2015年8月15日土曜日

安倍談話の所感(日本全体の国民化の嫌な流れ)ー朝鮮日報の記事の紹介、

私は昨日の安倍談話をTVで見ていて、やっぱりなという思いとともに、これが日本の最大公約数と物知り顔で語るTVコメンテーターの解説や、新聞に載せられた記事に今後の日本への不安がよぎります。
最大公約数になるように時間をかけて日本国民を「導いてきて」、それが最大多数だからとさらに自己正当化して次に進む。日本は安倍の時代になって急変したのですか。そういうふうに敗戦後、歩んできたのではなかったのですか。日本は悪の(マイナスの)スパイラルを突き進む。
日本がこれからのアジアのリーダーシップをとっていく、この安倍の言葉にわたしはなぜか、SEALDsの同様のことば、それを批判する韓国人研究者へのバッシングに思いを寄せ、日本全体の国民化の嫌な流れをかんじるのです。
私が特に直感的に安倍談話で嫌な思いをしたのは、下記の記事にも紹介されている、日露戦争の賞賛です。これは韓国併合と直結する事件だったのに、なぜか司馬遼太郎を含め、日本人は日露戦争の勝利を美化します。ある時期から日本は日本でなくなったというような司馬史観がなぜこれほどもてはやされるのでしょうか。安倍談話にも色濃く反映されていました。
これは明治の富国強兵政策の流れの中で起こってきたことであって、それが台湾・朝鮮の植民地支配につながり、大陸への侵攻になっていくと私は考えます。
 参考資料
  2013年5月5日日曜日
 「安倍首相の歴史(戦争)認識と韓国の反応をめぐって」ー姜海守さんの投稿記事
  http://oklos-che.blogspot.jp/2013/05/blog-post_5.html

  2015年8月8日土曜日
  原子力基本法の「改悪」にもあった「国民化」の流れを憂う
  http://oklos-che.blogspot.jp/2015/08/blog-post_8.html
韓国の朝鮮日報の特派員の記事を紹介します(2015年8月14日)。
 村山談話の最初のキーワード「植民地支配」について、安倍首相は談話で、1905年の日露戦争で日本が勝利したのが「(西欧諸国の)植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と語った。日露戦争の直接的な結果が1910年の韓日強制併合(日本側呼称:日韓併合)だったということには一言も言及せず、すぐに「第一次世界大戦(1914-18年)を経て民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかった」という部分に飛躍している。韓日強制併合は強国が弱小国を植民地とすることが国際法上、問題にならなかった時代のことだと遠回しに言っていると解釈できる。
 安倍首相はまた「台湾・韓国・中国など隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み」と一括言及しただけで、韓国の苦痛がほかでもない植民地支配のせいだったとは一度もはっきりと言わなかった。「植民地支配によって苦痛を与えた」と謝罪した村山談話(1995年)、そのような植民地支配が「その(韓国人の)意志に反して行われた」と認めた菅談話(2010年)に比べて大きく後退したものだ。
 村山談話の第二のキーワードは「侵略」だ。安倍首相は同日の談話で一度「侵略」という言葉を使ったが、今回もやはり「日本が侵略した」と淡々と認める直接話法ではなかった。安倍首相は日本が起こした戦争について「世界恐慌が発生し(中略)日本経済は大きな打撃を受けた。その中で日本は孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みた」と説明した。

1 件のコメント:

  1. FBに投稿がありました。

    金 床憲さん

    日露戦争の件は、いま流行りの自画自賛ですね。

    「ロシアの脅威」が喧伝され、日露戦争がまるで正義の戦争のよう言われてますが、当時の当事国の朝鮮王朝にとって、ロシアは脅威ではありませんでした。

    明成皇后暗殺の実行犯の日本と、警護保護の求めによって、王宮に滞在していたロシア公使。
    これ一つとってもはっきりしていることです。

    当時国である朝鮮にとって、善悪における「悪」の勝利でしかなかった日露戦争を自画自賛するコメントを喜べる訳がない。

    この戦争の結果によって、朝鮮王朝は消滅した。
    日本人はそれをどう受け止めるのか。
    恥辱、 屈辱感、癒しようのない悪辣な精神的被害をもたらした戦争を誇らしげに
    口にされてはたまったもんじゃないてすね。

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