2012年3月4日日曜日

3・11を前にした、福島から避難してきたお母さんの「心の叫び」

「脱原発かわさき市民」の仲間は、3・11に他の市民団体と一緒になって、3・11の集会・デモに参加しようと決めました。集会後は国会に行き、抗議の意を表するために、国会を人の輪で取り囲む仲間に合流しようとしています。

その川崎の集会で朗読しようという声が高まっているのが、下記の福島から避難してきたお母さんの「心の叫」びです。主催者側は、音楽や踊りの時間をとりながら、時間がないということでその朗読を躊躇しているようですが、それでは何のための集会か意味がわからなくなります。是非、この福島から避難してきた人の「心の叫び」をお読みください。

先ほどNHKで原発事故を巡る政府の対応や、地方自治体、一般の人たちの行動や思いを明らかにした報道番組を観ました。あれを見て、安全だと言い張ってきた<原発体制>を推進して人たちが、どうして再稼働をし、海外に原発を売り込もうとしているのか、原発(核発電)に安全はないではないか!)無性に腹が立って来ました。

いざという場合は、これまで10キロの避難しか想定しておらず、それが急遽、20キロ避難の命令を出した民主党政府の実態(自民、共産、みんな同罪ですよねー原子力の平和利用に賛成して来たのではないのですか、今もそれを否定していませんね?)を知り、他の原発基地のあるところはどうなっているのか、本当にM9の地震と津波が来ても大丈夫だとどうして断言できるのか、まだ福島の原発の破損した配管の実態も把握できていないではないか、怒りがこみ上げてきました。

福島から川崎に避難してきたお母さんの「心の叫び」を読み、私は、原発体制を許してきた自分を恥ずかしく思います。大間にしても、玄海にしてもそうです、あれを許してきたのは現地の人たちだけではなく、反対する彼らを支えきれなかった、それを他人事として見てきた自分自身だと思います。

鎌田慧は『ルポ 下北書く半島-原発と基地と人々』(岩波書店 2011)で、「無関心は加担であり、共謀である」、「東通村の悲しい選択は・・・『選択』の形をとった誘導であり、押しつけである。その政府と核産業連合の暴力を止めるのは、私たちの『当事者意識』である」(67ページ)と自分自身を見つめています。これは避難してきた人たちへの同情であってはならず、私たち自身の自己批判と闘いの宣言でなければならない、と強く思います。   崔 勝久

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3.11を前に

おなかの中に娘がいるとわかった時から、一番の願いは「どうか無事に産まれてきてください。」
娘が無事に産まれてからは、元気にスクスク育ってくれることが何よりの願いであり、その日々の成長が喜び。

多くの親が同じ思いだと思います。

1年前、3.11で失われたあまりに多くの命。
その儚さを前に、私は娘の体を抱きしめ、改めて命の尊さを感じました。

多くの可能性を秘めた子どもたちは、みんながみんな大人になり夢を叶えることができるわけではないことを、私たちは知っています。
自然災害、飢饉、不慮の事件事故、病気。
それらの不幸の可能性を少しでも減らすため、大人たちはこれまであらゆる手立てを考え、未然に防ぐ努力をしてきました。

医療研究や災害に強いまちづくりといった大きな対策だけでなく、どのご家庭でも「赤信号は止まれだよ」と子どもたちに教え、予防接種を受けさせたりしていると思います。

それらは全て日々の暮らしの中で当たり前に行われている、子どもたちが未来に向けて歩むための小さな努力です。現状の福島から避難することも、同じではないでしょうか。

私は、放射能の専門家でもなければ、医者でもなく、ごく普通の母親です。だから、1年前、実際に娘が将来、甲状腺癌になるかもしれないといった心配よりも、娘の心が傷つくことを恐れて、避難を決めました。

成長した娘が、福島で育ったことを理由に差別されたり、本人自身が自分の体は子どもを産めない体だと思ってしまったり、いつか癌になると思いこんで将来の夢を抱くことすらあきらめてしまったり、そういう、子どもたちが本来持っている「未来へ向かう気持ち」を失ってしまう不安、心配が私の背中を押しました。

それからまもなく1年がたちます。たくさん泣きました。何度も落ち込みました。疲れ果てたこともありました。でも、避難したことを後悔していません。

ただ、後悔はしていないけど、福島に残してきたたくさんの人やものに、後ろめたさに似たごめんねという気持ちもあります。それは、それだけ私がふるさとを、福島の人たちを好きだから、大切だからです。大好きで大切な人たちの理解なくては、避難できなかったからです。

だから、この申し訳ないという気持ちも全部背負ってこれからも生きていくのだと思います。最近、その覚悟が少しできて、こんな風に思います。

じいちゃんばあちゃんがちょっと遠出したい時には私が車出すからって免許返納させたのに、病院にすら送れなくてごめんね。

お父さんお母さんにとって孫はいっぱいいるけど、初めてで唯一の一緒に暮らす孫娘だったのに、離れて暮らすことになってごめんね。

運動会や発表会や祖父母参観、ばあちゃんたちにも見に来てもらいたいのにママしか見に行けなくてごめんね。
それでも、避難するっていう私の選択を「正しい」って言ってくれてありがとう。
ほんとうはさみしい時もいっぱいあるのに「ママがいたらさみしくないよ」って言ってくれてありがとう。
それから、「いつでもうちに避難してきていいよ。待っているから」「何か困ったことあったら言ってね」「無理しないで頼っていいんだよ」そう言ってくれた友達、ありがとう。
今の生活を築くとき、支えてくれたたくさんの人たち、ありがとう。
避難して以来、出会った多くの人たち、ありがとう。

みんなのおかげで私たち親子は未来をあきらめずに、明日に向かって生きることができています。みんなのおかげで私たち親子は誰かを恨んだり妬んだり憎んだりすることなく、誰かに感謝して生きることができています。
ありがとう。


最後に、一人でも多くの子どもたちが笑顔で未来を夢見ることができる国へとこの日本が、世界が向かっていくことを心から願い、みなさんのご活動がその一歩となることを信じ、メッセージとさせていただきます。

菅野(かんの) 久美子(くみこ) 
(福島県伊達市から自主的に避難)

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