2018年8月7日火曜日


同時代史研究』寄稿 時評
                    孤立深める日本のゆくえ
                                  変わりゆく世界のなかで
                     纐纈厚(明治大学特任教授)


朝鮮半島情勢の急展開をどう見るのか
安倍晋三首相は、「東アジアの安全保障環境は大きく変わった」を再三口にし、中国・北朝鮮の脅威を理由に安保関連法や自衛隊の権能強化を図ってきた。その物言いは、朝鮮半島情勢の急展開を受けた今日でも変わりがない、と強弁するのだろうか。昨年『暴走する自衛隊』(ちくま新書)を書いて以来、これまで以上に自衛隊と文民統制に関する発言を求められることが多くなった筆者からすると、それはもはや誤った口実、あるいは政治目的を強引に正当化するためのプロパガンダでしかない、と言わざるを得ない。そして、東アジアの軍事的緊張は緩和の方向に向かっている、と結論づけられよう。

それは、言うまでも無く南北朝鮮首脳会談や米朝首脳会談が実現したからだ。勿論、首脳が会談したからと言って、堰を切ったように直ちに緊張緩和が進み、休戦協定が停戦協定となって「終戦」が迎え、南北朝鮮が統一し、米朝国交正常化が近い将来実現する、などと言うつもりはない。それほど単純な国際政治ではないのだから。ただ、緩和化に大きく踏み出したことは間違いない。これはメディアの責任も大きいが、まるで明日にでも米軍の北朝鮮攻撃が開始される、とする空気が支配していた一年前とは真逆の状況が、恰も忽然と生まれたことは確かである。

しかし、米中と米朝との水面下での交渉や、韓国の実に見事な仲介戦略が着実に進められていたことを知っていた者からすれば、こうした首脳会談の実現は大凡想定内と言えた。そよりも交渉内容について、私の周りではその予測に懸命だった。実は両首脳会談では、実務者レベルでのかなり激しく、かつ厳しい交渉が六者協議の枠組みではなく、二国間交渉方式を徹底して採用することで、一歩一歩積み重ねられていたことが特徴であった。そこでは最初から越えられないハードルではなく、当面は超えられる可能性のあるハードルを敢えて設定することで、従来のパフォーマンスではなく、実を取る交渉が念頭に置かれた。実は、中国やロシアをも含めて、これまでの六者協議の枠組みの限界性と非戦略性を充分に教訓にしたうえでの交渉であったのである。そこに極めて深い外交交渉の練り上げを痛感する。 

私は昨年一〇月、「南北朝鮮の和解と統一を阻むもの アメリカの覇権主義と追随者たち」(『中国・北朝鮮脅威論の超えて 東アジア不戦共同体の構築』(耕作社)と題する論文を書いた。その冒頭で文在寅大統領の登場と、そのブレーンたちの南北朝鮮首脳会談開催を実現するための戦略的な動きについて触れ、康京和外交部長官や鄭義溶国家安保室長らが着任した時点で、以前から南北朝鮮統一に尽力を注いていた学者グループや外交官たちの主導による南北和解の動きは事実上スタートしている、と記した。また、アメリカでも北朝鮮情報を独占的に掌握していた中央情報局(CIA)長官のマイケル・ポンペオが国務長官に就任した時点で、米朝会談は事実上スタートしたと観測していた。米朝関係は国務省サイドの正規ルートではなく、表向きは別としても、北朝鮮の指導部との接触と人脈形成など、CIAのネットワークでしか対応不可能であったことは良くしられているところであった。それだけに、ポンペオの国務長官就任は、それまで積み重ねてきた米朝交渉の成果が表舞台で公表かつ実行可能になったことを示していたからである。

アメリカは、一九六八年に起きたアメリカ海軍の情報収集艦プエブロ号が北朝鮮軍に拿捕された、いわゆる「プエブロ号事件」以降、あらゆる角度から北朝鮮情報を集積する過程で、人脈形成にも相当の成果を挙げていた。その意味ではCIAが最も北朝鮮を知り尽くした組織とされてきた。軍歴を持つポンペオがCIA内に蓄積された北朝鮮情報と人脈を利用し、国務長官の地位を得て一気に動いたのが、今回の米朝首脳会談である。今回の首脳会談実施に限らず、またあらためて指摘するほどの事でもないが、言うならば、〝CIA外交〟は、アメリカの外交軍事戦略を読み解くうえで知っておくべき対象でもある。

実はこれに中国もロシアもCIAのネットワークの下で連携していたことは想像に難くない。問題は、こうした動きが水面下で活発化していたことを日本の外務省や首相官邸が、その最深部まで把握していなかったことの問題である。この間、安倍首相は、只管に北朝鮮への経済制裁強化と拉致事件解決を最優先課題にし、このダイナミックの動きに関心を払おうとしなかった。

勿論、こうした水面下の外交交渉の手法は、必ずしも正統性を得たものでない、と言うこともできる。しかし、例えアメリカの〝CIA外交〟の蚊帳の外に置かれたとしても、日本は南北朝鮮との植民地支配責任を正面から見据え歴史和解の方途を探り出すべきであったし、また独自の外交方針を掲げて東アジアの安全保障体制構築の先導役をも務めるべきであった。また、それを踏まえつつ、南北朝鮮の自主的平和的統一を、日本の独自の外交スタンスから積極支援する外交姿勢を見せる度量と戦略が欲しかった。

安倍首相は外交が得意ということになっているらしいが、安倍外交には戦略性も自立性も全く欠落していることは、今回の一連の動きのなかで一層明白になった感が否めない。その原因は、戦後一貫して日本の外交防衛がアメリカに全面依存し、自らの立ち位置を確定する意欲も努力も欠いていたこと、常にアメリカの肩越しからしか、外交力を発揮しようとしなかったこと、戦後の国体とも言える日米安保体制の呪縛ゆえに、日本は外交不在の国家と言う体質を身に着けてしまったことなどが指摘される。既に指摘されてきた通り、日本は深刻な矛盾を抱え込んでしまっていることである。平和戦略を構想する力を失った「疑似平和国家日本」は、必然的と言うべきか、「軍事国家」としての体裁を施していく。それが安倍政治の本質である。

北朝鮮と向き合えない安倍政治
安倍首相自身が拉致問題を踏み台にして閣僚経験がないまま、いきなり首相に就任したことから明らかなように、安倍首相にとって、拉致問題とは自らを政治の舞台に引き上げてくれた大切な素材として、徹底利用しているのであろう。自立的主体的な外交力を発揮するために、拉致問題が深刻な障害となっていることに殆ど気づいていないのである。拉致問題は人権問題としても極めて深刻な事件ではあるが、それは北朝鮮との国交正常化交渉と国交樹立への政策転換の過程で、解決の方向性を見出すのが順序として当然であろう。軽々に比較するのは慎まなければならないが、朝鮮戦争の折、北朝鮮領内で戦死した米兵の遺骨返還作業が、米朝交渉の成果の一つとして既に始まっていることは注目に値する。

拉致事件の解決なくして日朝交渉は在り得ないとする物言いは、結局のところ半永久的に米朝交渉の扉を閉ざしたままに据え置くことを意味してしまう。それではなぜかくも安倍首相は頑なに拉致事件を金科玉条の如く前振りとして多用するのだろうか。それが果たして本当に最優先する課題であろうか。誤解を恐れずに言えば、拉致事件の存在は、日本に反北朝鮮ナショナリズムを焚き上げて、国家至上主義を浸透させ、自由・自治・自律の民主主義の基本原理から、動員・管理・統制という軍事主義の基本原理を国民の間に注入しようとする思惑があるからではないかと疑ってしまう。

このいわば軍事主義注入作業は、功を奏していて、それが青年層をも含めて保守化と表現される政治現象を生み出している。その意味で、安倍首相の説く、中国や北朝鮮の脅威論を基本とする「東アジアの安全保障が変わった」式の議論の意図するものは、脅威設定による軍事的緊張感の醸成による国家防衛論の喧伝にこそある。ただ、安倍側近のなかから、流石にこれまでのような北朝鮮姿勢の限界性を感じ取ったがゆえに、〝絶対的敵視政策〟から〝相対的敵視政策〟への転換を直言する者も居て、極めて間接的ながら日朝首脳会談への意欲をちらつかせ始めてはいるが、北朝鮮からは安倍首相の従来の姿勢への不信感が強く、恐らく現状のままでは会談には応じないはずだ。北朝鮮が言う、「一億年経っても・・」日朝会談あるいは歩み寄りは在り得ないとする、これまた強固な姿勢の背景に、一体如何なる問題が横たわっているのか真剣に読み解くべきであろう。

北朝鮮側にしても日本や韓国からの経済支援は喉から手が出るほどの成果物でることは誰もが判っていることだ。それでも北朝鮮は、日本の植民地支配責任への謝罪、従来の差別的抑圧的な対北朝鮮姿勢を日本が如何なる方法と内容で、清算しようとするのかを注視しているはずだ。

安倍改憲論も安保関連法や共謀罪などの強行採決、自衛隊の拡大強化など、一連の強面の政策に通底する露骨なまでの軍事主義・国家至上主義は、北朝鮮側すれば、深刻な脅威だと捉えているはずだ。ここで再考しておくべきは、確かに北朝鮮の基本姿勢は、従来までは「核武装大国・経済強国」と言う、所謂「並進路線」の採用であった。そこでは極めて強固な労働党主導による「先軍政策」と呼ばれる軍事国家としての側面は隠しようがない。問題は、何故に北朝鮮が軍事優位の路線を敷かざるを得なかったのかの理由である。

その問題を解く鍵のひとつが、アメリカや日本など軍事経済大国による北朝鮮恫喝政策にあったと言える。朝鮮戦争の休戦協定に盛られた朝鮮半島の非核化の条文が、先にアメリカによって破られ、核砲弾発射可能のカノン砲や核ロケット・オネストジョンなどが韓国領土内に持ち込まれ、それが撤去された後にも日本の沖縄や岩国などにMGM/CGM13(メースB)など核搭載可能なミサイルを展開してきた。加えて韓国及び日本には合計で一〇万を越える在韓・在日米軍を展開し、併せて横須賀を母港とする米第七機動艦隊には原子力空母を旗艦とする大規模な打撃力を配備し、岩国・沖縄の基地には侵攻部隊である海兵隊を常置している。

さらにはアメリカとの間に韓米安保・日米安保という名の事実上の軍事同盟を締結し、今日においては集団的自衛権行使及び安保関連法によって、米韓日三国軍事同盟によるワンユニットの合同軍が北朝鮮への軍事恫喝を常態化している。そのことが、アメリカと比較して経済力では、〇・一%しかなく、軍事力においても〇・三%の能力しかない北朝鮮をして、それでも脆弱な経済力を振り絞る恰好でミサイル発射実験や核保有に奔走させてきた、という側面も否定できない。恫喝・外圧を受けた国家が、その存立基盤や正統性を担保するために好むと好まざるとに関わらず、「先軍政策」という名の軍事主義を採用し、その結果として軍事国家に駆り立てられてしまった、とする解釈も可能であろう。

それはかつての侵略国家日本が軍事主義・軍国主義を採用・導入していった経緯とは根本的に異なっている。戦前の日本は自ら積極に海外派兵を繰り返し、他国を侵していった。今年は「明治一五〇年」を寿ぐセレモニーなるものが政府の音頭により各地で企画されているようだが、その「明治一五〇年」前期と言える戦前期日本は、一八七四年の台湾出兵を嚆矢として、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、上海事変、対英米蘭戦争など連綿として戦争を発動し、軍事国家の道を自ら選択していった。主観は別としても、客観的に言えば、何処からも恫喝をかけられていた訳ではなかったのにも拘わらず。

しかし、戦後世界において北朝鮮は朝鮮戦争以降、一度も戦争政策を発動したことのない稀有の国家となった。参戦や派兵には相応の理由や説明が付きものであるが、事実として言えば、アメリカや旧ソ連、ロシアは言うに及ばず、中国は中越紛争でベトナムに派兵し、イギリスはフォークランド紛争でアルゼンチンに派兵した。また、フランス・ドイツ・イタリアなどのNATO諸国もユーゴ内戦に空爆など敢行している。韓国はベトナムに延べ三三万人の兵士を派遣し、日本も二〇〇四年以降、イラクなど海外に自衛隊を派遣し続けてきた。だが、北朝鮮は一九五一年以降、全く海外派兵を行っていない。戦争や派兵には無縁の国家であったことは記憶して良い事実であろう。その意味で北朝鮮は徹底した防衛に特化した戦略を採っていると見て良い。

その北朝鮮が米首脳会談以降、核兵器やミサイル関連施設の現時点では全てではないが、解体・破壊を重ねているのは、米軍の北朝鮮侵攻作戦計画「五〇一五」発動の可能性が緩和化された、と受け取っている証拠であろう。楽観視は禁物だが、少なくともそれは北朝鮮の戦略や装備が徹底した国家防衛に集中してきた証左とも言える。北朝鮮は韓国・中国・アメリカなどとの首脳会談を重ねることで、脅威から解放されることを希求したのである。

変貌遂げる日本自衛隊
そうした観点からして、一方の日本自衛隊の近年に示された防衛戦略や正面装備の転換ぶりは、極めて特徴的である。その点を少し触れておこう。
現在の自衛隊には、専守防衛に専念する従来型の自衛隊ではなく、世界最強の軍隊であるアメリカ軍との共同作戦を遂行するに足りる、文字通り世界に通用する軍事組織としての内実を固めたいとする強い志向が存在する。アメリカの言う同盟国分担体制を積極的に受容することが、自衛隊の組織拡充の絶好の機会と捉えているのである。アメリカの戦略転換に呼応する自衛隊の西日本シフトが顕著である。というのは、米トランプ政権が誕生する以前から「Offshore Rebalancing」(沖合均衡戦略)の打ち出しが検討されているのだ。すなわち、平時、アメリカ軍は可能な限りアジア地域から後退する構想を確実に持っている。平時にあっては「沖合」(Offshore)に後退しておき、有事にのみ紛争地域に出動展開するという戦略である。そこでは、平時においては、アジア地域で自衛隊と韓国国防軍がアメリカ軍の〝代替軍〟として位置づけられる。

こうしたアメリカによる要請を受ける格好で、この間自衛隊の組織装備の権限強化と再編が一気に加速している。例えば、二〇一五年に実行された「防衛省設置法」第一二条改正は、極めて衝撃的な改正と言えた。観点に言えば制服組(武官)と背広組(文官)との権限の平等化を図るものであったからである。日本の文民統制は周知の通り、文官である防衛官僚(背広組)が武官である自衛隊制服組を直接に統制する。その意味で文民統制の実態は、正確には文官統制である。つまり、防衛官僚を通して自衛隊制服組を統制するシステムが日本の文民統制(シビリアンコントロール)の特徴である。「防衛省設置法」第一二条の改正以後、文官と武官との上下関係が事実上解消され、対等性が担保された。文民統制に大きな風穴が開けられたに等しい改正である。これは戦前の軍事組織に絡めて言えば、陸軍大臣と対等な参謀総長が出現したに等しい。自衛隊制服組のトップの統幕議長は、戦前の参謀総長に相当する。

また世論の関心を左程呼ばなかったが、陸上自衛隊に陸上総隊が編成されたことも重大な編成替えのひとつであった。私などは、これを自衛隊の国防軍化の第一歩と見ている。現在の陸上自衛隊の師団数は、日露戦争開始当時と同じ一三個師団を保有している。それが五個方面隊に分別されている。この五個方面隊の上位部隊として、自在に海外展開できる部隊として編制されたのである。これは、陸上戦力の本格活用に備えての編成替であり、陸自部隊の一元的運用に適合する部隊である。最終的には、陸上総隊が旧軍の参謀本部に匹敵するものとなろう。そこでは陸上総隊司令官が検討されており、同司令官が設置されると、同司令官は旧軍の参謀総長に匹敵することになる。

自衛隊はこの他にも水陸機動団など、海外派兵に即応し、かつ一定の戦争に従事可能な部隊を創設しているだけでなく、例えば世界水準の評価では軽空母とされる「いずも」や戦前期の空母「加賀」の名前を引き継いだ「かが」などの大型艦を実戦配備しており、今後陸海空三自衛隊が競い合う格好で装備の近代化など軍拡に奔走している現実がある。その自衛隊を安倍改憲案によって、憲法に明記しようとする動きが出ている。こうした自衛隊の動きを批判する側には、現職の三等空佐(戦前の少佐に相当)が国会議員に暴言を吐き政治問題化したように、国防の前には批判も議論も許さないとする、文字通りのファシズムの思想が勢いを得ているのが今日の状況である。

私たちは、日本国家や国民の安全が如何なる手段によって守られるのかを、今一度真剣に問い直す時代に立ち竦んでいるように思われてならない。過剰な軍事力によって周辺諸国に脅威を与え、軍事同盟の深化とやらで、主体的な外交防衛戦略を紡ぎ出せないでいる日本は、このままでは孤立を深める一方ではないか。軍事力ではなく、平和力でアジアの、そして世界の平和戦略を主導する気概と知恵を発揮することこそが、平和憲法を戴く私たちの責任ではないか。そうした観点から、今一度朝鮮半島情勢の読み解き、東アジアの安全保障体制の行く末、そして何よりもアジア平和共同体構築をも一つの展望とする長期的視野に立つ国際平和秩序の形成に取り組むべき時であろう。


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