2013年2月27日水曜日

いとしくていとしくたまらない心情で描かれた裸婦像を前にして

2月25日、信州沖縄塾での講演が終わった翌日、塾のメンバーでもあり、上田教会の女性長老でもあるEさんと、礼拝時にハンセン病患者の冤罪事件で署名を集めていらしたKさんのお二人で、無言館と長野の松代大本営跡地のトンネルを案内してくださいました。

無言館は小高い山の上にあり、そこで車から降りると川崎では経験したことのない寒さだったのですが、その空気のさわやかなこと。鼻を通る空気のすがすがしさがたまらなく美味しいのです。無言館と書かれた小さな入口からとてもセンスのよいコンクリート造りの美術館に入りました。

ここでは何の説明もありません。反戦を訴えるわけでもなく、ましてや戦場に行った青年を美化するようなものは一切ありません。まさに、無言なのです。ただただコンクリートの壁に絵が飾られていて、通路の真ん中にはショーケースが置かれ、それらの絵を描いた、当時20代前半の、多くは美術学校で学び戦場に行き、若くして死んだ学生のノートや細々とした所持品が納められていました。

ここには何の押しつけがましい主張もありません。帰りに出口で買った窪島誠一郎『傷ついた画布(カンパス)の物語 戦没画学生20の肖像』(新日本出版社)にこのような記述がありました。「どんな声高な反戦のプロパガンダよりも、一点の絵にひそむ深い沈黙と愛の推積とが、どれほどあの時代の理不尽さ、不条理さをまっすぐ伝えてくれるか」。

絵の横には作者のプロファイルがあり、多くは20代前半で亡くなっています。その死亡原因もほとんどが「餓死」によるものだと暗示するものでした。食べ物がなく抵抗力がなくなるなかで普段特別な軍事訓練も受けていない画学生が「脚気衝心」、つまり、「当時の下級兵の多くが戦地で罹った病だったが、早いはなし、過酷な訓練と行軍による疲労と食糧不足が重なり、ろくに食べるものもない栄養失調によってもたらされた一種の「餓死」に他ならなかった」ということのようです。

私が見ていて胸が締め付けられる思いをした絵を2点紹介したいと思います。裸婦画です。世界的な画家の裸婦画からすれば拙い絵なのでしょう。しかし私は強く胸を打たれました。
「佐久間は愛する妻の裸体を初めて描いた。それは美しく、そして初々しいデッサンだった。この作品を妻への遺言にして、佐久間はまもなく長崎県大村市でB29の直撃弾をあびて死ぬ」。

中村萬平は、在学中にモデルをつとめてくれていた霜子と結婚したその月末に中国華北に出征し、そこで長男を生んで3日目に妻が亡くなったことを知り、自分も翌年野戦病院で死んでいきます。


私は帰りの新幹線の中でいろんなことを考えました。そう、結婚まもない愛する妻と別れるのにその遺言として妻の裸婦画を描いた彼らはそれこそどのような想いであったのか、その妻をいとしく、いとしく想う気持ちはわかるような気がします。

彼らは自ら死ぬ覚悟をしたのでしょう。内心はいやであっても国のために死ぬ覚悟はしたはずです。しかしかれらに人を殺す、見も知らない外国人を殺すという考え、覚悟があったのでしょうか。国民になるということは国の為に死ぬということより、国のために外国人を殺すことをよしとする、その覚悟を求められるということです。

記憶にある二冊の本を紹介します。『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』(渡辺良三 岩波書店 2011)。渡辺さんは大学生のときに徴兵で中国に送られ、そこで最初の訓練として中国の八路軍兵士数名を肝試しで刺し殺せと命令されたのですが、キリスト者の彼はそれを拒んだところ、ずっと軍内でリンチに遭いつづけたそうです。軍服に便所で書き込んだ紙を縫い込んで帰国した彼は、それでもその歌を公にするのに40年かかっています。

「はじめに」にこの2首があります。
いかがなる理にことよせて演習に罪明からぬ捕虜殺すとや
生きのびよ獣にならず生きて帰れこの酷きこと言い伝うべく

もう一冊は野田正彰の『戦争と罪責』(岩波書店)です。ロシアに抑留されその後中国に送られた日本軍戦士は、中国人の殺害に対しても上官の命令だから、仕方なかったからと
言い逃れ、一般市民を殺害したことについての罪の意識は認められなかったそうです。しかしあくまでも中国兵は優しく待遇してくれたそうなのですが、ある日、学習の一環としてなされた演劇で一般の中国人が殺害される場面を自ら演じる中で泣き崩れたそうです。ここで初めて殺された中国人の気持ちに思いが至ったのでしょう。

中国から帰国した彼らが少しでも中国を弁護するような発言をすると「アカ」と言われ、家族にも完全に沈黙を守ったそうです。亡くなった後、その父が書き残したものを見て子供たちが中国に行き、父がどうして一切沈黙を守ったか知るようになります。

私はあの裸婦像を残した画学生が外地で渡辺良三さんのようにまったく罪のない住民を肝試しで殺せと言われたらどうしただろうと想像します。南京で日本刀で何人殺したと誇らしげに話す兵士の話は当時の新聞に残っています。恐らく、いや間違いなしに殺したでしょう。渡辺さんのように上官の命令を拒むことはできなかったはずです。繊細な画学生は目をつぶり、涙をこらえ一般の住民を殺傷したはずです。

国民になる恐ろしさとはまさにこのことではないでしょうか。国家はあの繊細でひ弱で妻を最後まで愛し続けた画学生を殺人者にしたてていくのです。昨日書きましたが、安倍首相はこのように大日本帝国が国のために殺害を命じ、それを受け入れ実行していく人間を作ってきたことをどのように思っているのでしょうか。

これは日本だけが特別ということではないのでしょう。国家が国の為に人を殺すことを当然視する国民をつくりあげていくのです。私はやはり、国家なるものも、民族なるものも相対化し、ただただ人としてまっとうに生きていければと思うのです。



1 件のコメント:

  1. FBより

    深い沈黙と愛の堆積...そんな音を紡げたらな。
    ただただ“人”として...そこに目を向けていられるように。
    『無言館』
    父が背中で「一度は行っておけ」と言っていた場所です。

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