朴 鐘碩 2013年7月5日
私が日立製作所を訴えたのは、高校卒業して間もない19歳の時の1970年。4年近い裁判闘争で(民族)差別の不当性を訴えた。完全勝訴した1974年、私は日立に入社した。 福島原発事故から8ヶ月後の2011年11月末、私は日立製作所を定年退職した。その後も、日立の企業城下町である横浜・戸塚で嘱託として働いている。 「『日本における多文化共生とは何か』・続「日立闘争」職場組織のなかで」働く労働者の実態を書いたが、原発体制(事故)との繋がりを考えた。 日立製作所は東芝、三菱に並ぶ原発メ-カである。日本にある50基以上ある半分近い原発を電力会社に納入している。その一つが事故を起こした東京電力の福島原発だ。 事故から2年以上経過したが、事故現場は多くの労働者が被曝しながら廃炉・収束工事に従事している。しかし、被曝労働、高い放射線量、20万人近い被曝避難者への賠償、汚染水・使用済核燃料処理など難問が山積みとなっている。 日立製作所は、日立鉱山を発端にして、朝鮮半島が日本の植民地となった1910年に創業した。 エネルギ-確保の水力発電設備建設で当時から東京電力(電燈)とは深い関係にあった。 資源のない戦前の日本のエネルギ-確保は、炭鉱、ダム建設、送電網、資材輸送の鉄道敷設などインフラ整備が最重要課題だった。危険な土木現場には、「枕木一本に朝鮮人一人」(「朝鮮人強制連行の記録」朴慶植1971年・未来社)に匹敵する、強制連行した多くの朝鮮人、中国人の労働力が必要だった。 企業は、強制連行した朝鮮人・中国人労働者を使って労働力不足を補った。(日立の)社史にその事実は記されていない。 日本の大企業の多くは、国策に便乗し植民地となった朝鮮半島、満州で莫大な利益を上げた。その一方で国策によって新天地を求め多くの日本人が犠牲となった。広島・長崎では、強制連行された朝鮮人も核の犠牲になっている。「従軍慰安婦」問題含めその補償・戦争責任は今も未解決のままだ。 戦後、朝鮮半島は、核を保有する覇権国・米とソ連(ロシア)の犠牲となり分断された。朝鮮・ベトナム戦争で日本の経済は復興したが、朝鮮人の人権は剥奪された。国民国家から棄てられ、翻弄され、無権利状態となった。(それでも私の両親は9人の子どもを育てた。) 私は、朝鮮戦争が勃発した1951年、愛知県で末っ子として生まれた。当時、朝鮮人が差別され企業に就職できないことは、朝鮮人社会で常識的な価値観だった。日本の植民地支配を告発し糾弾した日立就職差別闘争は、植民地から60年、戦後25年後に始まった。 原発事故現場の報道が流れている。事故の責任が問われているのは、安全神話で住民を騙し、犠牲を押し付けた政府と利潤と効率を求め国策に便乗した東京電力だけではないはずだ。人類・自然と共生できない原子炉を製造し納入したメ-カの社会的・道義的責任が何故問われないのか。 私が勤務する日立は、事故原因を明らかにせず、被曝避難者への謝罪もなく「より安全な原子力を世界に」求めている。最も危険な原発(核)を開発・製造し、リトアニアに輸出しようとしている。三菱・東芝もインド、べトナム、中東、東欧に輸出する計画だ。 福島の事故現場には、日立の関連会社含めて千名以上のエンジニア、労働者が被曝しながら収束工事に携わっているようだ。(核)爆発した原子炉の状況は誰もわからない。搬入した日立・東芝のエンジニアも手段がなく困惑しているのではないか。しかしメ-カはこの工事でも莫大な利益を得ている。ナオミ・クラインは、こうした多国籍企業を「ショック・ドクトリン」で「惨事便乗型資本主義複合体」と批判している。 日立のCMは、「技術の日立は、地球のために」と環境保護を謳っているが、世界中に放射能を拡散している。 「日本における多文化共生とは何か」で書いたが、日立の労働者は、資本の論理に従い、黙って上司から課せられたノルマを遂行するだけだ。「原発事故」について語ることはタブ-となって、誰もが口を閉ざす。自由にものが言えないということだ。 民主主義が存在しない企業内組合の役員選挙が実施されている。組合活動に関心もない、所信表明もない、ものを言わない組合員が立候補している(させられている)。 職場と候補者名だけが掲示される。候補者は、経営者(幹部)に原発事故の責任を問わない。つまり原発メ-カの労働者は沈黙を強いられているということだ。 労使一体で労働者にものを言わせない日立製作所の閉鎖的な経営体質と原発体制は、労働者への差別・抑圧と深くつながっている。 事故の収束の目途はない。これから何十年も世界中に放射能を撒き散らし続ける日立の経営者・組合幹部は、土地・財産を失い、犠牲を強要された家族、避難住民のことを考えないのか。 福島・茨城には日立と関連する企業があり、労働者とその家族もいる。放射能の被害を受けやすい子供の健康を気遣って避難した労働者もいるのではないか。自らが被害者になって(ものが言えなくて)も「会社が大切」と割り切り、沈黙しているのだろうか。 1910年に創業し、100年で培った日立の最先端テクノロジ-は、2011・3・11で「崩壊した」ようだ。 日立闘争を経て原発メ-カで働く私にできることは何か。おかしいことはおかしいと素直に言い続けるしかない。私は、日立製作所の会長・社長に抗議文・要望書を提出し、原発メ-カとしての社会・倫理的責任、被曝避難者への謝罪、原発事業からの撤退、輸出中止、廃炉技術・自然エネルギ-開発への予算化を求めた。 日立は、世界中に事業を展開している。国民国家を支える国旗・日の丸を掲揚し、その下に「HITACHI」がある。主要都市に合弁工場、営業所、関連会社がある。米国にはGEとの原発合弁企業もある。3万人近い正規所員がいる。関連会社は、千社を超え総従業員数は約35万人と言われている。家族を含めると日本の人口の約1%に相当する。 労働者は、原発製造・輸出に疑問を感じても、業務に追われ、おかしいと感じても、自分の将来を考えて沈黙する。これが最新技術を開発するエンジニアの姿である。 日立就職差別裁判が起こったとき、労働者の権利を擁護する日立労組幹部はじめ多く労働者は見て見ぬふりをした。何故、彼らは沈黙したのか。多くの犠牲者を出した原発事故に対する沈黙と通じている。日立闘争が始まった頃と体質は変わっていない。 私は、日立闘争を経て定年まで日立製作所に勤めたが、そこで解ったことの一つは、「労働者にものを言わせない労働環境は、差別を助長し排外主義を強化する。他者(外国人)を抑圧することは自らを抑圧する」ということだ。西川長夫元立命館大学教授の「植民地主義の時代を生きて」を読んで、私は、労働者に沈黙させる経営こそ「企業内植民地」であると再度認識した。原発輸出と資本のグロ-バル化は、「植民地を拡大する」。 私(たち)は、植民地なき国(企業)内植民地で生きている。(民族)差別を糾弾し、日本の戦争責任を求めた日立闘争は、植民地主義との闘いだった。 1974年6月19日、横浜地裁で日立敗訴の判決が出されてから40年近くなる。判決直後、川崎・桜本に住んでいた私のアパ-トに民族差別をむき出しにしたいくつもの葉書の投書があった。 「新井鐘司ことパク・チョンソク行。人種差別して何が悪い。日本の企業は日本人のためにあるのだ。貴様ら、うじ虫を養うためにあるんじゃねえぞ。偽名を使いやがってスパイでもするつもりで入社したのだろう。同胞のために戦うんだなどと大きなことをぬかしゃがって。帰れ、帰れ、さっさと朝鮮へ帰りやがれ。目障りな、薄汚い朝鮮人め!!」これは、在特会のHate Speechに繋がっている。 (「日立闘争」のDVDに収録されている) ものが言えない正規労働者、雇用の調整弁として、低賃金で働く非正規・派遣・外国人の労働市場は、経団連・グロ-バル企業にとって「広大な植民地」と言える。反原発、反核、反差別、「反植民地化は、個々人の生き方の問題である」。 企業社会は、矛盾、課題が多くある。原発事故で見られるように不祥事が起きても経営者の責任よりも労働者一人ひとりの「自己責任」が問われるような雰囲気が漂っている。私も含めてエンジニアたちは、余計なことは考えず、与えられた仕事を黙ってこなすことが自分の使命であると思っている。これは植民地的価値観と言える。 事故の反省もなく平気で原発を輸出する日立の経営、抗議の声も出せない労働者、排外主義などの問題は全て繋がって根が深い。労働者に沈黙を強いる植民地的経営は、人間性・安全性よりも効率と利潤追求を優先させ、原発体制を確立した。原発輸出は、相手国の住民への差別・人権弾圧・犠牲を強いることになる。原発体制は、植民地主義に繋がった。 企業社会は、何でも言える「言論の自由」が保障されていないため、原発事故はじめ企業の不祥事・談合・偽装のような犯罪があっても、経営者を公に批判する労働者は殆どいない。経営哲学を気楽に批判できるような、開かれた風土、風通しの良い企業文化は企業社会に存在しない。 敗戦から70年近くなるが、労働者が抑圧的な状況に置かれ、ものが言えない、上意下達の企業社会は、民主主義が育たない。労使幹部が育てないようにしている。労働組合・平和運動から戦争責任が問われなかった要因でもある。日立製作所に限らず、企業・自治体・教育現場・マスコミの世界も同じような状況ではないか。 個を潰す、上からの「共生」イデオロギ-は、企業社会だけでなく、地域にもある。 川崎市は、多くの外国籍住民が居住している。公務員になるための国籍条項撤廃、選挙権のない外国籍住民の声を市政に反映する名目で設置された外国人市民代表者会議、地域の住民と共に生きる「ふれあい館」建設など、一時、「共生」を賛美する人にとって、「川崎は人権・共生」の街として知られるようになった。 しかし、阿部孝夫現川崎市長は、「日本国民と、国籍を持たない外国人とでは、その権利義務において区別があるのはむしろ当然のこと」「会員と準会員とは違う」と、戦争に行かない「外国人は準会員」と発言し、未だに謝罪していない。 法律でもない、単なる国・政府の見解にすぎない「当然の法理」(国籍)を理由に、採用した外国籍公務員に許認可の職務、管理職への道を閉ざした、「外国籍職員の任用に関する運用規程」というマニュアルを作り、差別制度を確立した。 100ペ-ジ以上亘って、外国籍職員に制限する理由と職務が記されている。これは労基法に違反し、明らかに労働者の権利を侵害している。マニュアルのサブタイトルは、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」となっている。 「運用規程」は作らなかったものの、横浜市・神奈川県・被災した東北の自治体など、全国の自治体は、この川崎方式を採用している。 このような市長を選んだのは誰か、川崎市に「運用規程」を作らせたのは誰か、この差別制度に沈黙しているのは誰か、という疑問は残る。 外国籍住民を2級市民扱いする差別制度に沈黙することは、当事者主権を失う植民地主義である。「私たちは現在の植民地主義と闘わなければならない」が、ではいつ闘うのか。「今でしょ!」 |
社会科の授業で、必ず話した朴 鐘碩さんの論説だ。数十年前からのあの姿勢を、今もなお堅持し、企業内部で闘った記憶を再現し、いま、このクニに欠けていることを指摘し、様々な運動も、再構築すべき時期に来ていることを、示唆している。在日朝鮮人だから見えるのだ……といなす評論家や研究者がいるかもしれない。例えば、金静美さんを批判した、少なくない、研究者のように……。しかい、金静美さんの本で、解放運動というものの問題点や陥穽を知った。朴さんの文章からも、同様の予感がする。徹底的に、読みこみたい。
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