2013年6月11日火曜日

『天皇制国家と女性ー日本キリスト教史における木下尚江』を読んで


                                 崔 勝久(チェ・スング)
            原発体制を問うキリスト者ネットワーク(CNFE)共同代表
この原稿は「福音と世界」7月号(2013年)に寄稿したものです。)

 私は著者の鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン)さんとは一度も面識がなく、たまたまフェイスブックで知り合い交信している間に彼女が韓国からの留学生で、修士・博士課程を終え博士論文に手を加えて新著を出したということを知りました。
 『天皇制国家と女性―日本キリスト教史における木下尚江』(教文館 2013)という本で、早速購入して読みました。読みやすく問題意識が鮮明で、教会・キリスト者のあり方について正面から問題提起をした労作です。
明治の中期以降、天皇制の統制が強まる中でのキリスト者・教会の大勢を代表的な植村正久と海老名弾正を取り上げ分析し、それを批判する木下尚江の生き方と思想を検証して、その意味を論じたものです。

(1)著書の紹介
「序章 本研究の視覚と課題」において著者の問題意識が整理されています。「一 明治キリスト教史における二つの問題―天皇制国家と女性」、「ニ 明治キリスト教における木下尚江の位置」と分け、それぞれを論じます。
前者において植村正久の「武士道」論を取り上げ、それはキリスト教の土着化ではなく、「軍国人民の倫理」と論破し、また、海老名弾正の「忠君敬神」思想の延長線上に「朝鮮伝道」の主張が現れたと見ます。
そして女性問題については、木下が深くかかわった娼婦問題は天皇制支配と家族主義、女性差別と構造的に関連しキリスト教倫理はそれを支えたことを明らかにします。彼は在野の人(野生の信徒)として、当時の教団に対してイエスの福音を基にした批判を展開します。しかし筆者は木下に対して「社会改革への理論的かつ実践的な展望を欠いていた」と冷静な分析を忘れないのですが、木下の弱者の立場に立とうとする信仰理解を現在に通じるものとして高い評価をします。

(私の感想)
 著者は韓国からの留学生、女性、キリスト者という立場から、ナショナル・アイデンティテイと個人のアイデンテイティを自明のこととして同一化しがちな日本人社会に対して鋭い問題提起をしました。しかし戦後の原発体制という新たな植民地主義の問題に立ち向かうためにも、天皇制国家と一言で済まさないで、そこに集約されてきた日本社会の内在的な問題をさらに深く追及してほしいと願います。

 彼女の著書から私は教会の戦争責任告白は、第二次世界大戦への協力に留まらず、宣教の為に明治から国家主義に調和的であろうとしてきた問題を含むべきだと受けとめました。


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