7日間の韓国訪問を終えました。一人の人間を民族や国籍で規定し、民族や国籍を基にして個人のアイデンティティを求めるのは本質的に問題だということがよくわかりました。はやり、民族というのは乗り越えるべき概念だと思います。「在日」である私の「母国」韓国は、世界で最も原発密度が高い国です。そして原発輸出を(日本と同じく)国策として展開している植民地主義の国です。しかし貿易によって国益を求め国民のGNPを上げるという目標のため、貿易輸出に反対することはタブーに近い状況です(日本はタブーではないですが、この声は圧倒的に小さい)。私はこのことの問題を率直に話しました。
運動の組織化や機動力については経験の多い韓国ですが、こと原発については、日本と同じく、世界の趨勢の先頭に立つどころか、その間反対に向かっている国です。これを市民がどのようにとらえていくのか、まさに今大統領選挙運動の真っただ中にあって、その趨勢が注目されます。しかしそれでは不十分です。市民自身の覚醒、自らの運動、これを実現していくのは、日本においても韓国においても、そして台湾においてもまったく同じ課題だと感じました。韓国での1週間を振り返り、みなさんに報告いたします。
崔 勝久
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韓国からの報告ー2日目、いよいよはじまります
28日の日曜日にソウルに来ました。韓国在住の岡田さんが大変苦労されて私の11月3日までの予定を立て、多くの人と会う段取りをしてくださいました。改めて感謝です。
1.着いた日の夜、田中三彦さんから紹介されたKim Yonghee弁護士と会い、岡田さん、李Daesoo牧師を交えて楽しい食事の時間をもちました。彼女は韓国の財閥の会長の相続問題で勝利した敏腕弁護士です。原発問題でも地方自治体を告発しているそうです。しかし日本同様、法律、地方自治体を相手の運動はまだまだ困難が続きそうです。
彼女は、福島の原発事故を起こしたGE、日立、東芝を相手に法廷闘争をすることは世界的に原発メーカーの免罪をうたう法律があるため困難ではあるが、できないことはないと思うという判断でした。そもそも製造物責任を原発に限り、免罪する法律自体、憲法違反であるという私の主張に賛成してくれました。日本では10日の記者会見を前にしてS弁護士を囲んで、私たちの法廷闘争の理論構築が必要でその話しあいをもちます。
2.今朝は韓国キリスト教会館で、金容福博士、李Hunsam/NCC実務責任者、No牧師、李Daesoo牧師、岡田さんと私の話し合いました。NCCやYWCA,YMCAを含む30数団体で構成される脱原発をうたった新たな組織で、NNAAを支持し、連帯をすることを既に決定し、11月2日には、具体的な声明文をだすということでした。そのうえ、11月10,11日には組織として1名を派遣するようにするということをその場で話し合いました。うれしいことです。
お昼は、Yang Jaeseong牧師と一緒でした。彼は教会と一般市民運動との架け橋になる重要な役割を担っているかたです。NNAAの組織形態や、今後の運動について貴重な助言をしてくださいました。国際連帯の運動の重要性を強調されていました。5ケ国が参加するNNAAはいずれ毎年、シンポジュームや学習会を行い、情報交換、行動計画を行おうという前向きな提案でした。それも各国で持ち回りがいいというのです。
Yang牧師は、個人の魂の救済だけを強調する教会のあり方には批判的で、1000万人を超えるキリスト者の80%は前回の大統領選挙で与党の李明博を支えたのではないか、今回もまた与党保守派で原発推推進論者のPark Kunheeを70%くらいのキリスト者が支えるのではないかと危惧されていました。韓国のキリスト教会は本当にこれでいいのか、福音に基づ「抵抗」の精神で社会を変革する教会を目指すべきだという強い信念をおもちでした。
3.午後からは韓国Green Peaceのメンバーと会いました。国際連帯に強く共鳴しながら、モンゴルへの核廃棄物の持ち込みと、UAEの廃棄物を韓国が引き取るという情報に関して、今岡教授から教えていただいた情報のほか、さらなる情報があれば国会で問題にしたいということでした。
11月11日は脱原発を目指す大学教授の集まりの2周年記念集会を共催するとのことで、一昨年CNFEがモンゴル、韓国、日本でネットでの記者会見を一緒にやったことを伝え、今年どうするのかは改めてつめたいと思います。
4.明日は、午前中は緑の党(プラス)ー前回の選挙で一定の有権者の確保ができなかったので名称を変えなければならなくなったためーおよびアジア最大の環境団体に成長したグループ(韓国のFoE)と話し合いの場を設けてもらいました。午後からは田島さんの絵本を韓国で7冊発行しているkangさんと会います。
NNAAの活動がきっかけになって韓国の教会、および市民運動がまとまる契機になるという金容福博士の言葉に励まされました。
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韓国からの報告 3日目ーソウルの早朝の姿
1.昨夜は「脱原発の大学教授の会」の李WonYong教授とお会いしました。この1年で参加者は700名を超えたそうです。ドイツに3度、総計で50名が視察に行き、原発なしでもやっていけるという確信を得て、各人が論陣を張るようになり、その影響は大きいということでした。
11月11日に1周年記念の集会をするそうですが、昨年は日本、韓国、モンゴルの3ケ国で記者会見のネット中継をしました。今年は日本の記者会見を10日にすることになったので、その録画を韓国での集会会場で紹介したいということでした。Green Peaceとの共催なので、彼らと技術的な打ち合わせをしたうえで連絡をもらうことになりました。また彼らのメッセージを送ってくれるとのことです。
2.今朝は4時に目が覚めごそごそと起き出しでかけたので、ソウルの鐘路の一角の様子をお知らせしましょう。私の宿所は、Hong Guest House Down Townで、鐘路5街の交差点から10mの路地を入ったところにあります。旧赤線地帯らしく、今はカラオケ、一杯飲み屋の看板を掲げ、中の女性が怪しげな視線を送ってきます。モーテルも何軒かあります。
さて、昨夜見つけておいた24時間営業のソッロンタン(牛の骨を長時間煮込み、雪のように白くなったスープに素麺が入っている)店に行きました。怪しげな路地は驚いたことにまだ「営業」をしており、「お酒を一杯、どう?」と女性に声をかけられました。
路地を通り抜けると鐘路の大きな交差点に出て、地下に降りていくと数人が駅の改札口で寝ていました。酔っぱらいではなく、川崎の野宿者のような感じです。まだ寒くはないのですが、これから寒くなるので、どうするんでしょうか。
地上に上がるとすぐに警察があり、その横が目的の店です。ソッロンタンを頼むとぐつぐつと煮こんだソッロンタンと、おいしそうなキムチ、カクテギ(大根)、ご飯と黒豆が出てきました。もちろん、スープ以外はおかわり自由です。ウム、カクテギが適当に酸っぱくなって、そのおいしいこと・・・。
素麺を食べてからご飯をスープの中にいれ、クッパのようにして食べます。食べ過ぎてはいけないので、自重してご飯は三分の一だけにしました。食後、今日の午後に行く、「冬ソナ」で一躍有名になった島に行くバスの乗り場のことを訊いたら、店のおばさんもお客さんも一緒になってあれやこれや、それは違うなどの話が出始めました。店のおばさんは、隣の警察で訊いたらということでしたが、そこに行ってもらちがあかずまあ、いいか、バスターミナルはどこかわからないが、探して行ってそこで聞くしかなさそうです。
ゲストハウスへの帰り道、地下道で若い女性二人がiフォーンで何か熱心に探していたので、その島への生き方を尋ねたところ、韓国語で「日本人でわかりません」と言い出すではありませんか!私は何も言わず、どうもスミマセンと韓国語で話して地上にあがりました。6時前だとさすがに路地のネオンもすべて消えています。
宿舎に戻った私は部屋のフランス人とフィリピン人を起こしてはいけないので、PCを抱えて屋上のバーコーナーに行ったら、なんとそこは6名くらいの若い男女がラップを聞きながら笑い転げているのです。私はその横で黙ってトイレの光を頼りにこの閑話を書いているという次第です。
7時を過ぎて若い人は帰っていきました。そとはすっかり明るくなりました。英語と韓国語が混じっていたので海外の韓国人と地元の女性だったのでしょう。そのうちのひとりは、私を可哀想に思ったのか、帰り際に黙ってチューインガムをくれました。
さあ、今日はどんな一日になるのでしょうか?
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韓国からの報告 4日目ー韓国最大のネットワークとつながりそうです
韓国は明日から寒くなりマイナスになるということです。明日から地方回りで、より忙しくなりそうです。
1.今日は、「緑の党プラス」は参加できず電話で話しましたが、韓国環境連合のYangさんと話しました。これまで何度もお会いしているので、心おきなく率直な話ができる方です。彼女は、韓国で最近発足した教会組織も参加する「核のない社会のための合同行動」(Joint Action for Nuclear Free Korea)の事務局長で、一般市民団体も一緒になって韓国最大のネットワークになっていました。
一応、全体会議にかけるということを前提にしながらも、NNAA-KとしてNNAAのネットワークに参加すること、11.10は誰か代表参加者を送ることを検討する、ダメな場合でもメッセージを送ること、今後の情報伝達は、Yangさんが月に1度はNNAAのFacebook Group(FBG)に韓国の情報を送ること、を確認し合いました。(彼らは行動と決断が速い!)
リポートはA4で1枚くらいらしいので、岡田さん、翻訳の方よろしくお願いしますね。今後はまずFBGを通して各国、地方の状況を共有化することから始めたいと思います。
2.「冬ソナ」で有名になった「Nam Ye Som(島)」はいわゆる中之島で、1周5キロくらいで、渡し舟がないと渡れません。「独立国」として「パスポート」があり、韓国の愛国歌は歌わず、独自のものがあるそうです。自然・環境を正面からうたった、50万坪くらいの大きさだそうです。株式会社がその島を所有、経営管理しており、私はその代表者のKangさんにお会いしました。児童文学の田島さんの絵本のイラストを描き、7冊韓国で発行されているということでした。
Kangさんが社長になって10年で、当時年間20万人の来訪者が、今年は250万人になったということでした。そのうち、外国人は50万人という大変な数です。1位はタイ、次に中国と続き、日本は5-6位ということでした。実態として韓国の日本依存は目に見えて少なくなって来ています。
日本は富山と提携しているということでした。彼は環境というテーマで韓国の他の地方ともつながり「連合国」を作ろうとしていました。一つひとつが違うテーマです。代表者になる前には市民運動として環境団体で活動されたKangさんは、おもうところがあり、敵を作らない、自分でできるところから始め、実際に変えるということをやろうと決められたようです。
Kangさんの交際範囲は世界に広がり、国民国家という視点を完全に相対化し、大統領が来れば「礼儀上」出て行くが、長官クラスだと「独立国」の責任者として簡単には合わず、権威主義を徹底的に嫌っておられるようすでした。
10年間の試行錯誤の中で現在の「独立国」のイメージを明確なものにされたのでしょう。私には、「魚を捕らえるのに、それだけに集中していると捕らえられないことも多いばかりか、回りの反発も多くなるので、周辺から確実に取りこむことをしていくと、その魚も捕えることができるようになる」とそれとなく、スローガンだけに終わり、権力を批判しながら結局、自ら権力をもつことになるような運動を批判されていました。
いろいろと言い出せば議論になるでしょうが、彼の実際の成果を背景にした持論は拝聴に値すると思いました。次回の約束をし、その時は私のよく知るアニメーションの会社社長を紹介することになりました。なんかいい方向に進むような気がします。
私はいまやっていることが楽しいと言うと、彼は驚いたように、多くの活動や運動は疲れ果て自ら変わることがない、それでは反対の立場の人を含め、本当に社会を変えることにはならないと言っていました。成功者の説教というより、自分の信念をどこまでやり通せるのか、ということに真剣だという印象です。
今回の韓国でもまた素晴らしい人に出会いました。明日からの地方回りが楽しみです。
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韓国からの報告、5日目ー国際連帯の新しい出会いを求めて
ソウルを発った昨日は気温がマイナスになり急に寒なりました。私は、ソウルから韓国の「新幹線」に乗って光州に向かいました。地下鉄をはじめ、韓国の「新幹線」、長距離バスなどの交通網は大変合理的なシステムで運営されていると感じました。慣れるとそのよさがよくわかります。
1.光州につくと、岡田さんから紹介された小原さんが迎へに来てくれていました。滋賀出身で立命館で学び、学生時代に出会った韓国人と結婚されたそうです。お子さんも大きくなったので、光州環境運動連合で働いて5年になるそうです。完全に地元に溶け込んでいる感じで、周りの人からその人柄の良さで愛されていると思いました。
2.光州環境運動連合では地元の女性を呼んで話し合いの場をつくってくれたので、私は小一時間ほど、何のために韓国に来たのか、NNAAとは何か、いまどのような問題に私たちは直面しているのか、どうして国際交流が必要なのかを説明しました。実は私は韓国語でこれほどの時間を話した経験はないのです。しかし私の韓国語での通じるという自信をすこしばかり得ました。あまり討論にはならなかったのですが、参加された方が反応しているということを実感できたからです。
3.そのあと、バスターミナルにマイケル・シュナイダーさんを迎えにいきました。フランスからいらっしゃるというのでなんか聞いたことがあるとは思ったのですが、あの、これから東京での講演が予定されているシュナイダーさんとは思いませんでした。
原子力発電所がある霊光とい小さな農村に向かい、彼の講演が始まる前に地元のスタッフと一緒に食事をしたことは先に書いた通りです。
氏は世界的に著名なアナリストとは思えない気さくな人で、講演前からいろんなことを訊きました。そこでは運動家との役割の違い、独立したアナリストとしての自負と自分のやってきたことを話してくれました。まだ若いのに高木仁三郎さんと友人であったとか、ヨーロッパでの評価、彼の交際範囲などを聞きながら、あれっ、これはただものではないなと気づき始めた次第です。
4.シュナイダさんのプロジェクターを使った講演は、小出さんとも他の日本の学者、活動家のものとも違いました。持論を述べず、資料を見せ、資料から読み取れる傾向を話しながら説明するというスタイルです。主に、原発と他のエネルギーとの対比が次ぎ次と世界の実例として紹介され、それを見ていると世界の趨勢の中で韓国はどのような位置にあるのか、日本はどうか、ということがわかってくるような話です。大変説得力がありました。
質問の時間で私は、それほど経済合理性などで問題が多いのがわかっていながら、どうしてオバマ政権は4基の原発建設を許可したのかということを質問しました。彼はそれはオバマとは関係がない、NRCが決めたこととし、しかしそれでも元来の予定に比べるとはるかにすくなっているということを強調していました。
会場は60名ばかりの人で溢れんばかりでした。核兵器との関係で原発を持ちたがるところもあるのでは、という質問に対しては、その通りで、経済合理性だけで原発が全廃されるものではないということを匂わせていたように思います。
5.9時を回り随分と打ち解けてきた氏は、客観的なアナリストの顔から、本音をずばり言うようになりました。車中で聞いたことは、原発は「死んだ」ということであり、福島事故の前からその傾向は明らかで、下落のトリガーでもなんでもない(講演では福島がトリガーという発言をしていたのですが)、英国の原発を日立が買収するのは気が狂っているとしか思えないとか、Bill Gatesがどうして東芝に投資して中国で展開をしようとしているのか(答えは簡単で、取り巻きが悪い、ということでした!)、講演でも触れていましたが日本の原発をなくすと言いながら再処理をするというのはおかしい、という話をしてくれました。
ホテルに帰ってから外に飲みに行ったのですが、氏の交際範囲の広い話はとても面白いものでした。ヨルダンのプリンスの話(原発反対の演説をしたとか、国会の地位が絶対的ではないとか)、中国の要人は自分の話をよく理解しており、彼らの今後の政策は世界に最も大きな影響を与える、という見解でした。インドなどは中央集権的でなく、そんなに大き投資をしてまで大々的に国家プロジェクトとしてやるとは考えられないという話であったように思います。
彼の頭の中では、今後ビジネスとして割に合わず成り立たない原発産業を(日本と韓国を含めて)中央集権的にすすめるのではなく、インターネットのように水平的なビジネスモデルとして一般人、企業が参加するようなものが必要と考えているようでした。
ドイツの例は、韓国では参考にする方がいいのだが、ドイツも問題が多いので、真似をしてはいけないと答えていました。また、フランスも3・11以降は80%近い人が原発に反対の意見を表明している、アレバなどは10年以内に、熟練労働者が半分になり、それは世界的な傾向であり、もうどうしようもないという表情でした。また韓国で専門家が少ないことを嘆く場面もありました。
というのがシュナイダー氏をそばで見て聞いた私の印象です。これらは私の個人的な印象ですので、引用や感想を公にすることをしないようにお願いします。氏の東京での講演が楽しみです。どうぞみなさんも是非、どこでやるのか調べてご参加ください。
それでは今日、釜山での環境団体、緑の党メンバーとの話し合いの内容、古里原発の見学と現地住民との話し合い、夜持たれた慶州での話しあいの様子は明日、報告します。その中で、釜山緑の党の共同代表、慶州の市民フォーラムの主宰者から11.10の記者会見、デモに参加する旨の話がでたことをまずお知らせいたします!盛り上がってきましたぞ!
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韓国訪問、6日目ー慶州の月城原発を訪れて
1.慶州は韓国でもっとも著名な古都で、人口が26万人くらいで、5階以上の建物は建築許可がでません。地価を深く掘ることが禁止されているのです。
原発6基を抱えた光州から近い霊光はそれ以上の原発建設を反対し計画を撤回させたところです。一昨日はそこでフランスのマイケル・シュナイダーさんの講演があったところです。しかしその2基は間髪いれず、慶州の月城で建設されました。したがって現在6基、それにまだ数基増設するというのです。
いわゆる原発クラスター計画はこの地域で声があがり新聞で報道されたものです。しかし地域の活動家は、国は国家プロジェクトとして推進する計画はないと断言したそうで、貧しい地方が国から金を引っ張るために原子力産業の誘致に力を入れている姿が見えます。
2.慶州はその昔、渡来人が日本に来て、奈良(nara)を韓国語でクニという意味の単語で命名したのもさもありなんと思わせるようななつかしさを感じた、40年前の韓国に留学に来て初めて慶州を訪れたときのことをおもいだします。慶州からわずか30キロ離れた海辺にある月城までの道は、韓国でもっとも美しいといわれているそうです。まだ紅葉にはなっていませんでしたが。川がありその両脇に山が紅葉したらすばらしい風景なのでしょう。しかし私には慶州と6基の原発はあまりにもイメージが異なりまったく相反するものでした。
原発敷地は厳重な警戒態勢が敷かれていました。私は国立慶北大学のRho教授が引率する40名ばかりの学生とバスで施設内を見学しました。教授は昨年CNFEが11・11に一緒に記者会見した、韓国脱核教授の会の代表者でした。
広報館は韓国の威信をかけて作られたようなもので、そこで上映されるコマーシャル映画は、福島事故を紹介しながら、それと自分達は何が違うのか必死に説明していました。冷却水は海温を3度上げるということで自然の体系を破壊すると危惧されていますが、ここはそれを逆手にとって、安全できれいな水であり少し暖かい海水は養殖に適してると、敷地内に広大な養殖場をもっていました。大きくされた魚は海に返されるとのことでした。
案内嬢は、ここで生活して怖くないですかと意地悪な質問をしたら、ちっとも、30-40年もしたらもっと新しい技術が開発されもっと安全なものになるので、いまある(皆さんが批判されている)ものはその過程にあるものです、としおらしく答えてくれました。地域の活動家はそれを聞いて、40年たっても同じこと言うだろうとはき捨てるようにつぶやいていました。
3.Rho教授に私は反原発運動を進める専門家が少ないのではないか、原発に代わる対案を提示できていないのではないか、と質問しました。柔和な氏は不躾な私の質問に、そのとおりですと答えながら、自分たちの反原発を掲げる大学教授は700名を超えたが(全体では2万人以上)、専門家といわれる人は原子力産業を進める国家戦略にかかわってきたので、それを反対する専門家はいまだ具体的な対案を提示できずにいる、率直な話をしてくれました。
教授によると韓国はドイツや日本に比して風や太陽があまりに弱すぎるというのです。石油や石炭がなく、自然エネルギーを活用して原発をすぐに止めようと提案するにはあまりに条件が悪すぎるという見解でした。そうか、しかしそれでは国民を説得して政府が原発を止めると電気代があがるとキャンペーンしている大きな力に対抗するのは大変だなと思わざるをえませんでした。
大統領選挙で野党側が勝利すれば事態はドラスチックに変わると運動圏の人たちは期待しているようですが、楽観は許せないように思えます。その上、野党候補は二人いて、一人に単一化されないと野党は勝てないと誰もが思っているのですが、まだ実現の兆しは見えません。
3.それなりに説得力のある広報館での説明は、原発の問題は何か事前に学習していないと批判的に見るのはむつかしいのでは思い、参加した学生に聞いてみました。多くは授業だから参加した、先生のクラスで原発の問題は聞いているということでしたが、私には彼らの表情はよく読めませんでした。横浜国大の学生の反応とあまり変わらないなあという印象です。
40名中、10名ばかりが中国からの留学生でした。青島から来たという学生と話しましたが、原発の問題がどのようなものか見えてきても本国に帰っても話をするのは難しいのでは水を向けると、そうですと、言っていました。
私は次の目的地に向かうため、一行と途中で別れました。教授は11.11に脱核教授の会の1周年記念に発表する宣言文を事前に送ってくださるということでした。当日、みなさんに公表します。
4.バスの中で私のことを詳しく紹介してくれたのは、慶州の環境運動の専従でした。前日の私の話を理解してくれていたんだなと思わずうれしくなりましたが、その後も学生は誰一人私に話しかけてきませんでした。時間があれば彼らとも話し合いたかったのですが・・・。
その専従が前日準備してくれた集会には、これまで地域の運動を長くやってきたのだろうなと思わせるような雰囲気の人が集まってくれました。案の定、緑の党や環境運動に関わってきた活動家たちです。
私はモンゴル、台湾、日本の状況を説明しながら、国際連帯の必要性を訴えました。原発体制とは戦後の植民地主義であり、原発輸出をする日本と韓国はもっともけしからん国であり、韓国は戦前の植民地支配の経験から今も植民地支配の被害者であるという思いはないか、そうでなく、戦前の植民地主義の清算のないなかで、日本と韓国はまさに植民地主義の政策を進める加害者ではないのか、というような話をしました。
そのとおり、フリースクールをやっているという慶州「緑の党」の責任者は大きな声を出してこたえてくれました。知らなかったことが多くあり、とても参考になったという市民フォーラムの主宰者もいました。私は、11.10の記者会見に参加し翌日のデモにも参加しませんかと訴えのですが、自分が行くという人がいました。やはり人は直接面と向かって率直に誠意をもって自分の情熱をもって話すことが人との出会いにとって大切だと思いしらされた次第です。
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今日7日間の韓国滞在を終え帰国します。
Twitterに記した内容で一旦、韓国からの報告とします。日本に帰り整理して最終報告をします。
1.大邱では被爆二世の女性も集会に参加してくれ率直な意見の交換ができました。彼女たちは私のよく知るFさんという日本の方にとても敬意を払っていました。うれしいことです。私は被爆二世の方と話しながら、北朝鮮にいる被曝者1世、2世の問題はどのようになっているのか、交流はもてないのかと聞きましたが、現在、まったくないそうです。そういう場ができていけばいいのですが。
岡田さんが大邱の大学で日本語を教えている関係で、KYCという大邱市内で260名ばかりの会員をもつ若い人たちと、一般の市民たちとの二部に分かれた話し合いの場をもちました。彼らは被爆二世の問題を取り上げ、「在日」との交流も積極的にしているようでした。その中で、川崎でお会いした日本籍の「在日」女性も大邱に来たということで驚きました。彼女は川崎の桜本で勤めており、私は2度ばかり、長時間話をしたことがあります。相手の言うことをしっかりと受け留めようとする素晴らしい女性でした。
「在日」は私がそうであったように、自らの民族的なアイデンティティを求めるのですが、それが組織活動になると、地域社会の問題と原発問題を自らの問題として取り上げ、それに積極的に取り組まないのはどうしてか、これは大きな南北朝鮮と直接つながっている大衆組織だけでなく、小サークルも同じであるように思えます。おそらく戦後初めて韓国の国政選挙権をもった「在日」は、実はその登録した数が圧倒的に少ないでしょう。まだ最終的な数字は発表されていませんが、今後、これが意味することは何か考えていきたいと思います。
2.一般の人の中には「緑の党」や教会関係の方もいらしていました。私は最後の夜ということもあり、少ないボキャブラリーで自分の言いたいことはほぼ伝えることができたと思います。原発反対運動をしながら実感がもてないという青年に対しては、原発体制は植民地主義であり、韓国がそれを積極的に国をあげて進め多くの国民もそのことを自分たちの国益にかなうのでいいこととしている、しかしそれは日帝時代の日本の国民が海外侵略をよしとして他国の人たちの苦しみを見ようとしなかったこととつながるのではないか、と問題を投げかけましたが、彼らはどのように受けとめてくれるのでしょうか。今度また会っていろいろと話を深めることができればと願います。
教会に関しては、月城原発のすぐ傍にありながら、圧倒的に大多数の教会員(1000万人を超える!)がそれを問題とせず、個人の救いや教会の拡大に努めていることを指摘しましたが、参加された牧師・大学教師(なんということか、私の「在日」の後輩でユニオン神学校で一緒だったそうです!)、教会の長老は嫌な顔をされず、その通りだとおっしゃっていましたが・・・。
3.全体的に原発開発に反対する熱心な活動家が疲れて見えたのはどうしたことでしょうか。原発立地の地方での日本の戦いと同じような印象です。
私は台湾の地方の運動が問題を抱えつつ、土着化しリーダーの落ち着いた疲れのない姿はどこから来るのか、考えざるをえませんでした。ひとつは教会の姿勢にあります。台湾独立、少数民族重視、原発反対を明確にする教会は地域に根付いていました。私は日本、韓国、台湾の比較をしたいのではありません。各国の反原発運動を深化し国際連帯を進めたいのです。そのため率直な意見を述べました。驚きの声とともに、基本的に受け入れられたと思います。
特に、原発メーカーを事故の責任を問わない法律があるからといって責任をとわないのは問題、私たちは法廷闘争をしながらメーカーの問題点を明らかにする運動を国際的に進めるという私の宣言に多くの賛同の声があがりました。
さあ、11月10日の講演会、講演会が楽しみです。翌日のデモは、台湾、韓国からの参加者とともに、各国のスローガンを掲げてデモに参加します。それではみなさん、帰国し、改めて報告します。以下はツイターに流したものです。
韓国からの報告ー最終日。古都慶州、3番目の大都市
大邱での話を終え、今日帰国。韓国の原発推進の実態
を目撃。問題は深刻。しかし大統領選挙においても
大きなイッシュにならず熱心な活動家の動きにかかわらず、
反原発運動は低迷。原発の対案が明確でなく、原発輸出
反対の声はほぼ聞こえず。
韓国は日本と同じ、原発輸出を進める植民地主義の国の
指摘に多くの韓国人は沈黙。賛成の声もあり。国際連帯は
事実の指摘、問題の共有化から開始すべし。国際連帯、
情報の共有化に多くの人が共鳴。民族主義の克服の提案、
共生批判に賛同する人も多し。これかれが楽しみ。
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