10月18-25日の8日間にわたる臺灣滞在でした。ここにその記録を残します。私にとっては台湾独立、少数民族重視、反原発を掲げる台湾長老派教会の多くの教職者、そして何よりもRanyu島をはじめ地域に密着した運動をされている人たちとの交流は心からの感動を覚えるものでありました。日程を調整して面談してくださった台湾のみなさんにお礼を申しあげます。またうれしいことに11月10日の講演会、記者会見、翌日のデモに参加するために10名を超える人たちが急遽参加してくださることになりました。
反原発を目指した私たちの国際連帯運動を前進させましょう!
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みなさんへ 8日目 成田に到着をして 25 Oct 2012
11月10日に台湾から多くの人が参加されます
先ほど成田に着き、車中でメールをしています。台湾長老教会(PCT)は11月10日の講演会、記者会見、11日の国会前デモに参加すべく、社会委員会委員長を代表派遣することを
決定しました。
また市民運動としては環境団体、緑の党関係者が10-15名参加することになりました。彼らを迎へ、私たちも時間のつく方は全員、信濃町教会に集い、共に学び、意見の交換をいたしましょう。ご参加くださいますようにお願いいたします。
大阪からはNo Nuke Asia Forumの佐藤大介さんも上京されます。インドの最新情報を報告されるものと思います。
一国内の戦いではなく、国際連帯によって原発体制と闘いましょう。アジアでの反原発の戦いを一つにして共に前に進みたいと願います。
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臺灣からー7日目のミーテイング
1.台湾環境保護連盟会長 施信民教授との面談
施教授は、国立台湾大学の化学工程学系教授で、大変温厚な感じの方でした。原子力の専門家らしく、20日の小出さんの講演を特に新らしいものはなかったが、想像以上に汚染が広がっているということを感じたと話されていました。教授からは、台湾の国民投票の仕組みを詳しく伺いました。
結論的に言うと、国民投票の法律が作られ、一定の市民の数を集めると原発の賛否を問うことができるが、それは地方から中央(全国レベル)にレベルアップすることも可能であっても、その是非を決定するのはReview Committeeであって、その委員会は現在、国民党(蒋介石が作った党)が政権をとっており、国民投票の結果に自動的に決定されるのではないという驚くべき仕組みでした。
これは、まさに与党と野党のどちらが政権をとるのかで決定されるということで、必ずしも市民や、国民に意思で決定されるのではないということです。原発の問題が政治イッシュにならざるを得ない構造になっています。
教授の意見は明確で、現在、第4原発はCold Condition下での実験が進んでおり、次の実際に燃料を挿入してのHot Conditionに移行しないようにさせたいということでした。私が第4原発近くに住み30年間戦ってきている住民と会い、彼らが必死で署名を集めていたのを見たものですから、複雑な気持ちになりました。4年後の大統領選挙の結果が重要だということになります。
またRanyu島の低レベル廃棄物も原発の敷地内に置けばいいというご意見で、その点は明確だと感じました。
しかし私が見た、第3、第4原発はいずれも観光地のすぐそばであり、何もよりによってそんなところに作らなくてもという感じです。日本通の副秘書室の李秀容さんが吐き捨てるように言ったことばが印象的です。国民党はすぐに中国本土に戻れると思っていたので、台湾の住民のことなど考えていなかったというのです。彼らの印象では、蒋介石は日本の植民地時代より虐殺を含めもっとひどいことをしたので、台湾人は日本にそれほど悪い印象はもっていない、ということでした。そうか、でもこの発言も意味深で、額面通り受け取れないと思いました。
2.緑の党 元党首のPan Han-Shenさんとの再会
Panさんとは7月、東京でお会いしNNAAへの参加を表明された方です。柔和な表情にいつも笑を浮かべ、まだ小さい娘さんのケアーをまめにしていたのが印象的でした。彼は次の国政選挙で緑の党から立候補をする予定とのことでした。台湾での反原発運動はそんなに活発でなく、小出さんの講演で500名くらい集まったのは異例であったとのことでした。ついでに言うと、つい最近私たちが小出さんをお呼びしたときは800名を超える
人が集まりました。また先日、ソウルで田中三彦さんの講演があったときは100名に満たなかったと言われています。
しかし台湾では最近、風向きが変わり、著名な歌手や映画監督が原発反対の意向を明確にし、与党の責任者にも原発をやめるように苦言を呈しているとのことでした。私たちが日本でしようとしている原発メーカーへの提訴に関しては大きな関心を持ち、11.10の記者会見には緑の党としてメッセージを送るということでした。今後ますます台湾の反原発グループとは緊密な連絡を取り合い、具体的な行動を共にする必要があると痛感しました。
3.蘇振明教授との出会いー田島さんの絵本を台湾で出版する件
私がモンゴルに行って感じたことはこの国に、原発と放射能の恐ろしさについてもっともっと日本からの情報を伝えるべきだということでした。いい本や映像を翻訳して現地の人に見てもらう活動を地道にすべきだと考えてきました。私たちのアクション・プランの一つです。
田島伸二さんとはブログで知り合ったのですが、既にアジア25国以上で彼の絵本は翻訳さて出版されているということでした。環境問題に対する素晴らしい感性で描かれた本で、私は田島さんの本をモンゴルやその他の国に紹介したいと思い、田島さんにその役を私たちにやらせて欲しいと大胆にも提案して承諾していただいた経緯がありました。田島さんはこれからのアジアのことを考えると、中国の子供たちに是非、自分の絵本を読んでほしいと考えていらしたのです。そのためには台湾で出版し、香港、中国本土での出版というステップを踏まざるを得ず、今回の私の台湾訪問の目的ひとつでした。
台東市の市民カレッジで話すように要請されたとき、同じく講師としていら方が蘇教授でした。蘇教授は絵画を通して人権の問題をアピールできると考えていらっしゃる方で、精神障害のある子供たちが描いた絵を紹介されました。私の持参した田島さんの絵本を手に取り、自ら母堂の絵本を出版された会社を紹介する、と話されていました。学校や公の施設すべてに廉価で作成した絵本を置こうということにあんりました。もちろん、ただでできることではないので、そんなに簡単に進むとは思われませんが、それでも最も適切で必要な方に巡りあったという思いで、これも大きな感謝です。
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台湾ー7日目、台北最後の夜の閑話 Oct 2012 21:15:36
今日はいよいよ台湾、最後の夜になりました。みっつの話しあいを終え、ゆっくりとしています。話し合いの内容は明日の朝に送りましょう。
毎日堅い話ばかりで、こんなことしか言えないのかと誤解されてもなんですので、今回は、台北の夜のお話を。といっても色っぽい話ではなく、食べ物の話です
私が宿泊してるのは台北駅から地下鉄でも、タクシーでもすぐ近くの西門(スーモン)で、随分と大きな商店街が続きます。大阪で言うと、心斎橋のような感じですね(残念ながら、川崎にはこのような品のある商店街はないですねー笑)。
そこで私が宿泊しているのは、古いビルの2-5階を使っているゲストハウスです。管理人も誰もおらず、最初に鍵をあづかり滞在するあいだの宿泊費を前金で支払うのです。部屋は8畳くらいでシャワーとトイレがついて1日3000円です。きれいですよ。鍵はえらい頑丈で、自分の部屋と玄関のドアーふたつです。勝手にどうぞというところですね。
商店街は若い人が多く、はやりアパレルの店が並びますね、あとは食べ物屋です。日本の吉野家、ラーメン店、カレー店がありますが、どこを覗いても人はいませんでした。やはり安くて大衆的な中国料理(海鮮料理や揚げ物が多い)は人で一杯です。昨夜はそのような店で食べたので(その前日は台湾式ラーメンで、小ぶりの丼で食べるのですが、少し辛くして食べたら美味しくて2杯、食べました)、今日は台湾では珍しい、焼き餃子を食しました。中国は普通、水餃子です。
50年の歴史を誇る老舗(らしく記した看板に誘われて中)に入りました。とても小奇麗な
店です。焼き餃子を頼み、前菜を持ってくるのでその中から野菜を食べました。うむ、
キムチのような色ですが、発酵させていない野菜ですね。
餃子は日本の倍くらいの大きさのものが10個で(前菜2皿と合わせて)800円というところです。餃子は日本のものとはかなり違いますね。すこし油濃くて、ジューシーで、肉も野菜も結構入っていました。とても全部食べきれず、二切れ、残しました。
満足して出たところ、すぐそばの店が若い人で大賑わいでした。見てみると、亜南麺線と看板に書いてあり、1975年に始めたそうです。心斎橋の通りに面して30人くらいが道路に椅子を持ち出して食べているのです。食べているのを覗き込むんでみたら、彼らは麺を箸で食べず、全員、スプーンで食べていました。好奇心の旺盛な私はその場を立ち去ることができず、列の中に入って並び、入口で(小)40台湾ドル(日本で120円)を払いました。新大阪の構内にあるうどんの店と同じで、お金をもらった店員はマイクで大とか小と叫んでしました。別に叫ばなくともいい距離(2-3m)なのですが。
メニューはそうめんのような麺ひとつで、一人の人が汁の中でどろどろに近い形に溶けたそうめんを器によそうのですが、よそうというより、器に入れたそうめんを切っているという感じですね。それを受け取った人がすぐに野菜とタレを2種類かけておしまいです。
30人くらいの人たちは小さな椅子に座り、恋人同士、小さな麺を二人で食べているカップルもあれば、一人で大ぶり丼(日本の丼と同じ大きさ)で食べている女性もいます。
スープの味は、フカヒレのようなコクのある味で、まあ家に帰る前に軽く一杯食べるという感じですか。しかしこれはマジに美味しかったです。ゲストハウスに帰る道で、目をつけていた鶏肉の専門店の前を通り抜け(もうさすがに食べれない!)、アイスクリームを
店頭で頼んで食べ歩きをしながら帰りました。いろいろと回ったのですが、ここぞという
ところの路地に入っていくと、出たところはまさにゲストハウスの前でした。ウム、でかした!
今回、台北の地下鉄の中でゲストハウスのある駅の名前を忘れ、列車の中で若い女性に住所を見せたら自分について来いと言って乗り換えをして、目的の駅に着いたら、それを心配そうにみていた(らしい)若い大学生が、スマートフォーンで住所から地図をだして私を案内してくれるというのです。駅がわかればゲストハウスまでは帰れるので、彼らの申し入れを断り、今度日本にくることがあったら連絡してほしいと名刺を渡しました。うれしかったですね。ちなみにその大学生は自分も原発は反対だと言ってました。
もうひとつ、早朝、台東市で民宿を抜け出し、中国のおかゆか麺を食べたい私は片っ端から道行く人に訪ね(私の中国語が通じたのか、ボデイーラングエッジが通じたのか不明)、ある洋服店の前でも訊ねたら、その店の若い女性はついて来いと市場に案内してくれました。もうこれだけでも大感激です。私は市場の中を歩き回り、香港の市場にあるような店に入りました(私は食べ物屋には鼻が効くのです!)。
こういうことがあり、台湾の人は親切だなーと感心した次第です。今時、日本で外国人が
道を訊ねたら、その人を連れて行ってくれる人がいるでしょかね?どうですか、みなさん。私はこういうことがあり、原発反対運動をしている人たちともとても親しく、納得できる対話ができました。
それではむつかしい話は明日の朝に。
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台湾からの報告ー6日目 第4原発を見て 23 Oct 2012 19:44:34
今日は台湾の最大の問題である第4原発を見て、現地の人と話し合いました。彼らは30年にわたって戦ってきた人たちですが、勇気と気力に溢れ、とても叡智のある人のように思いました。そこに原発を輸出するのはGE、日立、東芝、三菱重工です。絶対に原発を開始させてはいけません!!
話してみると彼らが準備しているのは国民投票でした。以前一度は勝ったのですが、今回は新台北市という広い範囲で署名を集め、最終的には全国的な国民投票にかけるということです。必死になって署名を集めている実態を見ました。
日本の状況を説明するのに、3・11以降、原発立地地域では原発反対派が勝ったことはことはないということ、今度の国政選挙でもおそらく原発推進派と、右翼の党が勝利する可能性が高いということを話したのですが、彼らには理解できないようです。多くの人が反対しているのではないのか、どうして選挙で負けるのか、この質問に私は答えることはできませんでした。
国際連帯、特に、原発メーカーを提訴して法的責任を問う運動を私たちは日本ではじめるので、みなさんは国民投票での勝利に全力つくしてください、一緒にやりましょうという私のアピールに応え、台湾最大の長老派教会はその場で日本への派遣を決めました。市民運動も募金をして派遣を準備しています。こんなうれしいことはありません。お互の熱意、熱い思いがひとつになるとき、物事はすぐに実践に移されるのだと確信します。手続き論や観念的な議論は一切ありませんでした!
11月10日の講演会とそのあとの記者会見、翌日の100万人デモに参加されます。10日の信濃町教会に是非、みなさん、おいでください。
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台湾からの報告ー4日目 Mon, 22 Oct 2012 00:39:08
台湾に来て多くの人の配慮で、現地の活動家と交流を深めています。みなさん、地域社会にしっかりと根ざし、観念的なところは全くない人たちです。私の話すことに深く共鳴してくれるので、本当に来てよかったなとつくずく感じ入っています。
1.今日は、RanYu島で朝を迎え、地元の放射性物質貯蔵に対して30年間戦ってきた島の人たちの中心になっているセンターで、東京で会った女性から、詳しい話を伺いました。 放射性物質の貯蔵を缶詰工場と政府は住民を騙して建設しそうです。RanYu島の文化については改めて報告しますが、本来中国から全く影響をうけず、むしろフィリピンなどに近い言葉、風習をもっているところです。*
住民の激しい戦いの結果、7年後には放射性物質を引き上げると台湾電力は約束をしたそうです。しかしつい最近、桜美林大学の中生(なかお)教授たちの調査で64マイクロシーベルトというとんでもない数値が出たという記者会見があり、それを知った台湾では大騒ぎになっています。*
来月、中生教授たちは原子力委員会と改めて調査をするそうですが、その結果によっては全土をあげた大きな問題になると思われます。その動きは、この10年間工事がすすんでいな第4核の建設をめぐる戦いにつながると思われます。4基の原発が建設されるのですが、そのメーカーはGEの下で日立、東芝、三菱重工業です。*
原発の輸出を許してはいけないという日本との運動が連帯しない理由がここにあります。*
2.午後に台東市に戻り、空港で長老教会という台湾最大のキリスト教教団の牧師と会いました。RanYu島の二人の牧師もそうですが、みなさん、少数民族でいわゆるたちtが知る3文字の名前とは全くことなり、独自の言葉、文化を人たちでした。彼らは14とも100とも言われる小数民族であることを誇りとして教職者になった人たちで、地元に根ざした、雑草のような強さをもった人たちでした。彼らは社会の不義と戦わないのはキリスト者とは言えないという信仰理解の持ち主でした。*
3.そのあと車で高雄を通り過ぎ、異なった部族の部落に入りました。私が台湾ということで持っていたイメージはまったく一面的なもので、むしろ少数民族によって成り立っていた台湾という島に、蒋介石が漢族を引き連れて台湾に来て彼らを支配して国づくりをはじめたということがよくわかりました。
4.その部落は10年間、高レベルの廃棄物を含めた貯蔵地の候補地でした。今もそのことの是非が住民を二つに分け、議論になっているそうです。私が会ったのは、私の日程を決め普通では考えられないような、運動にかけがいのない人との面談を段取りしてくれた教授の教え子で、大学の時にその部族の言葉をマスターしたという青年でした。中国風の名前を持ちながらも、本名を漢字で表記して使っています。年配の人とはその言葉で話をしていました。子供たちは中国語と、地元の言葉と、英語を小学校で教わっているそうです。*
5.私の会ったみなさんは11月10日の講演会、記者会見、11日のデモに関心をもち、その戦いと自分たちの戦いがつながることを願っていました。そのうちの何人かは来日すると思います。そうなれば、講演会と記者会見の場でも台湾の実情を話してもらいましょう。
6.部落の人たち10名くらいと楽しい食事を済ませ、私は誰もいないプラットホームで列車に乗り、台湾の最南端に近い街にやってきました。今、そこの民宿でメールを書いています。明日は、台湾の最南端にある第3原発を見学に行きます。2025年には40年たつので廃炉にすると市長は言明しているのですが、運動している人たちは即時廃炉を求めているそうです。しかし電力が上がると盛んに宣伝する政府に対して、住民の職場を確保し地元の産業を起こすのか、電力をどうするのかなどなどの対案が出せないでいる、と聞きました。*
それではみなさん、おやすみなさい。*
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台湾に来て3日目になります。21 Oct 2012 00:42:22
台東市で台湾長老教会の卓球大会があり、その場で責任者の一人の牧師と話したところ、私の国際連帯の必要性を強調する話に共鳴して下さり、11月10日の講演会、11日の記者会見のために東京に人を派遣すると約束してくださいました。原発に反対しない教会は教会ではないと話されていました。
RanYu島にわたり、6つの部落を訪問しました。小学校の敷地などで異常に高い放射線量が日本人研究者によって発見され、記者会見で発表されたことで大騒ぎになりましたが、政府は現地の放射線量を測定し否定しました。
しかし住民の間で不安は消えず、登校しない子供たちが増えているという話をその学校の先生から聞きました。記者会見した日本人研究者は来月、訪台して再度、測定するということになっていますが、その結果次第では大きな問題になると思われます。
実際に低レベルの放射性物質を貯蔵している場所に行ってみましたが、私の目には、3.11規模の地震と津波が来ても大丈夫なのか、まったく安心はできないと感じました。
4000人の人口のこの島の、住民と共に闘う牧師二人と会いましたが、本当に地元に溶け込んでいる印象を強く持ちました。彼らはこの島の自治のあり方を長い時間をかけて住民と作り上げようとしているようでした。これからも長いお付き合いをしたいと思いました。
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臺灣からの報告、2日目:台東に着いて 20 Oct 2012
今日は台東という、台北から急行で5時間の都市に来ています。早朝、台北で台湾最大の環境団体の責任者と朝食をとりながら話し合いをしました。非常にNNAAの活動に関心をもってくれ、共同でできることは何か話し合いを具体化することになりました。
地元の市民カレッジに参加し、話をしました。台湾の第4原発のメーカーは、日立、東芝、GEであり、福島の事故を起こしたのも同じメンバーです。日本で彼らの法的責任を問うことは、台湾の原発阻止の運動とつながるという主張は完全にうけいれられました。
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何十年ぶりに台湾に来ました。19 Oct 2012 01
今日はこちらの若い活動家と今後のことを話をしました。いい方向に行くと思います。
彼らの活動のターゲットは、第4原発です。ここはGEが頭を取り、実際は日立、東芝が原発建設を受け持ち、三菱重工が入札で確か、発電機を受け持ったはずです。そろい踏みですね。ここは10年来、反対運動で一時建設禁止が決定されたのですが、すぐに建設することになりました。しかし事故が続き、未だに完成できないでいるのです。なんとか住民と一緒なって建設反対する運動が台湾における最大の課題です。日本でも台湾の人と一緒になって不買運動をしましたが、そのときは大きな流れにならなかったようです。まだ日本社会が原発に関する問題意識が低かったのでしょう。
それと今回訪問するOrchid Island(Ran Yue)での高い線量が問題になっています。調査した桜美林の中生教授の再調査が来月、台湾の原子力委員会を引っ張り出し、開始されます。使用済み核燃料の保管がほぼキャパがなくなってきているので、この点が大きな問題になるでしょう。日本も韓国も同じで、いずれもモンゴルをターゲットにすると思われます。
リトアニアの件ですが、国民投票で62%反対というのは、そこには子供は入っていないわけですから、実質的には全国民の8割が反対したということです。新政府は計画継続を宣言していますが、そんな簡単にいかないだろうということは私のブログでも触れました。問題は日本政府と日立です。GEも関係しています。日本の高い技術を期待されて海外から望まれたから輸出するという建前が完全に崩れます。政府と相談する言わざるをえないところまで追い込まれています。
朴鐘碩は直訴して経営者の決断を求めていますが、今日飛行機のなかで読んだ小熊英二も経営者の英断を求めていますね。ここでNNAAとして日立、東芝、GEの福島原発事故のメーカー責任を問う裁判をはじめることは彼らを追い込み、決断(英断)を促すいいきっかけになればと願います。
あすから地方に回ります。いろんな人と会えるので楽しみです。
GEのCEOは原発建設に否定的な発言を公表していますが、まだ一般論です。台湾の運動と協力しあう具体的なイッシュが見えた気がしています。NNAAが取り組もうとしていることはまさに時代の要請に沿うものだと思います。3.11以降の、台湾との新たな連帯運動は今、改めて取り組まれなければならないと確信します。
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