2017年5月22日月曜日

吾郷メモ:韓国の市民キャンドル革命の意義と日本の市民運動の展望に向けて

韓国は市民キャンドル革命によって前大統領を罷免し新たな大統領を誕生させました。そして市民の意向がどのように既成政治に影響を与えながら社会変革に向かうのかの壮大な、歴史的なこころみをはじめています。日本の市民運動は韓国の市民運動に注目し、そこから学ぶべきことを学び、そして連帯して行かなければならないのではないでしょうか。このような考えから3月に東京で5回の韓国市民キャンドル革命から学ぶ連続講座を開催し、今回、その時の講師の金民雄教授をお呼びし、講演会を福岡、大阪、新潟で開催いたします。

金民雄教授(牧師)講演会
5月26日(金)福岡、伝道集会 午後6時 於日本キリスト教会 福岡城南教会
5月27日(土) 福岡、市民集会 午後2時 於西南学院大学(松緑館)
5月28日(日)大阪、市民集会 午後3時 於大阪南YMCA

5月29日月) 新潟、 市民集会 午後6時半 於クロスパル新潟4F

第一回目の講演会は福岡で開催され、日韓反核平和連帯の吾郷さんから、金民雄教授を迎え、韓国の市民キャンドル革命の意味(意義)とそれが日本と東アジアに与える影響及び、日本での闘いの展望を見通すための吾郷健二さんのメモが公表されました。多くの仲間と共有化して金民雄教授をお迎えしたいと思います。


   吾郷メモ(韓国キャンドル市民革命 金民雄教授講演会)(2017・5・27)
                      講演会の意義(主催者あるいは吾郷の見解)

キャンドル市民革命の意味(意義)を考え、そこから教訓を学び、今後の日本と東アジアにおける我々の戦いの展望を見通すために。大きく二つの問題(ないし問題群)がある。

1 キャンドル市民革命の形態(形式)に関わる問題群
1—1 なぜ、あのように巨大な市民運動が生まれ、成功したのか? その諸要因は?
同じような状況にある日本との巨大な落差がここにいる日本人全ての大きな関心であり、韓国の運動から我々は何を学ぶべきなのだろうか? (東学農民革命以来の100年以上に及ぶ韓国民衆の命をかけた必死の戦いの歴史に比べた時、自らが帝国主義列強にのし上がろうとする日本近代の帝国臣民のナショナリスティックで傲慢な自己意識との歴史的違いはあまりに大きすぎるにしても。)
日本における<市民革命>の展望を我々はどう打ちたてることができるのだろうか?

1—2 キャンドル市民革命の最大の意義(意味)は、21世紀の高度に発達した複雑な産業社会において、<主権者たる市民>が直接にその意思を表明した、<直接民主主義>の巨大な発現(しかも成功した発現)であったということ。
 (「公的領域を私有化する政治がついに打ち破られた」(金民雄)のだ。「公的領域を私有化する政治」は私見によれば、新自由主義の政治・経済の最大の特徴であり、「99%を支配する1%の専制と富裕」の政治なのである。)
 11 ただし、この直接民主主義は、既存の<間接民主主義>(代議制民主主義)の諸制度を利用することによって、平和的に勝利した。すなわち、直接の市民の要求に応じた大統領の辞任という形を取らずに、議会での弾劾決議と憲法裁判所での弾劾裁決という制度的形態をとった。(ここに今後の根本的課題=直接民主主義はいかにして間接民主主義と連結しうるのか、その制度的構造は如何?がすでに予知されているのかもしれないが。)
 
3 この巨大な市民運動の運動形態は、私見では、基本的にガンジー思想にのっとったものと言える。すなわち、「非暴力、不服従、直接行動」という民衆(市民)の巨大な抵抗運動の形態をとった。何十万、何百万という<主権者たる市民(民衆)>が毎週末、街頭に姿を現し、それが半年以上も続き、しかも、一切の暴力も伴わず、弾圧も許さず、政府権力に抗議し、大統領の辞任を要求した。それは、1987年6月抗争の時をも上回る戦後の韓国史上最大の規模であった。
 国家権力からの弾圧を許さなかったのみならず、運動体外部(右翼反動)からの挑発をも許さず、それにとどまらず、運動内部においてさえも、分裂や諍いなどの(いわゆる内ゲバ的なセクト的な)暴力的対立をも一切生み出さなかったこと、すなわち「非暴力」の完全な勝利をもたらしたことは特筆される(運動の末期において、朴槿恵支持派が現れ、彼らの暴力的行為は見られたが)。
 
4 その結果、運動の中心舞台となった光化門広場は、この時期、一種の祝祭空間的な解放区となった。
 運動の担い手が従来の枠(学生、知識人、ホワイトカラー層、労働者、農民など)を超えて、老若男女ありとあらゆる世代、階層、職業などを超えて、広範なものとなったため(子供や赤ちゃんをも含む家族連れが多かったと言われる)、集会やデモの形態も、多様を極めた。
 単なる演説やシュプレヒコールを超えて、音楽や演劇やその他様々なアートを包摂した民衆の社交的交流と社会的政治的討論のための祝祭空間的な広場となった。それを可能とし、それを支えた巨大な社会的基盤が注目される。
 キャンドル市民革命は、この意味で、2011年のオキュパイ運動が作り出した「都市の公共広場の民衆の手への奪還:祝祭空間的な一時的解放」の新しい段階を画すると考える。
 
2 キャンドル市民革命の内実(理念)に関わる問題群
1 それはどのような理念的内実を内包していたのか?
 運動の初期の大統領個人への批判から、時間の経過とともに、これまでの韓国社会のあり方の全てを問い直す類の質的レベルの、全面的な「問い直し」運動へと発展。多様な民衆の様々な要求:
 21 初期:大統領による不正行為の糾弾
(1) 国政に1私人が介入し、不正な行為を行なった
(2)      企業への不正な圧力(私的財団への出資など)
(3)      国家資金(税金)が大統領とその一派の利益のために使用された
(4)      収賄
1 強権的政治運営に示される大統領の資質
 −  その他、セウォル号事件に対する大統領の無責任など。
−2 後期:韓国の経済社会の現状(既存のあらゆる制度や構造や慣行など)に対する全面的な批判
 (1) 経済格差と失業、過酷な労働環境
 (2) 財閥支配と一部少数支配層の特権
 (3) その他韓国社会が抱えるありとあらゆる諸問題が論議された。
 そのような展開の背後(根底)にあるのは、民主主義の一層の徹底と社会的経済的正義を求める民衆の欲求。
 それは、民主化闘争と90年代以来の社会改革を求める市民運動の展開の必然的発展的帰結・継承。
 
3 結論:キャンドル市民革命の意義
 以上の二つの問題を合わせてみると、結論として、韓国の巨大な市民運動=キャンドル市民革命の意義とは、「市民革命の主体として新しい市民が誕生したこと」(金民雄)だということ。それをいかに継承、発展させていくのかということが今後の困難な課題となる。
(今後も、韓国の市民運動は、様々な問題を抱えた韓国のより良い社会への変革のための粘り強い強力な運動を展開するであろうが、この市民革命をいかに継続・発展させることができるのか? それはどのような戦略と実践に基づいてなのか? )
 これに引き換え、根本的には同じような状況と問題を抱えながら、日本の我々の運動は大きく立ち遅れていると思われるが、我々はどのような展望を打ち立てられるのだろうか?

 韓国の動向(特にキャンドル市民革命=巨大な市民運動の動向)は、新大統領の政策方向とともに、東アジア全体(とりわけ、日本の市民運動)に大きなインパックトを与えると思う。

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