通じて確認されるのは、米国が朝鮮戦争とその後にアジア、中東で行ったような戦争犯罪に該当する行為が、原爆投下以前から始まっていたということだ。
 米国がこのような行動に対して謝罪、賠償しないことと、そのような行動が続いてきたこと,今後も継続するということは、繋がっており、深刻な問題だ。特に韓国では、米軍の占領後に米軍政の政策が朝鮮半島でその後起きた悲劇に大きな影響を与えたという点で、米軍に絶対権力行使の正当性を認めた原爆投下で、韓国民を解放したという神話が虚構的だとの認識は重要だ。
 第2次大戦の戦争中にドイツ、日本などファシスト勢力の犯罪はさておいても、英国と米国の戦争指揮部が、自国の市民たちに真実を隠蔽し、戦争目的の効果的達成のために民間人虐殺を当然のことと見なしたのは、ファシズムに対する戦争という名分を毀損するものだ。
 米国側の良心的な研究者、市民と協力して、さらに多くの真実を突き止め、米政府の戦争犯罪責任を問うことに、韓国、日本、北朝鮮の人々が力を合わせなければならない。

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