この渡辺信夫さんの講演記録は、10月19日に東京で開かれた「原発輸出問題を考える」集会での基調報告です。何故、原発輸出を止めさせなければならないのか、何故、原発メーカー訴訟を始めるのか、その根本的な哲学、思想を語ってくださいました。それは原発を持つに至った現代の人間社会において、私たちは人としてどのように生きるべきなのかを自らの戦争経験を踏まえて語られたものです。心してしっかりと受けとめます。
原発輸出問題と私
渡辺信夫
原発メーカー訴訟と原発輸出について講演するのは初めてである。原子力の原理についても、テクノロジーについても、何一つ学んだことのない素人。反原発のデモさえ、体力的に無理だと判断して参加を控えた程の老人。この訴訟を起こす団体の代表としては、どこから見ても相応しくない。
さらに、これまで私はいろいろな運動に加わったがその長になったことはない。人々がその器と見なかったからであるが、自分自身もそうなるまいと心に決めていた。その理由を簡単に述べて置くが、敗戦の時、行くべきでない戦争に出て行ったこと、しかも海軍士官として号令を掛ける立場にいたことを恥じ、というよりも、こういう私に神の裁きが降ったと感じたので、爾来、号令を掛ける地位には立つまいとして来た。――ならば、なぜ今、原発メーカー訴訟の会の長になったのか? 時間がないから説明は省略するが、要するに、求められて、逃げる口実がなかったからである。
それにしても、この齢でこの任務に耐え得ると思っているのか?と問われるなら、その問いを斥けることは出来ない。皆さんも憚りなく問うて下さって結構である。ただ、この会に入って志をともにして行こうとする方々は、どこかで拾って来た紙切れを棚に載せて置くのと同じでないことを知って頂いた方が、その方の心は休まるであろう。それで若干のことを申し述べる。
第二の敗戦、津波、原発崩壊、政治崩壊
一昨年3月11日、私はテレビで津波の現場をリアルタイムで見ていた。その時、体の中から湧き出て来る思いがあった。戦争中、海防艦の乗組員として、護衛して目的地に届けるべき船団が、潜水艦の襲撃に遭って壊滅して行く光景を幾度か見た。その時の感覚に似た感じが甦り、戦慄したのである。
1945年に戦争は終わった。私は戦争の中での生き方を、平和の世に生きる生き方に逆転させ、これからは戦争しない国を造って行く、と心に決めた。この思いは軽々しいものでなく、実際、私はそのために時間と労苦を惜しみなく注いだつもりである。しかし、3月11日、海の底に封じ込めていたはずの悪魔的な力が66年の後、封を解かれ、またも荒れ狂う。人は手も足も出ない。
2011年3月は私にとって、あと2カ月で満88歳になる時である。1945年に私の第一の人生は終わり、第二の人生が始まったが、それもこの5月で終わる。残るのは後片付けの余生だけだ。そう心得ていた。しかし、3月11日を見てしまった以上、ここで人生を締め括るという考えは無責任な逃亡になる。ここで第二の敗戦の重荷を担わねばならない。あるいは、第三の生涯が始まったと受け取った方が適切かも知れない。
さらに考えさせられたことがある。地震と津波に伴って起きた「原発事故」、これは、新しい事態の始まりだと認めさせずにおられないのではないか? 戦争に生き残った私の第二の人生は、無我夢中で走って来たものだが、終わり切らないうちに第三の人生に踏み込んだらしい。まだ全貌が捉えきれていない道である。
第三の道は第二の道よりさらに苛酷であることが、日を経るにつれて分かって来る。原発事故の実情の公表は時とともに隠蔽を剥ぎ取られるから、事件の深刻さが見えて来るとともに、事実を隠蔽する悪魔的なものが絡んでいたことが見えて来る。だから、それに立ち向かわねばならない。その「悪魔的なるもの」の正体を見破ることが出来るようになったのは、「日本を取り戻す!」と声高に叫ぶ政権の成立である。彼らが取り戻そうとするのは、葬られた日本である。原発はそこと結びつく。
原発メーカー訴訟
そこに持ち込まれたのが「原発メーカー訴訟」である。私が選んだ道ではない。私の考えは当然訴訟まで行くべきであったであろうが、まだそこまでは熟していなかったとことに持ち込まれた。だから、私は負わせられたこの仕事が、自分の思いを越えたところから来た課題であると厳粛に受け取る他ない。
私の第二の人生で、裁判に関係したことが幾つかある。「靖国裁判」、「信教の自由に関する裁判」、「教育に関する裁判」、「慰安婦裁判」……。それらのために精力をつぎこんで、相当な勉強をした。しかし関与した裁判は全部敗訴に終わった。だが、原発裁判では負けられない。負けないだけの学びをしなければならない。
学徒出陣は日本の敗北に終わるとともに私自身の敗北であったから、私は学び直さねばならない。その学びは、戦争で死ぬべき所を生かされた以上、平和の証しを貫く学びでなければならない。結局、伝道者として捧げる生き方になった。戦争に加担することのない教会を建てることが課題になる。専門的な学びとしては、宗教改革の精神面の歴史的研究だった。カルヴァンを専門的にやって来たと見られて、異存はないが、戦争でいろいろな場面を経たから、人間の思想の全域を考慮できるように学んだ。特に、権力の誤りに敢えて抵抗する抵抗権の思想を学んで来た。
原発に関しても、原発を考え出す以前の人間の思想が、どうして核爆発を利用するという発想を許容するように変わったのか? ここが解明しなければならない課題である。原子爆弾が使われた時から、これを考えるべきだったのだが、戦争直後は戦争中の不勉強を埋めることに追われていた。多少落ち着いた時、ビキニ水爆実験が起こり、牧師の仕事をしながら原水爆反対の運動に関与した。間もなく原子力の平和利用というキャンペーンが一世を風靡し、今でこそハッキリ「騙し事」だと言い切れるのだが、平和のためなら言い争う必要はないと思い込まされた。
あの時も「平和利用」は欺瞞だ、とハッキリ言ってくれる人はいたし、そちらの方が正しいと一応理解できたが、反対のために深く学ぶことはなかった。
「平和利用」の欺瞞に騙されて
原発の必要性を、国内のエネルギー資源の不足から説いて行く議論が多数者によって受け入れている。私自身もそのような説明で或る時期納得していた。しかし、事故の後、考え直して見ると、この説明は民衆が自分の頭で考えた道ではない。ある方面から一律に吹き込まれて、自分で考え出したように思い込ませる暗示にかかっただけだということが分かる。事故の後、全原発が停止する時があったが、電力不足でパニックに陥ることはなかった。この点一つを取り上げても、原子力の必要という理屈は、人々にこう考えさせる誘導に乗せられたまでだと気が付く。
太陽光や太陽熱の利用は、生活者が日の光を浴びて、自分で考え出した考えだが、原子力の利用は、人間の体験や発想と無縁に、巨大な権力、また巨大資本が生み出した考え方の押し付けであって、官僚制度の発達した巨大国家と、巨大技術を駆使する巨大資本が成り立つまでは、考えつくこともなかった。ここで人間の労働の考え方が変質する。
もう一つ、昔の人の考え得なかったことは、経済の持つ魔力の大きさである。昔は富と富の追及の欲望は抑制出来ると説かれていた。「神と富とに兼ね仕うること能わず」と聖書は教えるが、これで富の追及の貪りはかなり抑制されたと思う。私はこの当たりの事情を掴むだけの経済学の知識を持たないので、問題解決を論じることが出来ないのだが、国家や巨大資本が自己のために飽くなき利益追求をするだけでなく、零細な資産しか持たない者も働かずに富を増やす利権の機会の追求に走らされる仕組みに組み込まれている。
現に起こっている破綻のなかで、我々は騙されないだけの賢さを取り戻さねばならない。単に情報を獲得して、巧妙な対策を立てているだけでは、勝てない。失った叡知を取り戻し、原発利用を吹聴する小賢しさを克服しなければならない。ここに我々の訴訟の眼目がある。
小さな被造物としての人間
そもそも、人間は小さいから、巨大な力を人間が作り出すという考え自体が昔はなかった。キリスト教世界だけでなく、他の宗教の世界でも同じである。ただ、キリスト教の地域で、人間の尊厳とか偉大という思想が、他宗教の領域でよりも早く唱えられた。こういう考えを言い出したのは、ジヨヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ(1463-1494)だとされる。1486年になされた演説「人間の尊厳について」には、従来のキリスト教の枠を踏み出たところがあって、生前、全文の発表は出来なかった。
この人に就いて述べることは省略するが、核エネルギーを利用するという大それた思想の源流がここにある。そういう見解を私が初めて聞いたのは、山本義隆氏の「福島原発について」という小冊子によってである。彼は70年代の大学紛争のとき、東大全共闘の議長として知られ、その後、運動から退き、社会的影響のある著作も止め、非常に地味な研究をしているが、福島原発事故に出会って、見解を述べた。原発を思想的見地から論じたものとして出色の書だと思う。
ピコ・デラ・ミランドラの名を知っていたので、私はハッとした。私が学んで来た中心部はカルヴァンにあるが、ピコはカルヴァンの陣営から最も敬遠されていた。すなわち、カルヴァンはカトリックと最も尖鋭な対立をした人だが、その頂点に立つローマ教皇インノケンティウス8世はピコを危険視していた。それほどピコの考えの中にはキリスト教と相容れない原理が潜む。――この原理をヨーロッパのキリスト教世界は受け入れない筈であるのに、実際は、東洋や中東や、アメリカやアフリカより、先んじて受け入れ、近代化の先端を駆け抜け、したがって近代化による人間の行き詰まりに最も早く苦悩することになった。
「原発」の問題はこういう思想の歴史の視点から捉えなければならない。そこで、ついでに言うが、ドイツが脱原発の先鞭をつけたことを、この視点から評価しなければならない。ドイツの国会は「倫理委員会」の先導によって脱原発に到達したのだが、日本の国会には倫理委員会はない。倫理委員会を作ろうという発想もない。日本では通産省の官僚の主導で原発維持の政策がリードされ、それを抑える力、倫理的思考力は結集されていない。
通産省と大資本の合体したものが今盛んに画策し、安倍内閣がそれに乗っているのが「原発輸出」である。政治家のなかにはこれに反対する人もいるが、反対の力が有効に結集しているとは到底思われない。ために、国内の原発稼働は抑えることが出来るかも知れないが、公害輸出として他国に放射能被害を押し付ける工作は進んでいる。それだけではない、原発輸出は原発製造資本の拡大であって、日本の国益というのは大資本の利益に過ぎない。
先日、私は別の用件で台湾に行ったついでに、台湾の反原発関係者と語り合って来たが、台湾には日本よりも意識の進んだ人がいるなと感じた。台湾は原発利用国、したがって被害国であるが、まだ製造国でない。原発を買わせられる側の目でことを見ることが出来る。
考える葦
思想的な問題を今日は時間の都合上、学問的厳密さを犠牲にして語るほかないのだが、人間をどのようなものとして理解するか、それが原発を扱う視点の根底にある。この根底が揺らぎ始めたのが16世紀で、人間の偉大さという考えが根を下ろした。宗教改革の側でも、ローマ・カトリックの側でも、問題にキチンと対応しなかった。今では、プロテスタントもカトリックも、心ある人たちは原発問題に取り組んで、ほぼ行き着く先を見抜いている。ただし、解決はまだ十分確定していない。
数字や数式でハッキリすることだけでは解決がつかない、ということを科学者たちは先端まで行って見たから知っている。そこは宗教の領域だと言い切る人もいるが、この言い方では、分からぬことは全部宗教に任せてしまうことになり、それがもっと恐るべき決着になるという実例がある。
宗教も一生懸命知性を高めて正義と平等を考えかつ作り出す生き方、その生き方の原動力を持ち、隣人の苦悩が分かる感性と、隣人のために重荷を負うことの出来る修練を重ねる道を切り開かなければならない。重荷を負わない理由説明を上手にする必要はない。
さて、ピコ・デラミランドラのような人が出て、人間を輝かしくも壮大な存在と考えさせるように促す以前、キリスト教は人間を小さく、か弱い存在であると捉えていた。所謂「傷ついた葦」である。これを押しつぶすのに全宇宙が武装する必要はない。触れただけで折れてしまう。ただし、この葦は「考える葦」であって、自分が如何に小さいかを知っている。
このような人間が巨大な装置を用いて大きい動力を働かせることは、かつては考えられなかった。一方、こういう存在に過ぎない人間を、統御し易い道具と見て、権力者は大量の奴隷を組織化して動力機関の代用として使い、また巨大建造物を造った。
大々的な事業に組織された人間を利用するためには権力を強化するだけでは旨く行かない。民衆を円滑に操作する官僚機構を旨く構築しなければならない。原発政策を推進するためには原発に従順な官僚機構が作られた。その官僚機構は脱原発の輿論に頑強な抵抗をしている。こういう機構を作りあげる思想は、ピコ・デラミランドラに続く時代に、マキアベリによって基礎づけられた。その思想に警戒すべきことを説いた人は、我々の思想的父祖の中にいた。しかし、私自身を含めて、警戒に手ぬかりがあった。
人間の尊重を考えるようになった近代では、制度としての奴隷制を廃止した点で進歩と見られるが、人間を極めて脆いものとして、繊細な精神をもって扱わねばならないと主張した政治思想家は少ない。それどころか、大量の人間が「蟻の集団」のように酷使される例が多く見られるようになった。例えば、福島第一原発で日夜働かされている労働者はどうであろうか。人間が苛酷な労働に服さなくても良いように、という口実によって原発は導入されたが、その結果、あと何十年、何百年働き続ける「蟻の兵隊」が生み出されることになったのである。
格差社会を生み出す機構に抗して
歴史の進展のうちに人間の生きる権利、働く権利がだんだん認められるようになったと多くの人は説く。それは部分的には言えることだと私も思う。しかし、みんなが平等に地位を向上させている訳ではない。一部の人が楽になった半面、他方には苦しむ人が増えて行く。この矛盾をありありと描き出したのが、アメリカの先導のもとで敗戦国日本が歩ませられた道である。理屈は巧妙に語られるが、「格差」による苦悩はいよいよ大きくなった。津波は実に苛酷であったが、それに続く原発事故はもっと苛酷で陰惨な労働を生み出した。この事故は未だ収束せず、いよいよ深刻化し、古代の奴隷制のもとにも見られなかった残酷な奴隷労働を巧妙に生み出している。
したがって、失われた「正義」と「道理」の回復、それへの目覚めこそが、今歩み出す我々の訴訟の目標だということを確認しよう。
終わり
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