OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2012年2月8日水曜日
<原発体制>考える二つの視点
1.はじめに
「在日」である私がどうして反原発運動をするのか、それは3・11で明らかになったように、災害は「死の灰」とともに、日本に住むすべての人に降りかかるのであって、そこでは民族や国籍が問われることはないからです。私たちは日本に住む外国人住民として、自分と自分の家族の生命を守るために「反原発」に立ち上がり、津波地震を含めた地域の災害対策を地方自治体に求めなければならないと思い至りました。原発事故を生んだ<原発体制>を考える二つの視点を提示いたします。
2.立場、違いを超えて国際連帯を
私はキリスト者として、私たちが生き延びるために原発を廃炉にしなければならない、そして新たな原発を許してはいけないと考えるようになりました。「原子力の平和利用」は核兵器と直結する「隠れ蓑」であり、それは核兵器を武器に世界をコントロールしようとする大国の思惑でした。
原子力発電とは、核発電であり、それは核兵器生産と表裏一体の関係にあったのです。3・11以降、いかなる原発も核兵器も許されるべきではないという立場に良心的な人は立たざるをえなくなったと私は確信します。今こそ立場を超え、違いを超え、反原発この一点で連帯をすべきです。その反原発の運動は国境を超え、国際連帯が実現されない限り、一国主義では決して解決されないと私は考えるようになりました。
私は「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」CNFE)代表として昨年10月、モンゴルと韓国を訪問し、国際連帯による反原発の運動を呼びかけました。その後11月11日に日韓蒙3ヶ国の同時記者会見をもち、Nuclear Free Asia共同宣言文をだしました。モンゴルからウランを買い核兵器や原発に使った後に使用済み核燃料をモンゴルに埋めるという恐ろしい計画が進行していました。勿論、日本もその企みに加担していました。今もそれはなくなったわけではありません。
今年の1月14-15日の横浜での脱原発世界会議に昨年出会ったモンゴルの元「緑の党」党首のセレンゲさん、韓国の「脱核エネルギー教授の会」とアジア最大の「環境運動連合」の責任者、韓国の地域活動を担い日韓市民の連帯を求める李大洙牧師をお呼びし、また在韓被爆者問題を40年訴え続けてきた日本人の市場淳子さんにもいらしていただき、多くの人と意見の交換をするようになりました。会場には1万人を超える人が参加しました。危機感から自ら立ち上がった日本の市民と、海外で反原発を訴える人たちとの連帯の芽が生じたと実感する場でした。
3.歴史認識の問題
<原発体制>とは何かを考えるに際して、日本は戦後被爆国でありながら、どうして原子力の平和利用という美酒に酔い、右も左も、その推進に賛成してきたのか、この点はしっかりと押さえておく必要があります。脱原発を進めるには、<原発体制>がどうして成立してきたのか戦後史の総点検をしなければならないでしょう。家電(洗濯機やTV)の大量生産=女性解放、近代化=豊かな暮らし、工業化=原発の必要性、こういう思考回路をたどりながら、それを政策的に進める政府・財界・マスコミ・教育界・司法界が一体となって原発の安全性、クリーンさ、経済性を説き私たちは完全に騙されてきたのです。
日本社会の脆弱性の第一は、歴史認識の不十分さです。アジアを侵略した植民地支配の反省がなされないまま戦後復興による経済発展から現在に至りました。天皇の責任は曖昧なままに終わり(「天皇は、日本国の象徴であり日本国国民の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」(憲法第一条)、これはいつ、誰が決めたのでしょうか)、日本の平和を謳う憲法第9条はアメリカに依存・隷属する形で保障されてきたのではなかったでしょうか。そのことによって世界覇権を求めるアメリカの政策の下、戦前から続く「国体」の継続、世界の大国を願う日本政府によって実現されてきたのが<原発体制>ではなかったでしょうか。原発事故は放射能の問題だけではなく、この日本社会のあり方を根底から問い直すものであると、私は考えます。
戦後日本は戦争、原爆の被害者意識によって経済復興しながらアジアとの連帯を口にしてきましたが、歴史認識の不十分さの克服を課題にすることはありませんでした。今回の原発事故によって初めて、日本市民は自らのあり方を根底的に問う<原発体制>に立ち向かわざるをえなくなりました。アジアへの原発、使用済み核燃料の輸出という、アジアの民衆の加害者になるかもしれないという事実を前にして被害者意識を相対化し加害者になる可能性を実感するようになり、自ら<原発体制>と闘うことを通して、アジアでの反原発を求める民衆との、文字通り闘う者同士の「連帯」を経験することになるのだと私は認識します。
4.差別のうえで成り立つ<原発体制>
成長経済の最中、世界2位の金持ち、アメリカはもはや怖くないなどと戯言を言って見かけの豊かさに満足していましたが、その虚構は見事に崩れ去りました。豊かさを求めてきた方法、社会のあり方そのものが現在の混乱をもたらす原因であったことを知るならば、私たちは現実を見つめ直し、自ら生き延びるために真実を知り着実な一歩を歩み始める必要があるのです。
私は日本の経済発展が地方や、外国人や女性、非正規労働者という社会的弱者の犠牲の上で成り立ってきたという認識をもっています。政治家・官僚・財界が作り上げた差別構造は何層にもなるヒエラルキーを形成し、それらすべてが見事に組み込まれていたものこそまさに<原発体制>ではないでしょうか。アメリカに押し付けられそのコントロール下で作られた<原発体制>は同時に日本の為政者たちが求めたものでもあり、それらはお互い「抱き合う」形で形成されてきました。
その「抱き合う」構造は実は、日本とアメリカだけではなく、日本の東京を中心とした中央と地方との関係でもあったのです。地方に犠牲を押し付ける中央、その中央にすり寄らないと生きていけない貧しい地方、この両者はお互い「抱き合い」ながら<原発体制>を作りあげてきました。自ら内発的な産業を発展させられず高齢化、少数化、職場の喪失などで中央にすり寄らざるを得なくなっていた地方は、原発を押し付けたかった中央からのオファーに対して競うように「特権」を得ようとしてきたことは、開沼博が明らかにしています。
5.最後に
自分の傍に置きたくない原発、使用済み核燃料の再処理を日本で許さず海外に輸出させない、ここから戦後初めての、お互い反原発の運動を進める市民同士の国際連帯が始まり、それなくして反原発の運動を勝利することはできません。「原発体制」への闘いは、<原発体制>を生み出してきた、自分の住む生活の場である地方(地域)社会のあり方を徹底して追い求めるところに戻らなければならないのです。<原発体制>を考える二つの点を提示させていただきました。
崔 勝久(チェ・スング)
「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」事務局長
「脱原発かわさき市民」メンバー
参考文献
開沼博『「フクシマ論」―原子力ムラはなぜ生まれたのか』(2011 青土社)
武藤一羊『潜在的核保有と戦後国家―フクシマ地点からの総括』(2011 社会評論社)
原発体制を問うキリスト者ネットワーク(CNFE): http://wwwb.dcns.ne.jp/~yaginuma/
崔勝久のブログ、OCHLOS(オクロス):http://www.oklos-che.com/
(上記拙論は、『9条連ニュース2月号 2月20日発行)に掲載予定)
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チェさん
返信削除ありがとうございました。
ブログ、読みました。
最高です。
よくまとめて下さいました。
私がずっと感じ、考えていた事は、まさにこれです。
いろいろな仲間に、紹介させて頂きます。
ただ闇雲に非難するのでなく、
この整理された視点に立たねば、次に進めないと、
改めて考えます。
本当にありがとうございました。
そして、自分のできることも考えてみます。