2018年8月7日火曜日

北朝鮮の被爆者の来日、来韓を実現させましょう

1945年8月6日の広島へのアメリカによる日本の広島(及び長崎)への原爆投下によって、ヒロシマ・ナガサキが原爆被害の世界的な象徴になっていますが、実は広島及び長崎への原爆投下による被害者は日本人だけではないのです。アメリカ人や中国人もいましたが、なんといっても多いのは日本の植民地支配によって徴用として日本に渡り被爆した朝鮮人です。

被爆者全体の約1割の7万人だと言われていますが、その朝鮮人被爆者の多くは死亡し、生き残った朝鮮人にはハプチョン出身者が多かったのです。実際資料館で本人の履歴書を見せてもらいましたが、多くは懲用で来ていました。広島で被爆した多くの朝鮮人(及び2世、3世)が韓国のハプチョンで住んでいることは世界はもちろん、韓国でもあまり知られていないのです。


韓国の被爆者が、被爆者が誰だかはっきりしているのに加害者がはっきりしていない、アメリカも日本政府もそして韓国政府までもが自分たちのことを無視してきたと憤慨するのは当然のことだと私は思いました。

写真はハプチョンに世界平和公園を造成し原爆犠牲者を安置することを訴えるシム・ジンテ韓国原爆被害者協会ハプチョン支部長。彼の心からの訴えに胸を打たれます。

私がハプチョンの原爆被害者の慰霊祭で日本から参加した者の代表として挨拶することを慰霊祭事務局から依頼され、固辞したのですが、名前を印刷したからということで挨拶をすることになりました。8月6日、韓国ハプチョンでの慰霊祭の様子が韓国での全国ニュースで流されました。その中で私のスピーチの様子も写っています。私の話の内容は以下のとおりです。
https://www.facebook.com/seungkoo.choi.12/posts/1531244957020734?notif_id=1533708578980590&notif_t=feedback_reaction_generic


私は在日二世の崔勝久(チェ・スング)と申します。1945年生まれの73歳になります。父は他界しましたが、11歳の時に一人で黄海道の信川(シンチョン)から日本に渡って来ました。私は9月6-17日まで共和国に初めて行くことになり、父の故郷を訪ねます。そしてその地で父の遺骨を散布してきます。
私は朝総連に北の被爆者のハルモニに会うことを申請しました。お会いできれば韓国であたたかくお迎えし、治療も受けられるように、そして韓国の被爆者が解放後、言葉に表すことのできない苦労をしながら獲得した権利を彼女たちも享受できるようにしたいというお話をしたいと思っています。みなさん、北にいる被爆者をあたたかく迎え入れようではありませんか。ありがとうございました。


参考資料:韓国原爆被爆者教会の決議文(2018年8月6日)

社団法人・韓国原爆被害者協会は、原爆投下73周年になる今年に行われる原爆被害者追悼式典に際して1945 年8月6日や9日、日本の広島と長崎にて米国の原爆投下による朝鮮人被害者10万人のうち、生き残った2300人余りの会員は韓国政府は勿論、日米両政府に対しても謝罪と賠償、そして追悼公園の建設を強く促す立場を示しながら、以下のように決議する。

―大韓民国政府は同国憲法第10条により、日米両政府に対して謝罪と賠償を強く要請し、被害国民への福祉対策を講究せよ。

―日米両政府は、原爆投下による韓国人被害者への謝罪や賠償は勿論、5万人の犠牲者の遺骨を送還せよ。

―大韓赤十字社は核の無い平和な世界づくりに際し、南北の原爆被害者同士の交流事業を積極的に推進せよ。

2018年8月6日

社団法人・韓国原爆被害者協会 会員一同






韓国人被爆者の実態さえ定かではありません。特に被爆者2世、3世は遺伝による障害があるのかということは大きな問題になっています。被爆者が実態調査を要求する所以です。特措法が韓国国会で作られ不十分であるとはいえ、韓国人被爆者1世は韓国政府から法的な保護救済を受けるようになっていますが、当時「日本人」として被爆した朝鮮人が密航などによって来日し、裁判を起こし、原爆手帳を獲得して日本政府からの治療費を受けれるようになったのは最近です。
しかし北朝鮮にいる300人以上の被爆者はまったく無視され、無権利状態です。まずは日本政府が、そして同じ民族ということで韓国政府が北朝鮮にいる被爆者を招き治療や治療費などの支給をするのはいつになるのでしょうか。
私は9月6日に北朝鮮に行き、被爆者に会います。日韓両国の市民の皆さんのご支持、ご協力をお願いします。北の被爆者の来日、来韓を実現させましょう!

狹川「原爆被害者追慕祭」日本NHK初の生中継
Ohmy News 8月6日http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002460867

「韓国の広島」と呼ばれる慶南陜川「ハプチョン」で開かれた「第73周期原爆被害英霊のための追慕祭」が日本の放送を通じて生中継された。日本のNHK6日午前陜川原爆福祉会館慰霊閣で開かれた追悼式を生中継した。

追慕祭が日本に生放送されるのは今年が初めてだ。NHKはこの日、追悼式の祭礼と追悼辞シーンをそのまま放送した。NHK側は今年、広島で開催される追悼式を控えて雰囲気を高めるために、これまで開かれてきた陜川追慕祭を放送することになったと明らかにした。

追慕祭は、194586日と9日、広島と長崎に投下された原子爆弾の犠牲になった韓国人被爆者たちの魂を偲ぶために開かれた行事で、今年で73周年を迎えた。

追慕祭は韓国原爆被害者協会、陜川郡、陜川原爆支部(支部長シン・ジンテ)、韓国原爆2世患友会(会長カン・デヒョン)が開いたものである。

この日の追悼式にはムン・ジュニュイ陜川郡首とカン・ソクジン国会議員、ソク・マンジン陜川郡郡議会議長、リュ・ミョンヒョン慶尚南道福祉保健局長、キム・ユンチョル慶尚南道議員、シム・ジンテ陜川原爆支部長、ウィドアジア理事長支援の僧侶、チェ・スング反核平和連帯事務局長など300人余りが参加した。

この日の行事は、祭礼を始めとして追悼公演(厄払い)、開会宣言、追悼黙祷、追悼の辞、遺族代表挨拶、献花、追悼合唱順に進行された。

ムン・ジュニュイ陜川郡首は追悼辞で「その日無念のおもいで亡くなった英霊に対して体と心を尽くしてもう1度思い浮かべ無念の死の恨をはらし、彼ら(残された遺族)の権益増進のための支援に最善を尽くす」と述べた。

また、キム・ギョンス慶南知事に代わって出席したリュ・ミョンヒョン福祉保健局長は、「今日この場が全世界に非核化と平和への熱望を広く知らせ、我々はすべての痛みが癒される貴重な時間になることを希望する」と述べた。

一方、追悼式の前日には陜川平和の家(院長イ・ナムジェ)主管で「第72018陜川非核平和大会」が「非核・平和への道」のテーマで原爆被害者福祉会館で開かれた。 この日の大会では、日本伊藤孝司監督が直接北朝鮮を訪問し、北朝鮮に居住する被爆者を扱った最初のドキュメンタリー映画<広島・平壌>映画を上映し、「生命と脱核巡礼の話」を主題とした話しや、原爆被害者写真展市場などのイベントが開かれた。

イナムジェ院長は「核のない世界、非核、平和の叫びは、今日もこうして小さな平和の都市陜川で鳴り響き地球のあらゆるところに広がっていくことを念願する」と伝えた。一方、原子爆弾投下で、広島で8万人、長崎で20万人が死亡し、これらのうち、韓国人の死亡者は、長崎の35000人、広島15000人で、全体の犠牲者の20%を占めている。国内原爆被害生存者2000人のうち600人が陜川に居住しており、陜川は「韓国の広島」と呼ばれる。
(注:この韓国の記者は、長崎と広島を混同し、被爆者数及び死亡者数が逆になっています。しかしかくも多くの被爆者がいた、そしてその中にかくも多くの朝鮮人被爆者がいた事実には違いがありません。この歴史的事実とその歴史的背景こそ、直視されるべきことであろうと思います。)





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