2017年1月6日金曜日

「市民革命」がへその緒になる強力な政党政治を作らねば

1月15日午後6時会場のたんぽぽ舎で持たれる、「韓国の市民キャンドル革命を学ぶ」連続講座の第一回目の講師がキム・ミヌン教授です。彼の最新の論文を翻訳して公開します。彼はアメリカのプリンストン大学の神学部で政治学の博士号をとり、NJで教会の牧会をしていた人物です。おそらく、彼のこの論文は韓国で大変な物議を醸すでしょう。民主化闘争を担い国際連帯運動を作りだしたのはキリスト教会の教会員でしたが、また反共を掲げ保守派の大統領を支えてきたのも教会でした。

彼ほど、市民革命を鼓舞し、その必要性を訴えている人はまれだと思われます。そういう意味で、彼は韓国の「市民革命」のオピーニオンリ―ダーの一人だと言っても過言ではないでしょう。一見過激な見える言葉の端々に、深い洞察力とを感じ取るのは私だけではないでしょう。彼の論文から逆に、日本の反原発の運動が爆発的な力をもてなかった一因も推察できるのではないでしょうか。権力者の策略を批判する前に、私たちの運動の在り方はどうであったのか、今一度振り返る必要があるように私は思います。キム・ミヌン教授を囲んでのたんぽぽ舎での講演はネットで配信し、同時に、CDも作ります。ご期待ください。                  崔 勝久



シリーズ スペースたんぽぽ5回連続講座
韓国「市民キャンドル革命」を知る連続講座
第1回 講演【韓国の「市民革命はどこに行くのか】
講師:金民雄(キム・ミヌン)教授 「市民革命のオピニオンリーダー」
日時:1月15日(日) 6時会場
場所:スペースたんぽぽ(JR水道橋 徒歩5分 
   千代田区神田三埼町2-6-2 ダイナミックビル4F
Tel:03ー3238ー9035
参加費:800円、学生400円
企画:寺島しげひろ/たんぽぽ舎 たんぽぽ舎
後援:NPO法人NNAA &日韓/韓日反核平和連帯

キム・ミニン教授を知る参考資料:
「市民革命の次にたどる道」
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/12/kim-min-ung.html
 
徹底した市民革命を求める金民雄(キム・ミヌン)教授のキャンドル広場からのメッセージ
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/12/blog-post_19.html
金教授の韓国語の講演です。https://youtu.be/QjxR9wr76DE

   「市民革命」がへその緒になる強力な政党政治を作らねば
     [キム・ミヌンの人文精神]キャンドル市民革命、政治の体を作る

                            金民雄教授 慶熙大学教授

政治的断頭台に上る階段

嵐を閉じ込めると信じていた人たちは、刑務所の鍵を握っていた。そのためか、確信はあまりにも強く、審判の日が自分たちの首筋近くに来ているという事実をまだ知らなかった。知らなかったことは、他にも数多い。今まで熱心に他人を踏みつけ上って行った階段が政治的断頭台に行く道だったことを知らず、獄門を自分の思いのままに開閉した過去が彼らの消すことができない罪になるとも知らなかった。

モンテクリス伯爵に変身したエドモンダンテスの有名な台詞、「お前を刺すのは剣ではなく、お前の過去だ」がそのまま行われている歴史の前で永遠の巨人タイタンになって生きていくと思った人たちは、小人たちの反乱に徐々にお手上げとなっている。魔女は、七人の小人がいるところを見つけ一網打尽にできると思ったが、彼らの手に持たれた蝋燭が自分を焼く大きな炎になるとは夢にも思わなかった。

ルイ16世とマリー・アントワネットの体と頭が分離された時刻は、彼らの息が止まり、民衆が初めて息をすることができようになった事件の始まりだった。彼らが呼吸する日は、民衆が窒息してきた歳月だった。革命は、このように悪鬼の息の根を一気に止め、これらのゆえに死んでいた人々の命を復活させる敬虔な医術であり、提意であり、歴史的な宣告である。だから倫理的であり、宗教的であり、根拠が明確な科学であるうえ、法の精神でもある。

歴史の反動を夢を見るのか

歴史の反動を渇望する者たちが反撃を祈るでしょうが、近代の服装を着用した封建王朝の寿命は終了している。ファシストの末裔たちが掌握してきた権力は、「非常戒厳」を要求して、「軍隊て、立ち上がれ」と叫んでいるが、それこそすでに死滅した殻の前で気が抜けた人たちがつぶやく、効力が落ちた呪術に過ぎない。この陰鬱極まりない呪術の政治は幕を閉じた。当初の意図とは違って、最終的にチャールの首をねじるだけで、怪僧ラスプーチンの呪いは、この地でも繰り返しされ、両方の墓碑銘もない塵に消えたかのように、ここでもそうだろう。

しかし、安心するにはまだ早い。貴族たちは自分たちの特権を守るために王を攻撃したが、自分たちの特権を守って立てた王政体制を危機に陥れたように、支配勢力内部の政治的内戦は、これらの予想とは異なり、キャンドル市民革命の道を打ち立てた。徐々に時間の経過と共に王の没落は、貴族の没落のような言葉であることを知るようになると、「これでは成就されたのではないのか」と脅したり説得したり、新しい嘘を建てていることもある。

彼らの目的は、ただひとつ、「市民革命の限界を決めなさい」だ。革命がなされ、革命でなくする方法を考案するために必死に力を使うものである。言葉はキャンドル市民革命と盛り立てながら、議会のドアを市民に開かず、封鎖してしまった制度圏の政治にも、これらの貴族連中とぐるになった者が少なくない。近代国家の看板の下に維持された封建王朝の下っ端勢力である検察官と秘密警察である国家情報院の廃止を口にしないで改憲を主張している人たちも、自分たち権力を、この機会に大きく育てていく要領に没頭している。

キャンドル市民革命は、ややもすると、王は倒れて貴族の支配は、かえって強化されている現実と出会うことになる。市民が法の主体となって革命の中心に立つことを不満に思う者は、今やろうそくを置いて市民は帰宅し、政治は自分たちに任せと訓戒しようとしてくるだろう。キャンドル集会の長期化は経済を危機に陥、制度の安定の道を防ぐだけでなく、扇動家の大衆的な誘惑に政治が移ることができるようにするのだと警告しようとしてくるだろう。 「革命」という言葉は、「危険」と同一視され、「日常への復帰」が答えだとあちこち旧式軍隊の行進曲のように軍歌をかけるように騒ぐことだろう。

さらに、突然現れ、自分が救世主と打ち出す者も出没して、市民革命の勢いに押されて命を請うていた者たちをあちこちに集め、政治は乱雑に作り、市民の力を分断しようとしてくるだろう。人々は再び絶望して疲れて行くだろうし、大統領特権の旗を持った者たちを中心に散らばったまま、今までの連帯を過去の時代の淡い昔の愛として感じ、毎日イライラする乱闘劇に没入するかもしれない。没落を恐れている貴族たちが狙うのは、まさにこれである。



▲2016年12月31日「パク・クネ退陣10次キャンドル集会」まで計1000万人の市民が広場に集まってろうそくを聞いた。 ⓒプレシアン(チェヒョンラク)


三位一体の政治神学

どのようにするか。少なくとも3つのを三位一体にする政治神学の発見と確立が必要である。

キャンドル市民広場には、指導部がない。しかし、その板を敷いて、誰もが主人公になるようにした人々がいる。彼らを私たちの脳裏から決して削除してはならない。彼らはまさに市民革命の力量が生み出した私たちのすべての力である暴風雨を押さえようとした人たちと対立して行進する道を設計し、警察と法の基準が封鎖網にならないようにし、一人の人の声に千万人の重さが載るようにした彼らの労苦は、何度も刻印して賛辞の対象となければならない。

彼らの助力があるので、私たちは、広場の真ん中に歴史の新たな舞台を立てるとともに、刑務所の鍵を私たちの手に取り戻してくる歓声あげることができた。すべての旗が尊重され、すべてのスローガンが連帯の力を作り出した。

最終的には、革命の段階が進化すると下から上がってくる力と市民革命の運動の力量を広場に込めた力が一つになる支点を確保しなければならない。 「全国いたるところに市民革命の拠点の用意と一緒に新しい指導の中心をつくる市民革命力量の組織化」は、市民の権力の主権的支配のために必ず実現されなければならない課題である。積弊清算と改革立法そして政権交代に至る、まだ誰も書いてみなかった、いわゆるも(海圖)のない航路をこじ開けるために要求されるすべての私たちの歴史的な義務がここにある。

本を読む市民革命と新しい政党政治

第二に、私たちは、市民革命の思想的回路を整えていかなければならならない。今どうするのかという質問が嘆息へと変貌してはならないことはもちろんである。だから、過去の歴史の倉庫で、私たちが使うことができる古書を選び、未来の羅針盤として使用することができる激しい省察と議論が市民革命の政治教育として定着さなければならない。本を読まない革命は革命の深さを作り出すことができず、でたらめな秀作との五差路に向かうような時間を無駄にする愚かさを政治的激変の任務のように思うよう私たちを誤導することができる。

一緒に知らねばならないことがいかに多いのか? 世界中の革命の経験、法の精神、制憲議会の経験、経済と外交の歴史の中で見つけなければなら知恵、文学と芸術の力に対する悟り、思想と意識として日常化された革命のために一緒に読んで討論し分かちあう集団的意志は無限の進化を待っている。それは真昼にも見る夢であり、漆黒のような夜も鮮明に見える山道であり、私たちの手に握られた腐らないない斧の柄だ。

だから、このすべての力は最終的に、強力に民主的であり、進歩的な政党を革命の主な動力にしていく土台になるようにしなければならない。直接民主主義の発祥地である市民の力と、そのままへその緒が続いた政党でなくてはキャンドル市民革命の歴史を担うことはできない。権力は常に裏切りの属性を持っており、詐欺の習慣を捨てられない。この長年の疾病を撲滅するために行わなければならないことは、貴族政治の虚偽を常に暴露し、誰が真の民衆の友であることを明らかにすることである。

虚偽に対する赤裸々な質問と攻勢なく真実の政治は不可能である。王党派は平民の服装に着替え偽装しているか、パルチザンが通る林道に待ち伏せており、共和派の中に王党派のスパイが沸き立っていることもある。相手の正体を問うことは従ってこの時期、非常に重要である。だからといって出身が重要だという話ではない。今の役割と真正性が優先である。転向した王党派は、自分の貴族の身分を打ち出して虚勢を張らないのであれば、言葉だけ共和派である者よりもよい場合もある。

暴君の首、そして私たちの自由

 1894年東学から100年を超える歴史がキャンドル市民革命に含まれている。民衆の生活と民族の未来を守ろうとする歴史の意志が世界史の波と合流しようとする。激流に違いない暴風が吹く。しかし、恐れはしない。私たち自身がまさに猛烈な風だから。

乱暴な政治は崩壊して野蛮の歳月は、弔鐘を鳴らすものである。 2017年は、今後100年の時間を左右する決定的瞬間となる。まず、暴君の首が切られるのを見たいと思う。暴悪な王を排除せずに完成された革命はない。その頭が地面に落ちる音は、今まで、彼が結んでいた断ち切られたものよりも大きな音で、世の中に地震を起こすだろう。これは、その頭の力のためではなく、それを切った力である。

自由はそれから、日常の現実になる。

0 件のコメント:

コメントを投稿