朴鐘碩 横浜国立大学(YNU) 2013年7月17日
こんにちは、日立製作所を提訴し40年以上経過したパク・チョンソクです。
横浜国立大学で講義するのは4回目になりますが、何故私は皆さんの前に立っているのか、と私自身が問われているような気持ちです。
40年以上前に起きた日立製作所の就職差別裁判闘争のDVDを見ていただきました。まだ皆さんがこの世に存在していなかった時代です。この闘いと東日本大震災・世界を震撼させた福島原発事故から2年4ヶ月経過した今、学生である皆さんの今後の生き方とどのような繋がりがあるか、お配りしたレジメを参考に考えていただければと思います。
私が日立製作所を訴えたのは、高校卒業して間もない19歳の時で1970年です。私は、日本人化して生きてきました。日本名を記載して入社試験に合格し、その後「韓国人である」と告げた途端に採用を取消されました。「崖の上から突き落とされた」「これから私はどうすればいいのか」と、その時の心境は忘れません。
4年近い裁判闘争で(民族)差別の不当性を訴え、完全勝訴して私が日立に入社した後、職場で経験したこと、感じたことを話しますが、皆さんの今後のリクルート活動にはあまり役立たないと思います。
私は、福島原発事故から半年後の2011年11月末、日立製作所を定年退職しました。その後も、日立の企業城下町である戸塚にある「HITACHI」で嘱託として働いています。
この『日本における多文化共生とは何か』(新曜社2008年)の中で「続「日立闘争」職場組織のなかで」書きましたが、多国籍企業・日立という企業社会の実態と原発事故との繋がりについて話したいと思います。
日立製作所は東芝、三菱に並ぶ原発メ-カです。日本にある50基以上ある半分近い原発を電力会社に納入しています。その一つが事故を起こした東京電力の福島原発です。
事故から2年以上経過しましたが、現場では多くの労働者が被曝しながら廃炉・収束工事に従事しています。しかし、被曝労働者、高い放射線量、20万人近い被曝避難者への賠償、汚染水・使用済核燃料処理など難問が山積みとなっています。
日立製作所は、日立鉱山を発端にして、朝鮮半島が日本の植民地となった、韓日併合の1910年に創業しました。
当時、エネルギ-の根幹である水力発電で当時から東京電力(電燈)とは深い関係にありました。
資源のない戦前の日本のエネルギ-確保は、炭鉱、ダム建設、送電網、資材輸送の鉄道敷設などインフラ整備が課題でした。危険な土木現場には、「枕木一本に朝鮮人一人」(「朝鮮人強制連行の記録」朴慶植1971年・未来社)に匹敵する、強制連行された多くの朝鮮人、中国人の労働力が必要でした。
植民地から強制連行された朝鮮人・中国人労働者のことは、企業の社史から完全に欠落していると思います。
(朝鮮半島が日本の植民地であった事実はご存知ですか?)
日本の大企業の多くは、国策に便乗し植民地となった朝鮮半島、満州で莫大な利益を上げています。一方で国策に騙され、新天地を求めた多くの日本人が犠牲となりました。広島・長崎では、多くの日本人が核の犠牲となりましたが、強制連行された朝鮮人も犠牲になっています。
戦後、朝鮮半島は、核を保有する覇権国・米とソ連(ロシア)の犠牲となり分断されたままです。朝鮮、ベトナムの戦争で日本の経済は復興しましたが、朝鮮人の人権は剥奪されました。国民国家から棄てられ、翻弄され、無権利状態となり、犠牲となるのはいつも末端の人間です。
私は、朝鮮戦争が勃発した1951年に愛知県西尾市で生まれました。当時、朝鮮人が差別され企業に就職できないことは、朝鮮人社会では常識的な価値観でした。日本の植民地支配を告発、糾弾した日立闘争が起こるまで植民地支配から60年、戦後25年の時間が必要でした。
約20分の日立闘争のDVDに映った、当時19歳であった私と同世代であり、これから企業、自治体、教育関係などに就職する皆さんの生き方と繋がるものがあると期待します。
毎日のように原発事故の報道が流れていますが、事故の責任が問われているのは、安全神話で住民を騙し、犠牲を強要した政府と利潤と効率を求め国策に便乗した東京電力だけではありません。人類・自然と共生できない原発・核を製造し納入したメ-カの社会的・道義的責任が何故問われないのでしょうか?
私が勤務する日立は、事故原因を明らかにせず、被曝避難者への謝罪もなく「より安全な原子力を世界に」求めています。最も危険な原発を開発・製造し、リトアニアに輸出しようとしています。三菱・東芝もインド、べトナム、中東、東欧に輸出する計画です。
朝日新聞に「プロメテウスの罠」が連載されていますが、事故現場では、末端の下請会社の原発労働者が被曝しながら収束工事に携わっています。日立・東芝は、この工事でも莫大な利益を得ています。ナオミ・クラインは、「ショック・ドクトリン」でこれを惨事便乗型資本主義複合体と批判しています。
「技術の日立は、地球のために」環境保護、人権を謳っていますが、世界中に放射能を拡散しています。
この「日本における多文化共生とは何か」に書きましたが、日立の労働者は、資本の論理に従い、黙って上司から課せられたノルマを遂行するだけです。「原発事故」について語ることはタブ-となって、誰もが口を閉ざします。自由にものが言えないということです。
民主主義が存在しない企業社会で組合役員選挙が実施されます。普段組合活動に関心もない、所信表明もなく、ものを言わない組合員が立候補します(させられています)。
職場と候補者名だけが掲示されます。候補者は、経営者(幹部)に原発事故の責任は問いません。つまり原発を設計・製造する労働者は、沈黙を強いられていることです。
このように労使一体で労働者に自由にものを言わせない日立製作所の閉鎖的な企業体質と原発輸出は深くつながっていると思います。
申し訳ないことに原発事故の収束の目途はありません。これから何十年も世界中に放射能を撒き散らし続けることになります。日立の経営者・組合幹部は、土地・財産を失い、犠牲を強要された家族、避難住民のことを考えず、原発を海外に輸出する計画です。
1910年に創業し、100年で培った日立の最先端テクノロジ-は、3・11事故で「崩壊した」ようです。
私は、会長・社長に抗議文・要望書を提出し、原発メ-カとしての社会・倫理的責任、被曝避難者への謝罪、原発事業からの撤退、原発輸出中止、自然エネルギ-開発への予算化を求めました。
日立は世界の主要都市に合弁工場、営業所、関連会社があり、「HITACHI」のロゴがあります。約3万人の所員がいます。関連会社は、千社を超えて総従業員数は35万人と言われています。家族を含めると日本の人口の約1%に相当するそうです。皆さんの家族、親戚の方が日立あるいは関連会社で働いているかも知れません。
原発メ-カで働く労働者は、事故後、原発を製造・輸出に疑問を感じても、おかしいと感じても、業務に追われて、自分の将来を考えて沈黙します。「技術が進歩すれば差別はなくなる」と考えるエンジニア・労働者もいますが、これが最新技術を開発するエンジニアの姿です。
でも、人間らしく生きるためには間違っていてもいいから「おかしいことはおかしい」と言う勇気と決断が大切だと思います。小さな怒りの声が歴史を切り開くことにもなります。
日立就職差別裁判が起こったとき、労働者の人権を求める日立労組幹部、労働者の多くは見て見ぬふりをして沈黙しました。これは戦後、(日本人)労働者・組合の戦争責任が問われなかった問題と深く繋がっています。何故、彼らは沈黙したのでしょうか。
裁判勝訴して実際日立の職場に入って感じたことは、「(民族)差別」と全く関係ない別世界に入ったと思いました。
私は、定年まで日立製作所に勤めましたが、そこで解ったことの一つは、「労働者にものを言わせない労働環境は、差別を助長し排外主義を強化する。おかしいことはおかしいとものを言う他者(異端者)あるいは外国籍住民を抑圧することは自らが抑圧されている」ということです。西川長夫元立命館大学教授の「植民地主義の時代を生きて」を読んで、私は、労働者にものを言わせない、沈黙させることは「企業内植民地」であると理解しています。
ものが言えない正規労働者、雇用の調整弁として、低賃金で働く非正規・派遣・外国人の労働市場は、経団連・大企業資本にとって「広大な植民地」と言えます。しかし「脱・反植民地化は、個々人の生き方の問題である」と思います。
私(たち)は、植民地なき国内植民地・企業内植民地で生きているということです。戦後の原発体制は、植民地主義に繋がりました。その意味で(民族)差別を糾弾し日本の戦争責任を求めた日立闘争は、植民地主義との闘いだったのです。
日立・東芝などでエンジニア・労働者を抑圧・解雇する手段として「追い出し部屋」が新たな問題となっています。企業社会は、矛盾、課題が多くあります。労働者は孤立し、厳しい状況に置かれています。原発事故で見られるように不祥事が起きても経営者責任よりも労働者一人ひとりの「自己責任」が問われるような雰囲気が漂い、私もそうですが、エンジニアたちは、余計なことは考えず、与えられた仕事を黙ってこなすことが自分の使命であると思っています。私は、これは植民地的価値観であると思います。
事故の反省もなく平気で原発を輸出する日立の植民地的経営、黙って働く労働者、排外主義は深く繫がっています。労働者に沈黙を強いる植民地的経営は、安全・人権よりも効率と利益を優先させた原発体制を確立し、水俣病など を起こした公害企業が地元住民に犠牲を強いたように、原発輸出は相手国の人々への差別・弾圧・犠牲を押し付けるものです。
企業社会は、何でも言える「言論の自由」が保障されていませんから、原発事故はじめ企業の不祥事・談合・偽装のような犯罪があっても、経営のあり方を批判する労働者はいません。経営者の哲学を気楽に批判できるような、開かれた風土、風通しの良い企業文化は企業社会に存在しません。
敗戦から70年近くなりますが、労働者が抑圧的な状況に置かれ、ものが言えない、上意下達の企業社会は、民主主義が育ちません。労使で育てないようにしています。
私がこうして話しても実感できないと思います。これは日立製作所に限らず、皆さんがこれから就職する企業・自治体・教育現場、マスコミの世界も同じような状況だと思います。
個を潰す、上からの「共生」イデオロギ-は、企業社会だけでなく、地域社会にもあります。
川崎市は、多くの外国籍住民が居住しています。公務員になるための国籍条項撤廃、選挙権のない外国籍住民の声を市政に反映する名目で設置された外国人市民代表者会議、地域住民と共に生きる「ふれあい館」建設など、一部では「人権・共生」の街として知られるようになりました。
しかし、阿部孝夫現川崎市長は、「日本国民と、国籍を持たない外国人とでは、その権利義務において区別があるのはむしろ当然のこと」「会員と準会員とは違う」と、戦争に行かない「外国人は準会員」であると公言しています。
法律でもない、単なる国・政府の見解にすぎない「当然の法理」を理由に、採用した外国籍公務員に許認可の職務、管理職に就くことを制限した、この「外国籍職員の任用に関する運用規程」というマニュアルを作って、日本に差別制度を確立しました。
100ペ-ジ以上亘って、外国籍公務員に制限する理由と職務が記されています。労基法に違反し、労働者の権利を侵害する、このマニュアルのサブタイトルは、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」となっています。
このような「運用規程」は作らなかったものの、横浜市・神奈川県・被災した東北の自治体など全国の自治体は、川崎市と同じ方式を採用しています。
先程、加藤教授から戦前、朝鮮人・台湾人を「2級臣民」扱いしたと説明がありましたが、今なお外国籍住民を「2級市民」扱いする、この差別制度こそ植民地主義であり、戦争責任が問われています。「私たちは現在の植民地主義と闘わなければならない」と思います。ではいつ闘うのか?「今でしょ!」
ということで詳細は、この『日本における多文化共生とは何か』と、レジメにある「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の掲示板を参照してください。
ここに招いて下さった加藤千香子教授、皆さんに感謝します。御清聴ありがとうございました。
(講義内容は追記している)
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