紅林さん、昨日はお疲れさまでした。
モハンティ弁護士の講演でインドの原賠法の背景を知ることができました。しかし原賠法設立の経緯と趣旨がいかなるものであれ、実際に事故がおこった場合にどのような賠償ができるのかは全く別問題です。この点の混同があってはいけません。インドの原賠法が過去の悲惨な事件から学び、「人権擁護」の立場から作られたという趣旨はよくわかりました。私も紅林さんの結論部分に同意します。
原賠法の改正では、原発メーカーの原発事業からの撤廃を結局は求めることになるような質を持たせることが必要ということになりますね。しかし現実問題としては、日本は政府が無理やり電力会社に原発事業に参入させたいきさつがあり、それに原発メーカーに賠償責任の一端を担わせるといっても、天文学的に膨れ上がる損害金は国家が責任をとるしかないものだと私は考えます。
卯辰昇『原子力損害賠償の法律問題』KINZAIバリュー叢書
同『現代原子力法の展開と法理論』日本評論社
は読まれましたか?
これを読むと、アメリカと日本の違いが理解できますし、原賠法のもつ問題点の複雑さがよくわかります。メーカーに責任を取らせることを明文化するためには保険金の問題や、事業者との分担の仕方等など、解決しなければならない様々な問題があります。しかし根本的には福島をみても明らかなように、まず損害金の総額をどのように算定するのか、それを誰がどのように負担するのか(各国とも保険金で基本的に処理する考えです)、日本の場合は事業者が全責任を負い、負い切れない場合(全ての資産を処理して破産する場合)国家が責任を持つという構造になっています。
従って被害者が事故の責任を追及するということでは日本の仕組みはもっとも合理的な形になっているのですが、それでも東電がその責任を全うせず、被害者の権利が疎外されている実態は悲惨な限りです。被害者との和解を進める仕組みはあるのですが、被害者が自分の権利を主張するとなると東電が受け入れない限り、裁判しか方法はなく、被害者の精神的負担は大変なものです。まったく罪のない住民が被害に遭った場合、どのように権利を主張できるようにするのか、これは(いずれ法律に戻るにしても)明文化された法律だけでは処理できないということを意味します。住民の安全の確保を最優先しようとしない日本の原発政策は根本的に間違っています。私の言葉では、日本の住民主権を重視した民主主義の欠如の問題ということになります。
運転中止中の原発周辺の住民は安全なんでしょうかー脱原発運動の取り組む課題について
http://www.oklos-che.com/2013/01/blog-post_29.html
一度起こった事故に対して損害金をメーカーにも求めるというレベルではまったく解決しないと私はみます。天文学的数字は国家が保証するしかないのです。保証できないのであれば、原発をやめさせるしかありません。
福島の事故に関しては仮に原賠法を改正させたとしても、日立・東芝・GEの責任は追及できません。遡及して責任を追及することはできないという問題もしっかりと直視するしかありません。
損害金はますます増加していきます。どこまでを賠償金の対象にするのか、汚された自然はどうなるのか、直接・間接に被害を受けた人たちの間にどのような線引きをするのか、これはこれまでの日本の国会でも、運動の中でも議論されたことがないのです。事故は起こらないものとされてきましたから。ましてや裁判制度の中では不十分な補償しか認めてきませんでした。原発を推進するという国策そのものを裁判所が批判したことは一度もないからです。
これはメーカーが一部負担するというようなレベルではとても解決できるものではありません。そもそもが原賠法は原発促進のために作られた法律です。実際に事故が起こることを想定していなかったため、住民の安全確保の問題や、ましてや賠償金など本気でその実施を考えて来なかったのです。従ってその「改正」はこれまでの日本の原発政策の根底を批判するということにならなざるをえないでしょう。
インドもまたメーカー責任の範囲は限られていて、賠償は事前にメーカーと話し合われた範囲内のことであり、一旦立て替えた政府がメーカーにもその費用の一部を請求する権利があるという内容のようです。インドは核を持ち、これからどんどん原発を建設しようとしています。人権擁護の観点からは、核兵器と原発を作らせないということに尽きると私は思います。あれだけ原発反対運動をする住民を抑圧、弾圧し、強権的に原発プロジェクトを遂行する国で、人権擁護の観点でメーカーにも責任をとらせるという原賠法には、当然のことながら、限界があると考えるのが自然です。
私見では原発事故が起こった場合の損害賠償の問題は、まず国策を変えさせる原発を作らせない運動を最優先すること、それとそれに反対して国家が強行するのですから、その全責任を国家がとるべきです。どっちみち今の保険金の範囲では事業者だけでは払いきれず、国家が責任をとるしかないのです。国家がその場合、メーカーにも一部負担させるということは彼ら同士で話し合ってもらえばいいことだと思います。しかし原賠法を盾にメーカーは断るでしょう。
全世界的にアメリカを中心とした核保有国は、他の国に原爆を持たせないことを条件にしてNPT(核不拡散条約を)結ばせてきました。それを支える法律として原賠法があります。ですからインドのような、実質的にメーカーの製造物責任を問わない原賠法であっても原発メーカーは反発するのです。
私はメーカーの社会的責任を追及するグリーンピースの運動に全面的に賛同し協力していきたいと思います。原賠法の問題はさらに深く検討され、議論を尽くしていくようにしたいものです。しかし根本的に、原賠法は原発推進のために作られた法律です。大飯が止まればすべて日本の原発が止まる現状では、実際の運動の面で一切の再稼働を認めず、同時に原発輸出を止めさせる運動を盛り上げることが何よりも大切だと思います。
紅林さんの日頃の地道で活発な活動に心より敬意を表します。これからもよろしくお願いします。
崔 勝久
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紅林進です。
昨日、グリーンピース主催のモハンティ弁護士に聞くインド原賠法
~インドでは、原発にも「メーカー責任」があるって本当ですか? ~
(「原発にもメーカー責任を」グリーンピース・セミナー) が参議院
議員会館であり、私も参加しました。
原子力分野における賠償責任等を規定した国際的な枠組みでは、
1.原子力設備を運営するもの(原子力事業者)が、集中して、 原子
力損害賠償責任を負う、2.事業者は厳格/無過失責任を負う、
3.他国の裁判所を排除し、一国の専属管轄権を認めている、4. 賠
償責任が期間、金額ともに有限である、5.事業者の賠償責任の経
済担保を義務付けているという原則を持つが、このセミナーでの、
モハンティ弁護士の話によると、インドは現在、サプライヤー( メー
カー)が、原子力賠償責任を有する法律を持つ唯一の国とのこと
です。それは、明確にメーカーの「製造物責任」を規定したもので
はないが、原子力事業者(電力会社)に、(サプライヤー・ メーカー
等に対する)求償の法的権利を与えており、メーカー等の法的責
任を問えるようになっているとのことです。
インドがこのような賠償法を持つことになった背景には、多国籍
企業ユニオン・カーバイト社が、 1984年にインドで引き起こした
ボパール化学工場事故の悲惨な経験があるとのことです。(グリ
ーンピース・インドのキャンペーンも同法成立に大きな影響を与え
たとのこと。)
以下は、昨日のビカーシ・モハンティ弁護士の話を伺って、私が
感じたことです。
原子力分野における賠償責任等を規定した国際的な枠組み・
国際条約(日本は、それらの国際条約には加盟していないが、
実質同様の法的規定をしている)で、「原子力設備を運営する
もの(原子力事業者)が、集中して、原子力損害賠償責任を負う」
ということ、つまり原子力メーカー等は責任を負わない、免責され
るという規定は非常に問題だと思います。
他の製品については、「製造物責任法」(PA法)等で、 メーカーの
「製造物責任」(無過失責任)が厳しく問われる中、原発メーカー
だけは例外とされ、免責されるというのは、非常におかしな、不条
理なことです。そして、原発メーカーを賠償責任から免責させる、
この国際条約・国際的枠組みが取り分け重要な意味を持つのは、
原発輸出企業を法的・経済的に保護し、海外の輸出先で、たとえ
大規模な原発事故を引き起こしたとしても、賠償責任を免責させる
ことにあると思います。
ゼネラル・エレクトリック社(GE) インド部門の社長兼最高経営責任者
(CEO)のジョン・フラナリー氏は、( メーカーに対して損害賠償責任を
認めたインドの)「原子力損害賠償法(民事) がこのままの形で残るの
であれば、当社は(インドでの原子力)事業を継続しない。」 と語り、
インドが同法の規定を変えるよう圧力をかけているが、「 原子力事業
者への責任集中=原子力メーカー等の免責」という、国際的な規定
自体が、GE等の原発メーカーが自己の責任を免責させるために、
そしてそれら原子力産業を後押しする米国をはじめとする当時の
原発輸出先進諸国が成立させたのではないかと思います。(今や
GEの原子力部門は日立の原子力部門と統合され、GEと並ぶ米国
の原発メーカーであったウェスティングハウス社は東芝の傘下に入
るなど、米国の原子力産業は、日本の原発メーカーの協力なしには
成り立たなくなるほどに凋落しましたが。)
米国自体は、そして日本も、 パリ条約やウィーン条約等の原子力損害
に関する国際条約に加盟していませんが、日本の「 原子力損害の賠償
に関する法律」(1961年(昭和36年)6月17日に公布、 1962年(昭和37年)
3月15日施行)やパリ条約やウィーン条約等の国際的枠組みも、 米国が
1957年に制定した「プライス・アンダーソン法」 の強い影響を受けて制定
されたものではないかと思います。
なお米国では不法行為法の権限が各州に委ねられているため、「 プライス
・アンダーソン法」では、「電気事業者への責任集中= 原子力メーカー等の
免責」の明文規定はありませんが、 実質的には同様の内容になっています。
原発メーカーに原発を輸出させないためにも、原発メーカーの「 製造物責任」
を問うことは必要ですし、「原子力損害の賠償に関する法律」 にも原発メーカー
の「製造物責任」を明記する改正をすべきです。 また原子力原発メーカーを
損害賠償から免責させる国際条約も変える必要がありますし、 各国政府も、
インドのように原発メーカーの賠償責任を問えるように国内法を改 定すべき
だと思います。そうすれば、GEのジョン・ フラナリー氏が述べたように、原発
メーカーは、原発事業から撤退せざるを得なくなります。
紅林進
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