2018年10月15日月曜日

「民族差別」とは何か、対話と協働を求める立場からの考察

「民族差別」とは何か、対話と協働を求める立場からの考察

崔 勝久

1.はじめに
今回私は、在日朝鮮人の社会的な地位や状況、日本政府の政策などの客観的な記述ではなく、むしろ「在日」としての生き方を追い求めてきた多くの「在日」の一人として、「民族差別」についての個人的な見解を記すことにしました。
基本的に私は、国籍や民族の違いから相手の立場性を問うより、対等な立場での議論を通して課題を追及、共有化し、共に現実を変革する具体的な行動(協働)を求めます。その論議を深めるためには、御存じない方も多いと思いますが、1999年から始まった「花崎・徐論争」(1)の検証は不可避だと考えます。読者も御一緒にこの問題を考えていただければ幸いです。

2.在日朝鮮人の歴史について
拙論を理解していただく前提として、簡単に在日朝鮮人の歴史について触れておきます。「在日朝鮮人とは、三十六年間にわたる日本の植民地支配の結果として日本に在住することになった朝鮮民族とその子孫の総称です」(徐京植『皇民化政策から指紋押捺までー在日朝鮮人の「昭和史」』、岩波ブックレット)。私は「解放後」帰化をして日本籍を取得した者や、韓国から日本に住むようになった韓国人を含めて在日朝鮮人と捉えます。
敗戦時、解放にわく在日朝鮮人は200万人日本にいたといわれますが、多くは祖国への帰国を急ぎ、約60万人が残りました。朝鮮半島は米ソの対立を背景にして38度線で南北に分かれ、朝鮮戦争を経験し、未だにその緊張は続いていることは、みなさんも御存じの通りです。自衛隊が作られるようになる日本の政治の動向は南北朝鮮と深く関係し、そのはざまで在日朝鮮人は翻弄されてきました。
日本に残った朝鮮人に日本政府がどのように対応したのか、多くの日本人には知られていないようです。戦後教育は、平和と民主主義を希求し、被爆や焼け跡から立ち直った日本を強調してきました。あくまでも日本人は被害者であり、アジアへの加害者であったことは不問に付されていました。朝鮮人は見えない存在として、むしろ「闇市場」などで不法を働き、「朝鮮部落」で生きる汚く、貧しいというイメージが残ったようですが、それは朝鮮人の生活実態を反映したものであったのでしょう。
憲法制定過程からすると必ずしもGHQと日本政府が朝鮮人を同じように見ていたとは言えませんが、基本的には、日本政府の朝鮮人排除・排斥(或いは同化か追放か)という方針が優先され、この方針は今日まで続きます。旧宗主国としての植民地支配の責任という観点から在日朝鮮人の権利、処遇を考えるということはありません。また知識人や運動家においても決定的にその視点を欠如していたことは確認されなければならないでしょう。
1945年12月17日の婦人参政権を認めた選挙法公布によって、まず朝鮮人の選挙権は剥奪されました。朝鮮人は日本国籍をもったまま同時に外国人登録証をもたされ「第三国人」とされました。サンフランシスコ条約で日本は独立し、朝鮮人は正式に外国人として日本国籍を剥奪されたことになります。「韓国併合」以来、日本の植民地支配の一環として同化を強いられ、あげくは日本人軍人として戦争に送られた者も強制連行され日本で働かされた者も、日本に残ったすべての朝鮮人は、日本国籍がない外国人であるという理由で、無権利状態に置かれてきたのです。
戦後65年、日本は大きく変わりました。在日朝鮮人の権利の保障もなされるようになってきたことも事実です。しかし国民国家の枠を絶対化し、外国人を日本社会の構成員としてその権利を保障し、一緒になってこの社会をよくするパートナーと見做していないということでは何ら変わりはないのです。このことを念頭に置いて以下読み進めていただければ私の主張する意味がおわかりになると思います。

3.PP研「オルタナティブ提言」の事務局会議への感想文
私は9月に初めてPP研(2)の事務局会議に参加しました。まず冒頭、PP研の「提言」にあった「在日コリアン」とか「在日韓国・朝鮮(人)」という単語を私は絶対に使わないと話しました。それらは南北朝鮮の団体からの抗議に対して、最初に行政とマスコミが自己防衛のために使い始めた、妥協の産物です。どうして英語なのか、どうして中黒をいれた単語を使うのか、事務局のみなさんには両国団体から何を言われようと、ご自分の判断で、総称としての在日朝鮮人か在日韓国人のどちらかを使うことを勧めました。それは朝鮮半島の南北分断を固定化した発想だからです。
また会議中に話された、今の社会の原理に対抗する新たな「原理」を準備するということにも何か違和感があり、帰宅後、事務局に感想文を送りました。その内容を公開させていただきます。

提言草案にある、「帝国主義と植民地主義の根を引き抜く必要」と記されている点に関して私の感想を申し上げます。正直なところ、私は「外在的な批判」だという印象を受けました。「根を引き抜く」というのは、自分が外部から問題点を明らかにしてその解決を図るという比喩であり、自分自身はその根に関わっていないことを前提にした認識です。
明治以来、日本のナショナル・アイデンティティがどのように形成されてきたのか、このことの徹底的な検証がないところで新たな「原理」をだすということに、私は違和感を抱くのです。中塚明(2007)を読んでも、明治の日本人だけでなく、戦後の、現代の日本人の認識においても、植民地主義史観がどれほど根深いか改めて思い知らされます。
私は現代の国民国家それ自体が世界秩序の中で、植民地を持たない<新>植民地主義(西川長夫)を構造的に内包しているという、あるいは韓国の歴史学者、尹海東が、日韓両国を「人種的マイノリティ問題を中心にした多文化社会」と認識し、それを「内部植民地の問題」とした見解(3)に賛同いたします。従って、植民地主義とは何よりも在日朝鮮人をはじめ、日本に住む200万人を超える外国人への、現在の差別・抑圧のシステムと捉えるべきでありましょう。
従って植民地支配と闘うには、ナショナル・アイデンティティが植民地主義を支える構造を内破しなければならず、その一歩は自己認識、歴史認識の点検から始めるべきではないのかと考えるのです。ナショナル・アイデンティティと歪められた歴史観は、一人ひとりの認識に奥深く巣くっており、植民地主義批判は「内在的な批判」であるべきです。

事務局会議の中で草案が面白くないと話された方がいらっしゃいましたが、それは「提言」草案が「外在的な批判」に終わっており、人の心を打たないということではないでしょうか。国民国家を支えるナショナル・アイデンティティが、自分自身を含め人の認識の目を曇らせ現実を直視できなくさせている、そして「在日」もまたその例外ではない、という事実認識からスタートすべきだというのが私の意見です。
これまでのみなさんの築きあげてこられた議論を経ず、勝手なことを書きましたが、参考にしていただければ幸いです。崔 勝久

4.「民族差別」とは何か
マジョリティは自分の意識の背後で、自分の属する社会に対するルサンチマンを持っているのではないだろうか。        郭基煥『差別と抵抗の現象学』

「民族差別」については、「人権を蹂躙」されているのはマイノリティである「在日」だということが前提にされています。「在日」の問題を解決するのは日本人の責任だという脈絡で、<「在日」問題は日本人の問題>だと言われます。その通りには違いないのですが、私は良心的に見えるその捉え方がパターナリズムを生む例を数多く見てきました。
確かに戦後、「在日」が差別と抑圧の中で生きてきたという事実があり、それは植民地支配の清算ができていないからだというのは正しい認識です。「民族差別」の根底には植民地主義史観があり、それが克服されずに増幅されることから差別は惹起されます。「外在的な批判」に私が違和感をもつのは、「植民地支配の清算」ができていないのは政府や権力者の責任、またはそれを甘受している多くの大衆の問題だというニュアンスを感じるからです。
「在日」が日本人社会の差別に傷ついたり反発するのは、「在日」側にも根に植民地主義史観が植えつけられているからです。「在日」は人間らしく生きようとするとき、自分の中の日本のナショナル・アイデンティティ(歪められた歴史と認識を基にしている)との格闘から始めなければなりません。それを日本人の活動家が、自らを観念的に「加害者」「抑圧者」と位置つけるだけでは決して払拭されるものではありません。かつての華僑青年闘争委員会(華青闘)の告発にこぞって自己批判をした新左翼の各党派がその後、「民族差別」の問題をどのような問題として捉えてきたのか、自分たち日本人の責任という場合のその中身は何であるのか、苦渋の中から明らかにした例があるのでしょうか。

私が取り上げた「花崎・徐論争」は2000年初頭、植民地支配の清算、戦後責任に関心をもつ人たちに大きな衝撃を与えた事件です。ピープルズ・プラン(PP)研究所でも取り上げられていますが、その後十分に論議されていません。むしろ花崎の対応と思想性に問題ありとした日本人識者が多かったようです。丸山眞男と大塚久雄の戦中・戦後の論文を分析して自己確立的な、「自己同一的な主体」のあり方を批判する中野敏男の研究は優れたものです。しかしアイヌや「在日」という、抑圧された者たちからの声を聞くことで自らの生き方を模索してきた花崎が、徐の提起を受けとめようとせず自己反省的な主体確立を主張したという解釈の下で、中野が花崎を大塚・丸山の主体性論の系譜に位置つけたことには賛成できません。
私は、「花崎・徐論争」は後半で花崎が提起し始めたように、社会の変革を求めた日本の(新)左翼運動の総括が求められている今日、戦後の進歩的(左翼)日本人と「在日」との関係性、及び両者が抱く「解放」の思想性を検証する内容にまで発展させるべきであったと考えます。徐は「どこに立っているのか」と、花崎の日本人としての立場性を追求することで論争を終わらせるべきでなかったのです。私の問題意識からすると、徐の歴史認識(「在日」の主体性理解に関して、日本社会の問題を「一義的に日本人の責任」とすると、国民国家の内破という歴史的課題、及びその潜在的な可能性をもつ地域社会との関係はどうなるのか)もまた議論されるべきではなかったでしょうか。
花崎の中途半端な釈明と議論の終わらせ方は、本人にとっても不本意なものであったでしょう。むしろ身を引いたかのような印象を受けます。どうしてでしょうか。私は、徐が花崎に日本人の立場性を問うたからだと思います。その問いは日本人に沈黙を強います。対話が成立するには相互の対等な関係が保障されなければならず、一方が感情的になったり激しく論難しても受け留めなければならないという主張は、「在日」を対等なパートナーとみていないのです。「在日」の主張もまたその内容とともに提起の仕方を含め問われるべきです。
「花崎・徐論争」において中野敏男の見解に賛同する大田昌国は、花崎の、日本人としての立場性を厳しく問う徐を受け留めなかったということから、金静美の例をあげて、若干の躊躇をもって花崎を批判します。彼女は発掘した資料から歴史の捏造をあばき英雄視された人物を非神話化することで解放同盟からの激しい反発を受けながらも、学問的追求を続けた「在日」の研究者です。
しかし金(1995)の指摘する事実はその人物の全体像を明らかにするひとつの光であり、彼女自身は「在日」と被差別部落民との「共同性」を切り開いていく必要性を提起していると私は理解しますが、松本治一郎や野間宏などの問題点を提示し、その一点からの批判で終わってないでしょうか。
中国人学者、孫歌は歴史上の人物を描き出す方法として、竹内好をあらゆる角度からあぶりだし(勿論、彼の戦争を肯定した発言を含めて)、本人がロゴス化しえず混沌としていた思想の中から、時代を切り開く可能性まで探ろうとするのです。これは花崎のいう「コミュニケーション・モード」の次元でなく、彼女の複合的な視点、歴史・人間理解から生まれたものです。金静美や、花崎の日本人の立場性を問い詰め対話を深めなかった徐京植に、そのようなことを求める日本人はなぜいなかったのでしょうか。彼らが「在日」だから沈黙を守ったのでしょうか。

「民族差別」とは何かに戻りましょう。「民族差別」は植民地主義史観を克服しないで現在に至る日本社会の構造的な問題であり、日本人のナショナル・アイデンティティが現在の植民地主義を支えている限り、そしてなによりも、「多文化共生」というきれい事で外国人市民を「二級市民」化する「内部植民地」政策がさらに強化されていく限り、継続するものと見るべきでしょう。
この日本社会は日本人のものであり日本人が主人公であるという、国民国家を絶対視する認識・感性、これがある限り、差別(植民地主義)はなくなりません。差別は当然、社会保障、不安定な雇用、社会的地位、本名使用を躊躇させる風土、北朝鮮の拉致や核保有・実験への反発から北朝鮮系と見られる「在日」へのバッシング(ここに朝鮮学校を排除する高校無償化法案、韓国籍でない「在日」を排除する地方参政権も含まれます)など社会の多くの領域で見られます。
「民族差別」を何故問題にするのか、これは「人権蹂躙」されているのは誰かという認識に関わります。差別されている当事者は「在日」であっても、差別するマジョリティ側の日本人はどのような状況に置かれているのでしょうか。差別をする側の人間が社会的に疎外され、政治参加といっても代議制民主主義は形骸化されており、そして経済的にも格差の拡大、地方の凋落、将来に対する不安に苛まされ、毎年3万人を超える自殺者がいるということからしても、「病んでいる」のはまさに差別するマジョリティの日本人なのではないでしょうか。

私は自身のブログで「在特会」のメンバーから電話がありやりあったことを書いていますが、大学を出て公務員試験に落ちたのは能力差別だ、何で就職差別と闘ってきたお前たち「在日」は能力差別と闘わないのかとわめきちらすのです。そして漫画とネットで仕入れたという知識から、戦後の闇市からはじまってあらゆる「在日」の問題をあげつらい、「在日」の会社に入り暴れてやるとどなり散らしていました。
しかし最後に彼は自分のことになると電話口で泣くのです。私は就職できなかったら土方でもなんでもして働けばいいではないか、と怒鳴り返しましたが、すぐにそれは違うなと感じました。非正規社員の増加、植民地主義史観を払拭することのない歴史教育、日本人の「被害者性」の強調、こういう環境で「病」の人間がどれほど多いのか、むしろ実生活においては社会の被害者である彼らがナショナル・アイデンティティによって外国人への優位性を感じ、それを身近な「在日」にぶつけているのではないか。私は「差別」の被害者はむしろマジョリティである「病んだ」日本人なのだと思い始めたのです。

4.「多文化共生」とは何か
197077日の華青闘の告発によって、日本の新左翼は自らを「加害者」「抑圧者」であることを自己批判するのですが、その直後に始まった日立就職差別闘争では、日本人と「在日」の「共同」闘争によって運動は勝利に終わります。しかしその後謳われた出された、「在日」が地域活動を始めることによって最終的に行政と一緒になってスローガン化する、「多文化共生」とは何であったのでしょうか。
先に記述したように、私は日本の外国人政策を「内部植民地」主義であると捉え、「多文化共生」はそれを推進するイデオロギーと見るのですが、それはナショナル・アイデンティティを基に、歪められた歴史意識を払拭することなく助長し、日本社会の内部矛盾を「民族差別」に転嫁するものだと考えるからです。

横浜国大の加藤千香子教授が興味深い論文を発表しています。「1970年代の「民族差別」をめぐる運動―「日立闘争」を中心に」というテーマで、加藤は70年前半、「在日朝鮮人問題」の「象徴」であった「日立闘争」を分析して、当該の朴鐘碩の民族アイデンティティの変容と、闘争に関わった日本人の「自己変革」及び、闘争後の在日韓国教会が中心となった川崎での地域活動が、市教委への働きかけ、指紋押捺拒否、ふれあい館の建設、「門戸の開放」、外国人市民代表者会議の設立などによって、「多文化共生」のシンボルになった「現在をマイノリティの権利や「共生」の達成点」と捉える、固定的な評価を<脱構築>しています。加藤は、「現在を新自由主義の時代ととらえてその困難に向き合おうとするならば、これまでの前提や結論自体を問い直すことが不可欠」ではないかと問うのです。
彼女の分析は、70年代の「共同」が「在日」に「連帯と差別解消を要求する権利意識の高揚をもたら」す一方、日本人の「内向化や逃避」を生んだが、「90年代以降の「共生」は、マジョリティである日本人側が「権利を求めるマイノリティに対して一定の場所と文化の承認を与えようとするもの」であり、「「民族差別」解消の課題は、「多文化共生」のかけ声に変わっているかに見られる」というものです。

「多文化共生」はナショナリズムを前提にしたもので、日本のナショナル・アイデンティティを肯定的に捉えるものであるということを看過すべきではないでしょう。「多文化共生」は歪められた歴史観を払拭するものでなく、君が代・日の丸に象徴されるナショナリズムの強調と併存しているのです。
「多文化共生社会の実現」を市の施策の中で謳い、政令都市では外国人施策においてもっとも進んでいると言われている川崎の「多文化共生」の実態を批判的に検証することで、「内部植民地」主義とは何かということが明らかにされるでしょう。しかし多くの識者は、多様化を進める「多文化共生」を理念的にいいものだとただ漠然と捉え、川崎の実態を知ろうとしてこなかったのではないでしょうか。また「多文化共生」を一般論として観念的に批判しても、実際の地域社会における実態を知ることがないので、「内部植民地」を内破する実践に迫ることはできないと思われます。

盛り上がった指紋押捺拒否闘争は外国人(永住権者と一般外国人)の分断を許し、ふれあい館の建設は公設民営化路線の嚆矢であり、「門戸の開放」は「当然の法理」の絶対化と「公権力の行使」を理由に外国籍公務員を差別する制度化であり、外国人市民代表者会議の設立は外国人の二級市民化(市長の、いざというときに戦争に行かない外国人は「準会員」という発言の自己批判と総括のないところで運営され、一切の決定権をもたないという(それを上野千鶴子は「ガス抜き」と表現)、これらの実態は多くの人に知らされないまま、川崎市の一連の外国人政策は川崎を「多文化共生」の都市として有名にしました。
「多文化共生」は多様化を強調しつつ相互の民族性の違いを尊重するという建前ですが、実際は、「共生」の名の下で、社会の「統合」「統治」をもたらすイデオロギーの働きをしていると私は考えます。「多文化共生」のスローガンの下で既存社会の変革でなく、既存社会への埋没、社会の「統合」「統治」の方向に行くのではないかと私は見ています。闘いはこれからです。

5.最後に
結論的に言うと、「多文化共生」はテッサ・モーリス=スズキのいうコスメティック・マルチカルチャラリズム(上っ面の多文化主義)であり、戦後の在日朝鮮人と新たに日本に居住するようになった外国人への差別・抑圧と分断政策の隠蔽であり、国籍を理由に政治参加を認めず、表面的な文化の承認を強調したものにすぎないと私は見ます。在日外国人は日本社会での生活者であり、その全人格が認められなければならないという大前提が蔑にされています。
「国民国家は植民地主義の再生産装置」(西川長夫)とするならば、国民国家がある限り植民地支配はなくならないということになります。しかし多彩な文化的、歴史的な背景をもつ人間が生きている地域社会、ここにジェンダーや国籍や民族、年齢、収入、地位、障害の有無等に関わりなく居住し国家や地方自治体に全てを委ねるのでなく、自律的に生きていく可能性をもつということにということに注目すべきではないでしょうか。国家が変わり、なくなることはあっても地域社会はなくなりません(4)。私はここに国民国家を内破していく潜在的な可能性を見ます(5)
未来に向かってどのような開かれた地域社会をつくりあげるのか、この点に関しては国籍や民族の「立場」の違いを超えて、みんなが同じ「責務」を担うことになります。「在日」と日本人との対等な立場での対話がそこからはじまるのです。

(敬称略)

注                                                              
(1)1999年、花崎皋平と徐京植の間の論争で、「慰安婦」問題についての徐の発言に対してなされた花崎のコメントをめぐるものです。花崎は最初「コミュニケ―ション・モード」の問題として提起しましたが、徐は花崎の日本人としての立場性を問い、花崎は日本の左翼運動の経験から、徐が被害者の立場から「正義の主張」を「教義化する思想方法」に近づく危険性を指摘するに至り、噛み合った論争にはなりませんでした。その後、この問題を正面から取り上げて問題点を探りさらに発展させる論議はなされていません。
(2)ピープルズ・プラン研究所の略称。http://www.peoples-plan.org/jp/
(3)崔ブログ:「『韓国併合』100年を問う国際シンポジュームに参加して抱いた懸念」
http://www.oklos-che.com/2010/08/blog-post_09.html
(4)横浜国大の中村剛治郎(2006)は、地域とは「人間の社会的協働の基本単位」であり、「ナショナリティを超えて、そこに生活する多様な人々が共同で生き、生活する場、互いの基本的人権を保障し、人間としての自由や発達、幸せ、社会連帯や自然との共生などの実現をめざす基礎的な社会単位である」と定義します。そこでは時間をかけて「住民主権に基づく地方自治」が実現され、あらゆる住民は地域の構成員として受け留められなければならないはずです
(5)名古屋の河村市長が「真の地方自治」として提唱している「地域委員会」に国籍条項を適応したことは知られていません。これは私の主張する「住民主権に基づく地方自治」に真っ向から対立するもので、条例で可能になる、小さな行政区においても外国人の政治参加を認めない主張です。http://www.oklos-che.com/2010/02/blog-post_7122.html

参考文献
大田昌国「書評 徐京植著『半難民の位置から』花崎皋平『<共生>への触発』」2002『季刊ピープルズ・プラン』                      
第19号、http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2002/hantom.html
郭基煥 『差別と抵抗の現象学―在日朝鮮人の<経験>を基点に』2006新泉社
加藤千香子「1970年代日本の民族差別をめぐる運動―「日立闘争」を中心に」
『人民の歴史学』185号、2010東京歴史科学研究会
金静美 『故郷の世界史―解放のインターナショナリズム』1995現代企画室
崔勝久/加藤千香子編著『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』2008新曜社
同 「人権の実現―「在日」の立場から」斎藤純一編『人権の実現』
  (『講座 人権論の再定位』全5巻)2010法律文化社
徐京植 『半難民の位置からー戦後責任論争と在日朝鮮人』2002影書房
孫歌  『竹内好という問い』2005岩波書店
鄭香均編著『正義なき国、「当然の法理」を問い続けて』2006明石書店
テッサ・モーリス=スズキ『批判的想像力のためにーグローバル化時代の日本』2002平凡社
中塚明 『現代日本の歴史認識―その自覚せざる欠落を問う』2007高文研
中野敏男『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任』2001青土社
同  「自己反省的主体の隘路―花崎皋平と徐京植との「論争』をめぐって」『現代思想』第30巻7   号、2002青土社
中村剛治郎『地域政治経済学』2006 有斐閣
西川長夫『<新>植民地主義論―グローバル化時代の植民地主義を問う』2006平凡社
花崎皋平『<共生>への触発―脱植民地・多文化・倫理をめぐって』2001みすず書房
文京洙 『在日朝鮮人問題の起源』2007クレイン
朴裕河『ナショナル・アイデンティティとジェンダー』2007クレイン
山本崇記「差別/非差別関係の論争史―現代(反)差別論を切り開く地点」2007Core  
    EthicVol13                                                                 
金静美 『故郷の世界史―解放のインターナショナリズム』1995現代企画室
崔勝久/加藤千香子編著『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』2008新曜社
同 「人権の実現―「在日」の立場から」斎藤純一編『人権の実現』
  (『講座 人権論の再定位』全5巻)2010法律文化社
徐京植 『半難民の位置からー戦後責任論争と在日朝鮮人』2002影書房
孫歌  『竹内好という問い』2005岩波書店
鄭香均編著『正義なき国、「当然の法理」を問い続けて』2006明石書店
テッサ・モーリス=スズキ『批判的想像力のためにーグローバル化時代の日本』2002平凡社
中塚明 『現代日本の歴史認識―その自覚せざる欠落を問う』2007高文研
中野敏男『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任』2001青土社
同 「自己反省的主体の隘路―花崎皋平と徐京植との「論争』をめぐって」『現代思想』
  第30巻7号 2002青土社
中村剛治郎『地域政治経済学』2006 有斐閣
西川長夫『<新>植民地主義論―グローバル化時代の植民地主義を問う』2006平凡社
花崎皋平『<共生>への触発―脱植民地・多文化・倫理をめぐって』2001みすず書房
文京洙 『在日朝鮮人問題の起源』2007クレイン
朴裕河『ナショナル・アイデンティティとジェンダー』2007クレイン
山本崇記「差別/非差別関係の論争史―現代(反)差別論を切り開く地点」2007Core      EthicVol13  http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2007/yt01.pdf                                                                                                               

0 件のコメント:

コメントを投稿